第3話 逃げ出した日
目が覚めると朝だった。昨晩の記憶はアイドルの速報以降はないのだが、なぜか布団で寝ていて、それが不思議だった。
「今日は何日!?」
頭がはっきりしてくると、まずスマホで日付を確認した。
「23日!?」
もはや、現実だと思うしかなかった。私はまた過去へ1日戻っていたのだ。それが絶対にあり得ないとしても、いま目の前で起きていることは紛れもない事実だった。
「なんで? なんでなんでなんで?」
頬をつねると痛かったし、空腹で胃が痛かったし、窓を開けると冷たい風が肌を貫いたし、お風呂に入ると暖かい湯が身に染みた。
湯船に浸かる私は、混乱した頭で昔見た映画を思い浮かべていた。その映画は主人公が死ぬ度に過去へ戻るSF物で、たしかその力を使ってエイリアンと戦っていたはずだ。最後にどうなったか思い出せないのが歯痒くて仕方がない。
でも、私は死んでないし、1日を繰り返すわけでもない。ただ、1日過去へ戻っているのだ。
始めは楽観的だった。もしかしたら、過去に戻り続けることで、轢き逃げという身に覚えのない過去をなかったことにできるかもしれないと思っていた。
でも、もしこのまま過去へ戻り続けたらと思うと、そこからは悪い想像が頭から離れなくなってしまった。私はどこまで戻るのだろうか?
1週間や1ヶ月過去へ戻るのはまだいい。だが、もしも1年、いやもっともっと過去へ戻っていくとしたら、私はどうなってしまうのだろうか。
いまの私は歳をとっているのか? それとも、若返っていくのか? もしも、私が生まれる前まで戻るということになれば、それはつまり、35年という歳月を戻ることになる。そうなると私はどうなるか、想像するのが怖かった。
「赤ちゃんになるまで戻ったら、私は今日のことを覚えているのかな」
それ以前に、赤ん坊まで戻るということは生まれてきたこともなかったことになるのではないだろうか。それはつまり死ぬことと同義なのでは?
「寿命35年か……」
何を考えていたのかもわからなくなると、何をすればいいのかもわからなくなった。なにせ、これからは過去に進むのだ。まだ知らない未来に向かっていくのではなく、すでに知っている過去へ向かっていくというのは、生きていると言えるのだろうか。
「なんか、哲学的」
このときから私の頭は馬鹿になりつつあったと思う。人というのは、非現実的なことが起きると非現実的なことをするのかもしれない。
「そうだ、どっか行こう! 過去に行くってことは、お金が戻ってくるってことだ!」
私は頭のいい馬鹿になりつつあった。悲観的になって自殺しなかっただけマシかもしれないが、いま思うと本当に情けない限りだと思う。
「そうと決まれば早速準備しよう。そうだ、1週間くらい他所へ行けば、轢き逃げもなかったことになるかもしれない」
これを現実逃避という人もいるかもしれないが言い訳させて欲しい。もしも「あなたがやったことは良いことも悪いことも関係なく、なかったことになります」と言われたら、どうする? え、例えが悪いって? 私は馬鹿になっているから仕方がない。
「どこへ行こうかな。温泉なんかいいなー。沖縄みたいなリゾートもいいなー」
とにかく、私は人生をエンジョイするという名の逃避行へ舵を切った。もうどうにでもなれ、というほうが正しいかもしれない。
そうしてこの日の内に私は出発した。我ながらフッ軽すぎるとも思うが、それが私の長所なのだから仕方がない。
「ふうー、到着ー」
急な決定に時間もなかったので近場の温泉地を選び、夕方には熱海にいた。私は空いていた温泉宿の一番高い部屋をとり、高級料理に舌鼓を打って、温泉の効能を満遍なく堪能し、幸せな気持ちで床についた。
いい夢が見れそうだ。本気でそう思って寝た。ホカホカの身体と心に満足しながら目覚めた朝が最悪だったのは言うまでもないだろう。
目覚めるとそこは私の寝室だった。ホカホカの身体からはまだ温泉の香りがするのは良かったが、昨日飲んだお酒が重い頭をキックし続けるのはやめてほしかった。
「えー、ここに戻るの?」
どうやら過去に戻る時は必ず自分の家に戻るらしい。それもそうだ。温泉宿で過去に戻っていたら、昨日のお客と布団を共にしていたかもしれない。そうなれば大問題だ。また警察の取り調べを受けることになっていたら、パトカーの中で泣いていただろう。
「ん? なんで温泉の香りがするんだ?」
ここで私はもう一つの事実に気づいた。私の身体は過去のものではなく、未来に進んでいるのだ。つまり、歳をとっているということになる。これは大問題だった。
なぜなら、もしもこのまま生まれた日まで過去へ戻れば、私は70歳のおばあちゃんになっているはずだからだ。大学生の頃に戻るだけで50歳。50歳の女子大生なんて想像するだけで笑えない。
「ヤバい。これはヤバいやつだ」
私は3日目にして、ようやくことの重大さに気がついた。
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