第11話 神様を蹴飛ばした日
安堵というのはどういう気持ちだろう。私は久しくその感情を思い出せていない。この日もそうだった。ずっと心臓の音が鼓膜を揺らし、ずっと不安の渦でかき回され、ずっと生きたここちがしなかった。
「神様、お願いです神様。もうやめてください。もう十分です」
礼拝堂で深く深く祈った。そして願った。もうやめてくれと。
この日は日曜日で、神を信じる者たちがその足下へと集う日だ。そして、私にとって3度目の11月24日でもある。
「どうか、どうかお願いします」
昨日のように取り乱すことはなかったが、頭の中がまだ整理のできない子供の遊び場みたいにぐちゃぐちゃのままだった。
「お願いします神様。お許し下さい。お許しください」
神頼みほど心救われることはない、とは誰の台詞だったろうか。そんな台詞はどこにもなかった気もするし、あった気もするから不思議だ。
「慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである。ひとりひとりに、その業に従って、あなたは人間に報いをお与えになる」
最近だけで3回は聞いたこの説教に、心が砕けてしまいそうだった。
「そんなの信じられない。慈しみを私にお与えください。そして、報いを。こんな報いをお与えになるのをやめてください」
「それは無理ですよ」
1つ空いて隣の席に座っていた年配の信者が私へ語りかけた。穏やかで、悟りに満ちた深い声だった。
「慈しみは神様のものなのです。あなたに与えられるものではないのです」
「そんなことありません。慈しみを与えるのが神様の力のはず」
「いいえ、神様が与えるのは試練です。試練を持って、人を試すのです。生きている限り、その試練から逃れることはできません」
「ならば、いま、私に起きていることも試練だというのですか」
年配の信者は優しい目で私を見ていた。なのに私は嫌悪のこもった目で年配の信者を睨んでいたことだろう。
「あなたに何があったかは、わたしにはわかりません。しかし、それが試練でないのなら、神様はいないということになります」
「なら! 神様はいない!」
「いいえ、います。あなたもわかっているはずです。だからここで祈るのでしょう?」
それは少し違う。私は救われたいから祈るのだ。祈れば救われると言われたから祈るのだ。神様がいるとかいないとかは重要ではなかった。救われないなら、祈る意味すらないのだから。
「あなたには想像もつかないことが、私の身に起きています。神業としか思えないようなことです。しかし、それが試練とは到底思えません。なぜなら、いわれのない罪を被せられようとしているのだから!」
年配の信者は私の目をじっと見つめて押し黙った。真偽を見抜こうとしているような、私の心を救おうと画策しているような嫌な目だった。
「あなたの信仰心はあなただけに向けてください。私には、いまの私には助けにすらならない」
それだけ言って、私は礼拝堂から逃げるように立ち去った。いまになってあの信者に感謝している。そして、あのとき私を救おうとした彼の思いやりを蹴落とした自分をいまだに許せずにいる。
「知った振りを! なにも知らないくせに!」
私の心はズタズタだった。仕方ないという人もいるだろう。私もそう思う。しかし、何かが違えばこうはならなかったはずだと考えない日はない。
あのとき考え方を変えていれば、あのときもっとよく考えていれば、あのときこうしていれば、と。
「くそ! くそ!」
この日を境に私の信仰心は薄れていった。取り戻すのに長い年月がかかった。
家に帰っても心は休まらなかった。明日になればまた過去へと戻ることになる。それが苦痛で仕方なかった。だが、過去へ戻らなければ、待っているのは轢き逃げと殺人の罪で裁かれる未来だけだ。
「嫌だ! 戻りたくない! 過去にも未来にも、もう戻りたくない!」
布団の中でむせび泣いた。食事もとらず、延々と泣き続けた。
誰も助けてはくれない。誰も救ってはくれない。神様のせいだ。これは神様のせいなのだ。
次の日、目が覚めて日付を見ると11月23日だった。もう、なにもしたくなかった。
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