第7話 運命の日 ~その2~
神様は私に何をさせたいのか? おぞましく飛び散る人間の砲弾を見させるため? それとも、この惨劇を止めるためか?
「きゃーーーーっ!」
悲鳴は私のじゃない。私は地面に膝をついて車のフロントがぐしゃぐしゃになっているのを見つめることしかできなかったのだから。
車は歩道にぽっかりと空いた信号待ちの為の隙間へ突っ込んでいた。これがほんの数メートル左右にずれていたなら、車はポールに当たって親子たちは無事だったかもしれない。
「おい、大丈夫か?」
「救急車を呼んでくれ!」
足がすくんで動けないわけではなかった。ただ、全力疾走の爪痕が深かっただけだ。
だから、事故車の運転席側から人が出てくるのをよく見ていられた。運転席側は私から見て反対側だったが、割れた窓ガラスから人の姿を見ることができていたのだ。
「おい、あんた大丈夫か?」
信号待ちをしていた車から続々と人が出てきて、ある者は傍観し、ある者は救助に奔走した。また、ある者は興奮気味にスマホをこちらに向けている。
「くそ野郎……」
弱々しい声で運転席から出てきたのは大柄な男性で、事故の直後だというのに怪我一つしていない様子だった。そんな理不尽なことがあるか? 事故を起こした本人は無事で、事故にあった多くの人間は死ぬことになるだなんて、理不尽以外のなにものでもない。
「ま、待って!」
この位置からは男の顔は見れなかった。だから、私は男を追った。事故車を回り、公園の入り口に行くと男も走り出していた。逃げるためだろう。私はそう思った。
「待って!」
待てと言われて待つ人間が何人いるか知りたい。私の予想は100人いて1人いるかいないかだと思う。だから、男も待つわけがなかった。
「嫌っ!来ないで!」
どういうわけか、私の前を走る男は、さらに前を走る女性を追いかけているみたいだった。女性はなにやら男の子を抱えて必死に走っている。
そう、2日前のあの親子だった。彼女たちは事故に合わずに済んだのだ。ならばなぜ2日前にお礼なんかしたのだろう?
その答えはまさしくいまこの瞬間にある。
「はあ、はあ、待って! その人、はあ、捕まえて!」
山下公園は虚しく、寂しい場所だと思った。逃げる親子を追いかける男と、それを追いかける私以外に誰もいないときはとくに。
「きゃっ!」
「いたーい!」
母親が転び、男の子が泣き叫ぶ。それを好機と男がいよいよ親子へと襲いかかるのを、遥か後方から私が見ていた。
「嫌っ!」
「このクソアマ!」
男が母親に殴りかかっているのは、見ているだけで胸が締め付けられる。この世で最も卑劣な行為だ。2番目は親が子供を殴ることだろう。
「やめてー!」
私はそんな胸の痛みを勢いよく男の背中にぶつけてやった。まあ、走った勢いで止まれずぶつかっただけなのだが、私が日頃蓄えておいたウエイトが役にたつことになった。
「うおっ!」
つんのめって倒れた男に、私は勢いのまま馬乗りになっていた。必死でしがみつき、とにかく男が立ち上がらないようにするだけで一苦労だったが、それだけの猶予があれば親子が逃げられる。
「は、早く逃げて!」
「くそったれ!」
何分もがいたことだろう。いや、嘘だ。数秒でひっくり返された。対格差がありすぎるのだから仕方なかった。それに、男の力が強すぎた。
「このアマ!」
しかし、その数秒で十分だった。親子はとっくに逃げていて、その場には私と男の2人しか見当たらなかった。
私の勝ちだ! これで全部終わる!
私はやり遂げたのだ。紆余曲折はあったが、やはり過去は決定づけられていたに違いない。あの親子は助かる運命だったのだ。これからは平穏な日々に戻れるのだ。
過去に戻るという不可思議な現象もこれで止めばいい。そう思った矢先だった。
「また、お前か! なんなんだお前は!」
「え?」
「昨日といい、
「嘘……」
「この! お前のせいで! 全部滅茶苦茶だ!」
男の拳が私に振り下ろされて、あまりの痛みと驚きに気を失ってしまった。薄れゆく視界の中で私は天を見上げていたのを覚えている。
雲間から差す光が、天国への階段みたいに思えた。
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