第10話 逃げられない日
「はあっ!」
目覚めると自室の寝室だった。汗をびっしょりとかいていて、風邪がぶり返したみたいに寒かった。
「嫌っ!」
スマホを見ると11月25日の月曜日だった。
「嫌っ!」
また戻ってきた。過去へとまた戻ってきたのだ。
「なんで! なんでなんでなんで!」
頭を掻きむしり、布団に拳を叩きつけても、答えなんて出るはずがない。わかっていてもそうした。そうしなくては、心が保てなかったからだ。
「はあ、はあ、はあ」
逃げなくては。このあと私は捕まってしまう。それだけが頭に
なんにせよ、そんなのはごめんだった。だから、逃げることにしたのだ。いま思えば、このときの私は世界が偽物に感じていた気がする。現実ではない、きっと夢だ。そう願うように走っていた気がする。
「はあ、はあ、はあ」
すぐに荷物をまとめ、とにかく駅へと急いだ。最初に警察に囲まれたときは、マンションを出てすぐだったから、今度は時間を早めて家を出ることにしたのだ。
それは正解だったようで、マンションを出ても誰も私を取り囲むようなことはなかった。
「よし! よし!」
駅に着いたときも警戒は怠らなかった。私服警官が張り込んでいると思い、なるべく急ぎながらも怪しまれないよう改札を抜けた。
電車内が一番緊張した。なにせ、逃げ場がないから車内で囲まれれば、私は一網打尽だろう。
「よし! よし!」
とにかく遠くまで行くことにした。それも田舎のような人混みの少ないところへ行きたかった。なぜそんな風に思ったかは覚えていない。
横浜駅で降りると乗り換えで時間を使ってしまった。通勤時間というのもあり、人混みがとにかく急ぐ私の邪魔をしたからだ。
ようやく電車に乗れたときも周りの人間がみな私を見ている気がして仕方がなかった。疑心暗鬼というのはこういうことを言うのだろうといまでは思う。マスクで顔を隠していても、安心など一切できなかった。
「うっ!」
そしてついに、危機が訪れた。行ったこともない田舎なんて行かなければよかったと悔やんだのをよく覚えている。
海老名という駅に降り立ち、再び乗り換えようと改札を出ると、青い制服にガチャガチャとした装備を身につけた、いかにも警察ですという出で立ちの3人が改札を見つめていたのだ。
どうする? このまま進む? それとも戻る?
戻るという選択肢がまず始めになくなる。怪しすぎてそんなことできなかったからだ。
つまり進むしかない。なるべく平常心を心がけ、ゆっくりと歩いた。目も合わせないよう下を向いた。それがいけなかったのかもしれない。
「すみません、ちょっといいですか?」
心臓が口から飛び出しそうだった。平常心なんてその場で吹き飛んだし、目が泳ぐのを止められなかったのも人間の不思議に加えてほしいものだ。
「は、はい?」
「すみません、ちょっとお荷物の確認よろしいですか?」
「な、なんでですか?」
「ここ最近、この路線でのスリ被害が多発してまして。それも、犯人は女性らしいんですよ」
「は、はあ」
「いま、女性警察官を呼びますので、ちょっとだけでいいんで、鞄のなかを確認させてもらえませんか?」
「は、はい、どうぞ」
足が震えて止まらなかった。なぜこんなときにスリの防犯なんてやっている。おかげでこんなピンチに陥るハメになった。
「こちらイトウです。カトウさん出れますか?」
なんで拒否しなかったかというと、警察は拒否すればするほど怪しむからだ。本当は拒否してもいいはずなのだ。警察が強制的に鞄の中を見てもいい権力や法律があるかはわからないが、それがまかり通るのであれば、下着の中まで見せなければいけないことと等しいはず。
「ご協力ありがとうございます。すぐ済みますから」
生まれて初めて殴りたいと思った。目の前の警察官を殴り倒し、いますぐこの場から逃げたくて逃げたくてしょうがなかった。
そして、私はやってしまったのだ。耐えられなかったのもあるが、取り乱し、やれるという謎の自信とやらなければという悪魔のささやきによって、警察官を殴り倒しその場から逃げてしまったのだ。
「おい、待て!」
待てと言われて待つ人間がどれだけいるか知りたい。私の予想は前回と変わってゼロになっていた。100人いれば、100人が待つことなく逃げるだろう。当たり前だ、捕まれば人生の終わりが待っている。
「捕まえろ!」
幸運だったのは、他の2人の警察官が人混みに揉まれてこちらへ来れなかったことだ。おかげで私は難なく逃げおおせることに成功した。
不運だったのは荷物を置いて逃げてしまったことだった。手荷物検査のために警察官へ預けていたから、財布もないし、着替えもない。スマホだけあっても電車には乗れない。
それでも逃げるしかなった。道なんて知らないくせに、とにかく小道を選んで走った。そこで私に2度目の危機が訪れた。
海老名というとサービスエリアが有名だろう。それ以外になにがあるかを知ってる人は限られているはずだ。
答えは、なにもない、だ。詳しく説明するなら、身を隠せるような所があまりにもない、ということだ。
駅を出て少し走ると、目の前に広大な田んぼが広がっていて、地平線が見えそうなくらいだった。
「こ、こんなところ走れるか!」
仕方なく数百メートル先の林の丘へ向かうことにした。走ることはできなかった。目につく人はみんな歩いていたし、ここで怪しい動きをすればたちまち通報されてしまいそうだったからだ。
焦らず、しかし、なるべく早足で林の丘を目指していると、最悪の方向を目指していたことに気がついた。
目の前の建物から、サイレンを鳴らしてパトカーが次々と飛び出してきたのだ。そう、警察署だ。私は警察署の前を早足で歩いていたのだ。
どうか気づきませんように、と思えば思うほど現実になる。それが人生の不思議なところだ。
「おい、君!」
パトカーが私の横を通りすぎた途端に止まり、警官が降りて走ってきた。最悪の気分だった。私は
長くなるので結論を言おう。私はすぐに捕まった。土地勘のない場所での逃避行なんてこんなものだ。選んだ場所が悪かった。
いや、そうなる運命だったに違いない。このあと私は横浜の警察署へ連れていかれるのだ。でなければ辻褄が合わない。
だとすれば、昨日の出来事はどういうことだったのか。男には会えなかったのに、男は私に会っているみたいだった。
つまりはこういうことだ。私はいまから過去へ行く。そこで会うことになるのだ。まるで折り重なったパラレルワールドだ。どの時点が正しい歴史になるのかわからない、複雑なパラレルワールド。これも映画で得た知識の1つだ。
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