第12話 お腹が空いた日
人間の身体というのは心を裏切る機械だ。思いどおりに動かないくせに、手入れを怠ると酷い苦痛を与えてくる。
空腹もその1つだ。エネルギーが底をつくと、食欲というアラートが鳴り響いて止まらない。生存欲求とは耐え難い苦しみに他ならなかった。食べたくないのに、身体はエネルギーを欲して泣き叫び、暴れるのだから。
私は空腹に耐えられず、昼には冷蔵庫を漁っていた。昨日からなにも食べていないというだけでこれだ。絶食の修行があるのもうなずける。
心はなにもしたくないはずなのに、身体は生きようと必死なのだとわかると涙が出た。冷凍したご飯を温めて卵をかけただけなのに、美味しくて涙が出た。
「私って、単純だな」
昨日の怒りも悲しみも、いつの間にかどこかへ行ってしまっていた。食べることで元気になった気がした。元々前向き思考だったのも影響していたのかもしれない。
とにかく、私の頭は泣いて食べてスッキリしていた。
「これからどうしようか……」
そうなると、これからのことを考えるようになった。過去へ戻るのは止められない。そしてまた未来へと戻ることになるのだろう。ならば神頼みはもうやめだ。私は、私の力でこの窮地を脱しなければならない。
「できること、か」
私はまずスマホのメモを開いて、1から全てを書き出した。覚えていることはもちろん、テレビやスマホで得られる情報もできる限りメモしていった。
そのあとは、重要なことだけを残して整理していく。それをずっとやっていると、なんだが光が見えたような気持ちになった。
「よし」
メモがまとまると、今度はそれをできる限り記憶していく。スマホでは過去に記録を残せないからだ。これは前回過去に戻ったときに立証されていて、映画のメモが残っていなかったことがいい例だ。
ここで1つ疑問が浮かんだ。
「未来に残せるものってなんだろう」
今日のメモが未来の自分に届いているのかを知りたかった。もし昨日のスマホに今日のメモが残っているとすれば、以前過去に戻ったときに残したメモも残っているのでは? そう思ったのだ。
ここで画期的なアイデアが浮かんだ。映像記録を残すのだ。前回の私はなぜこんなにも簡単なことを思いつかなかったのかと、額を手で叩いたくらいだ。
「やってみるか」
ちなみに、あと1つ未来に残せるものがある。それは予定だ。
思い出してほしい。11月19日の私はさらに過去の私の立てた予定によっていいところまでいった。成功とまでは行かなかったが、あれができるならば未来の私もどうにかなるかもしれないのだ。
「うん、これもやってみよう」
他にもやりたいことがたくさん浮かんできて困った。その中でもとくに重要そうなものはメモに残した。まあ、消えてしまうのだけれど。
「よし、まずはこれから始めよう」
早速取りかかったのは今日を変えることだ。前回の11月23日では熱海に行っていたが、今日は行かずに家にいることにする。これはとても重要だ。これでもし熱海に行ったという事実が変われば、過去の出来事を変えることも可能ということになる。
「んー、でもあの日は急遽熱海に行ったんだよなあ。それってどうなんだろう」
不安はあったが、やってみないことには始まらない。
家にいる間は明日の計画を立てた。明日はたしか赤レンガ倉庫で親子に会った日だ。聞かなくてはならないことが山程あるから、いまのうちに色々とまとめておくことにした。
「……このくらいかな?」
読者の皆さんにも私のまとめ上げた今日一日の成果をお見せしておこう。
要点は全部で4つだ。
1、事件について調べたこと
山下公園の轢き逃げ事件は11月20日の午後2時前に起きた。死傷者は5名、大人2人と子供1人が死亡、大人1人、子供1人が重軽傷。私が目の前で見た事故がこれだ。
あと、神奈川県内で最近起きた殺人事件は11月19日の1件しかなかった。場所は平塚市内で、30代の男性がバットで頭部を殴られ亡くなっていた。これが私のやったことならば、なんで平塚まで行ったのだろうか。
2、過去に戻る時に起こること
まず、眠ると過去に戻ると思われる。それか、日付をまたぐと過去に戻るのかもしれない。これはまだ解決していないから今日できるだろう。
それから、過去へ戻っても身体はそのまま老けていく。傷がつけばそのまま過去に持ち越されるし、身体についた匂いや疲れ、食べた時の腹持ち具合、二日酔いなんかも引き続き残ったままになる。ちなみに化粧は落ちた状態で、服も寝間着に着替えて布団の中で目覚めている。
あと、過去に戻るときは距離に関係なく、自室の寝室で目が覚める。もしかしたら、この部屋が過去から戻ったときのスタート地点なのかもしれない。
3、やらなければならないこと
まず、過去を変えられるのか試さなければならない。いまのところ、些細な変化はあるが、決定的なところは必ず同じ過去を辿っている。
例えば、未来の私が警察に捕まることを知っていると過去でもあっけなく捕まった。なにが決定的な歴史になるのかはわからないが、いまのところ私が見聞きしたことは変わらず起きている。今後起こることはあとで説明するが、これから起きることはまだ未確定のままだ。
次にやることは明日の仕込みをするために明後日の予定を立てることだ。例えば、明日の冷蔵庫に作り置きの料理を入れておくと決めたとしよう。すると、今日この時点で冷蔵庫の中には明日作った料理が入っているはずなのだ。なぜなら、私は過去へ戻るのだから、料理も過去の自分が入れているはずなのである。
最後に。私は毎日映像記録を残さなければならない。これは、自分が未来に戻ったときの
4、前回の私の行動
11月25日(月)
この日に私は逮捕された。朝の通勤時間で大人しく連れて行かれたが、2回目では逃げていることになっていた。
11月24日(日)
協会へ行き、帰ってからドラマとニュースを見た。そのあとは多分気絶した。二回目も協会へ行っていた。無意識なのか、それともこれが決定事項の歴史なのかは不明。
11月23日(土)
熱海へ行った。温泉を満喫し、食事をして寝た。今日はこの過去を変えられるか試してみる。
11月22日(金)
協会へ行き、そのあと赤レンガ倉庫で親子に会った。
11月21日(木)
家で延々と映画を観ていた。観たのは4本で、家から出ることはなかった。
11月20日(水)
朝から山下公園に居た。事故を目撃し、親子が轢き逃げ犯に襲われているところを助けた。犯人は男で、この日よりも前に私に会っているようだった。
11月19日(火)
犯人を探して1日中横浜を歩き回った。夕方に象の鼻パークのカフェで過去の自分が立てた計画に脱帽するも、成功せずに終わった。犯人にも会えず仕舞いだった。
全てを終えた頃には夜の11時半を超えていた。いい機会だから、このまま日付が変わるまで待つことにした。もしこれで過去へ戻っていなければ、眠ることで過去へ進むのだろう。
そうして、待つこと数十分。スマホの時計が美しく0を4つ並べて実験は大成功に終わった。
「よし! なかなかいい滑り出しね」
こうしてまた1つ、私は賢さの証明をした。あとは寝て、過去へ戻るだけだ。
でも、この日はすぐに眠れなかった。不安になったからだ。もしも明日が22日ではなく、27日だったら?
前回同様、1週間近く過去へ戻らずにすぐ未来へ戻ることになったら、私は自分の無実を証明できそうにない。それが不安でたまらなかった。
スマホを見ると深夜1時だった。やはり、眠ることで過去へ戻るのだろう。では、起き続けた場合はどうなる?
その答えを知る前に、私は眠りについていた。
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