かつて神童だった頃の栄光にすがるギャンブル依存症の40歳オッサンが異世界転生で人生逆転する話
ウルス(文芸部アカ)
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「ウルスちゃんは頭がいいから、将来はお医者さんになるねえ。そうしたら、おばあちゃんの喘息を治してね」
亡くなった祖母がよく言ってたように、俺は幼少のころ頭脳明晰で神童と呼ばれていた。
まあ子供に面と向かって「神童」と呼ぶことはないし、近しい人たちのひいき目もあるだろうからいささか誇張表現は許してほしいが、多くの人に期待されたり一目置かれる存在であったことは間違いない。
単純にテストの成績が良いということではなく、頭の回転やひらめき、当意即妙や臨機応変といった地頭の良さであったり、絵画や音楽、スポーツなどの面においても、本質を理解し、すぐに人並み以上の成果を出せる。そのうえで他人が求めていること、期待していることを察知し、場の空気を読んで適切なコミュニケーションが取れ、必要なアウトプットができる。それを幼少の頃からやってのけられれば、神童、あるいは天才というような評価を得られるものだ。
ただ一方で、そのように何でも卒なくこなすジェネラリストタイプは器用貧乏とも言い換えられる。
いずれもすぐに平均以上にこなしてしまうものの、トップレベルになれないと気づくことも早く、長続きしない。そもそも通常の学校生活を送るうえでチヤホヤされれば良いということが動機だったので、テストも医学部を目指して毎回学年順位が一桁のやつにはかなわなかったし、音楽や絵画やスポーツも、部活で上手いレベルのやつに勝つつもりではなかった。
あくまで学校のカリキュラムの範囲で上位の評価を得ることで満足してしまい、それ以上を追及したり、たとえ負けたからといって悔しいという気持ちもわかず、出る杭として打たれないように、へらへらと面白いキャラを演じることも忘れなかった。親や学校の先生の評価は保ちつつ、同世代の友人たちともうまくやっていくためには空気を読むことが必要だった。
その結果、特にこれといって明確な将来像なども持たないまま、偏差値が最高とまではいかないものの、名前だけなら高学歴と言える大学に進学し、20歳までは特に大きな苦労や挫折を知らずに、敷かれたレールの上を何となく進んで生きていた。
だがちょうど20年前の1月、20歳の時に初めてそのレールを外れた。
今となってはくだらないと思える理由かもしれないが、当時所属していたサークルの人間関係などから精神的に病んでしまい、結果だけ言えば精神科に入院し、大学は休学して治療することになった。
本当にこの時の選択を後悔している。いや当時選択の余地があったのかどうかわからないが、もし20年前に戻れるなら入院だけは絶対にしない。
令和の今なら不適切にもほどがあるかもしれないが、当時の精神科病棟には喫煙所があった。
患者は自由に外に出ることができないし、精神科という性質上、たばこを禁止にしてしまうと、それはそれで問題が起きてしまうことへの対処であるのだろう。とにかくその喫煙所はある意味聖域のような場所で、病棟自体は消灯が21時なのだが、そこだけは特別に24時まで灯りが点いていて、病棟内は歩ける程度に快復していたり眠れない人が集まるサロンのようになっていた。
俺も入院直後は余裕がなかったが、ひとまず病んだ理由の日常から切り離されたことで次第に心は落ち着き、食事やレクリエーションの時間に知り合った人たちに誘われて、夜は喫煙所に入り浸るようになった。
集まる人は大体決まっているものの、年齢性別職業も様々な人がいた。思えば学校関連のおおよそ同世代の集まりしか知らなかった俺にとっては、精神的な病という共通項以外は全くバラバラな集団に入るというのは初めての経験だったかもしれない。当時のバイトも学校の先輩の伝手で知り合いの学生も多い職場だったので、入院しなければ知ることがなかった人たちの話は非常に面白いものだった。
場所が喫煙所ということもあって、俺も煙草を吸うようになっていた。
