第9話 始まりの始まりの日

「あの事故は私じゃなくて、男の人が起こしたんです! 私はただそこに居合わせただけです! 証人もいます。私が無実だって証明できます!」

「おいおい、昨日とは打ってかわってペラペラしゃべるじゃないか」

「だって、本当なんですから! それと、男の人は事故のあと親子を襲ってました。母親と男の子です。私が止めなきゃ、殺されてたかもしれないんですよ?」

「それを見たやつがいないって言ってんだよ! お前の作り話なんだろう?」

「作り話なんかじゃありません!」

 狭い取調室は白熱の口論合戦が開催されていた。7日前の私からは想像もできないだろうが、人間7日も非現実的な体験をすると生まれ変わったみたいに成長するらしい。

「話にならん!」

「なら、弁護士を呼んでください。あなたと話しても先に進みません」

「おう、呼んでやる。その間に、また別の嘘を考えようとしても無駄だからな!」

 あれだけ怖かった刑事さんが、駄々をこねる子供のように思えた。なにせ、昨日にはなかったものが私にはある。7日で得た確かな経験と確かな事実だ。これが私の自信に繋がっていた。強力な後ろ楯ができたみたいな、ものすごい自信が私にはあったのだ。

「あの刑事さん怒りっぽくて怖かったよね」

 怒りん坊の刑事さんが取調室を出ていくと、代わるようにして今度は白髪の混じったベテランみたいな刑事さんが目の前に座った。

 優しい目で私の話に耳を傾け、うんうんと同調してくれている。ドラマとかでよくみる怖い刑事と優しい刑事だとすぐにわかった。

「そうだよね、あなたの言ってることはわかるよ。こっちもちゃんと裏付けしてるところだからさ。もうちょっと、お話聞かせてもらえるかな?」

「だから、私は通りがかっただけなんですよ。車載カメラでしたっけ? あれだけで犯人にされちゃ困るんです」

 騙されてはいけないと思いつつ、話を聞いてくれる存在についつい饒舌になってしまう。その隙を突くように、優しい刑事さんが突然殴りかかるみたいな台詞を突きつけてきたのには本当に寿命が縮まった。

「そうだよね、そうだよね。それじゃあ、ちょっと話を戻すけど、あなたがなにもしてないなら、なんで昨日はあんなに逃げたりしたのさ」

「はい?」

「昨日はこっちも大変だったよ。あなた足速いんだもの。まるでこっちが捕まえに行くのを知ってるみたいに移動しちゃうし。もしかして、わたしらが来るってわかってたんじゃないの?」

「いや、いやいやいや。け、刑事さん、それは間違いですよ。私は昨日、大人しくここまで連れられてきたんですよ?」

「はっはっは。またまたー。冗談が過ぎるよ。あなたを捕まえるのに何人の警察が動いたと思ってるの」

 まただ、また身に覚えのない過去がやってきた。それがまた悪寒を呼び覚まし、私の喉をくっくっと鳴らした。

 言葉に詰まる私を見て、優しい刑事さんは困ったように頭を掻いていた。

「うーん、正直に話してもらえないと、おじさんも助けられないんだよ」

 正直に話している。しかし、私の過去は別のものへと変貌しているのだから、それは嘘と同じなのだ。

 この感覚には身に覚えがあった。昨日、警察に囲まれたあの時と同じだ。私の体感でいうのなら7日前のあの日だ。

「う、え、え?」

「駄目だよ嘘ついちゃ。さあ、なんで逃げたりしたのさ」

 目眩というのは突然やってくるものだ。重力がなくなり、右へ左へと揺れ動くのをどうにか抑えた私に、さらなる追い討ちがやってくる。

「おやっさん。指紋が合いましたよ」

 出ていった怒りん坊刑事さんが扉の隙間から顔を覗かせ、そう報告した。それを聞いた優しい刑事さんの顔が、スローモーションのようにゆっくり険しくなっていくのが印象に残っている。

「残念だけど、あなたの罪状がもう1つ追加されたよ。轢き逃げ容疑と殺人容疑だ」

「さ、殺人? 轢き逃げでな、亡くなったのとは別なんですか?」

「うん、そうだね。容疑は男性の殺害だ。いま、凶器についていた指紋があなたのものと一致した」

「は?」

 重力が倍になると、もう私は座ってもいられず、床へと頭から倒れそうになる。

「おっとっと、大丈夫かい?」

 大丈夫かって? 大丈夫なわけがない。大丈夫なわけがない!

「知らない! 私、や、やってません! 私やってません!」

 また泣いてしまった。もう、なにが正しくて、なにが間違いなのかわからなくなって泣いた。世界が揺らぎ、足元がスカイツリーののてっぺんにいるみたいに不安定なものへと変わっていた。

 そして、私は落ちていくのだ。まっ逆さまに地獄へ向かって。

「やってない! やってない! 私はやってない! うわーーーーあっあっあっ!」

 大人げないのはわかっていた。でも泣いて喚くしかできなかった。それに暴れに暴れた。もう、これが現実だなんて思えなかったから。この狭苦しい部屋から飛び出せば、ドッキリの看板があるに決まってる。そう思って暴れまくった。

「離して! 嫌っ! 嫌っ! 離してーー!」

「取り押さえろ!」

「暴れるな! 落ち着け!」

「嫌っ! 嫌ーーーー!」

 これが私の7日と1日だった。そしてこれが始まりだと気づくのに、私は長い時間をかけた。

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