悪役令嬢の息子は消えたほうが世のためですか?

保坂星耀

1

 初めて会う父という人はなんと言葉をかけてくれるだろう。


 そんな期待ではちきれそうになっていた俺は、とんでもない言葉に息をのむことになった。


「心臓を捧げよ。これは王命である」


 冷酷なことを言ったというのに、玉座に腰掛けた父はけだるげに肘掛けに寄りかかっていて、その顔には何の感情も浮かんでいないように見えた。王都へ急ぐ馬車の中で入念に反芻したエチケットなど頭からすっ飛んでしまい、真正面からその尊顔を見つめた俺へ不快を示すでもない。


 謁見の間にずらりと居並ぶ陪臣たちも同様だった。まるでパフォーマンスに過ぎないとわかりきっている治水事業の命が下っただけ、あるいは夕食のスープをポタージュからコンソメにするよう申し伝えられただけといった具合に、顔も体もピタリと静止させたまま動かない。しわぶきひとつ漏れ聞こえない大広間の空気といったら、まるで空間そのものがこう言っているようだった。


 お前はなにを驚いてるんだ。こんなのなんでもないことだろ。


 わかったらさっさと出て行けと言わんばかりの視線にさらされて、しかし、隣でスカートを大鳥の翼のように広げていた母は折れなかった。


「我が子に死ねとおっしゃるの!? 十三年も会わなかった、誕生日の贈り物ひとつしてこなかった我が子に!」


 その声はほとんど金切り声だった。白い粉を念入りにはたいたと見える顔面が、その上からでもわかるほど真っ赤に染まっている。


 広間のそこここからため息が聞こえてきた。道理もわからない女がまたぞろわけのわからないことを言っている、そんな雰囲気が重くのしかかってきて、かつての事情を話にしか知らない俺にでも陪臣たちのうんざりした顔が見えるようだった。


 王もまた、玉座でため息をついていた。今にも飛びかかってその首を絞めそうになっている母から目を逸らし、謁見の間のどこか、おそらくどこでもない宙空を眺めてこう言った。


「我が子だから言うのだ。そなたに理解は求めないが」

「昔からそうだった! あなたはいつも勝手をして!」母が叫んだ。「私がっ、どれだけあなたに尽くしてきたか! あなたの為に生きてきたか! それをっ! ちょっと毛色の珍しい女を見つけたからとうつつを抜かして! あの女になにができたというの! ええ、なにもできなかったでしょうね! 着飾って、目を潤ませて、慈悲を請う以外にはなにも!」

「もう良い。さがれ」


 王が短く言うと即座に近衛の制服を着た男たちが近寄ってきた。母の方に二人、俺の方に四人、それぞれ違う扉へ誘導される。


「無礼な! 離しなさい! シメオンをどこに連れて行くの! ちょっと! あなた! これはどういうことなの! 説明して! あなた! あなたっ!!」


 遠くなっていく叫び声に紛れて、けれどもはっきりとした舌打ちが頭上から落ちてきた。目を上げればひどく上背のある近衛兵が母の連れて行かれた方向を睨んでいる。彼は俺の視線に気付くとぴしりと右手を左胸に当てて「シメオン様」と俺を呼んだ。


「ご理解ください。我々も心苦しいのです」


 近衛兵は言葉の通りに苦渋で顔を歪ませていた。誰もが当たり前のような顔をしているものだから、自分の方がおかしいのではないかと思い始めていた俺は、それで――というのも妙な話かもしれないが――ようやく安心のようなものを覚えた。尋常ならざることは既にいくつも体験済みだ、それがもうひとつ増えただけ、と息つくことができたのだ。

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