幼いころに父の煙草が手に触れてしまいやけどしたことがあり毛嫌いしていた自分は一生吸うことはないんだろうなと思っていたが、喫煙所にいる限り煙は気になるし、自分で吸わないのに副流煙の害だけ受けてしまうのも癪だったので、少しもらい煙草をしてみたら意外と悪くない気分だったのだ。後悔その一。
入院から数週間が経って気持ちも落ち着いてきたころから、2時間の外出許可が出た。
当時の家は病院から15分ほどの近いところにあったため、少しだけ帰ることはできたものの、特にすることもなくすぐ戻ることになるためあまり意味を感じなかった。そこで喫煙所のメンバーに外出のときはどこに行っているか聞いてみたところ、パチンコ屋だという。
実はパチンコもそれまでに一度地元の友達に誘われたことがあり、その時は10分で2000円が無くなった。
まだちゃんとした金銭感覚が残っていた学生だったので、2000円あればカラオケやマンガ喫茶で何時間過ごせるかを考えたらバカみたいだったので、これも一生自分には無縁だと思っていたのに、ものは試しと病院近くのパチンコ屋に入ったら1000円が27000円になった。後悔その二。
体調がよくなるにつれて、外出時間は2時間、3時間、4時間と増え、そのほとんどはパチンコを打って過ごしていた。ビギナーズラックが続いてしまい、入院中はほとんど負けることがなかった。喫煙所の人と連れ打ちに行った時も俺が真っ先に大当たりを引いていたりした。
結局入院生活自体は2か月もなかったが、退院する頃にはパチンカス・ヤニカスの人間が出来上がっていた。
今回はここから先を一気に端折るが、結果として20代、30代の貴重な時間と金を無駄にし、40歳の今も返さなければいけない借金が残っている。
まさに失われた20年だが、それでも運よく仕事には就いているし、一人で生きるだけならかろうじてできている。
ギャンブルももう7年は止められている。
それでも依存症であることには変わりないし、加熱式になったとはいえ煙草も吸っている。アルコールへの依存もひどく脂肪肝や高血圧、肥満などの大抵の生活習慣病をかかえ、いまだに心療内科で抗不安薬をもらい、その薬にも依存して容量を守らずに飲むこともしばしば。結婚などもできず友達はおらず、家族とも疎遠。自ら命を絶つほどの辛さではないものの、もう人生消化試合だと思って過ごしている。
それでも、まだ人生を諦めきれない心残りがある。
それは、自分の創った物語を完成させること。
幼少期から何でもそこそこにこなせてしまったが故に、どれも長続きしなかったが、創作への憧れはたびたび思い出したように沸き起こる。
小学生の時に自由帳に描いていたマンガ。
中学生の時に設定ばかり考察していたRPGツクールのゲーム。
高校生の時に美術の授業の一環で作った絵本。
大学生の時にブログで連載していたギャグで漢字が学べる記事。
病んでからはありがちな一発逆転を妄想してラノベの賞に応募。
どれも最後までやり切ることができずに、中途半端にしてきてしまった。
40歳になり、年齢の問題だけではなく、あらゆる物事への興味関心が薄れてしまってきている今、昔できなかったことができるようになるとは思えないけれど。
それでも、何かを創作したいという気持ちはまだ残っている。
いまさら仕事にしたいとか、その道を極めることはもう求めていない。
けれど、死ぬ前に何か一つでも、形として残せるものを創りたい。世間一般の40歳に比べて知識も経験も努力もせず、このままでは孤独死を待つばかりの弱者男性だけれども、いつまでも20年以上前の栄光だけに縋るだけじゃなく、しっかり今を生きるための彩りが欲しい。
他の誰でもない、俺自身を救うために、もう一度書くことに挑戦してみよう。
頭の中にはずっとあるのだ。
それを形に残してみよう。
どうなるかはわからない。どうせいつもの通り長続きしないかもしれない。40歳になっても稚拙であることに恥じて気力を無くすかもしれない。
ただそれでも、再びこの決意を持った今日を記録しておくために、この文章を残しておく。
願わくば、次の20年を生きててよかったと思えるように。
かつて神童だった頃の栄光にすがるギャンブル依存症の40歳オッサンが異世界転生で人生逆転する話 ウルス(文芸部アカ) @ours_bungei
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