1-10-A「How to kill Evil you hate」

「あぁぁあぁあああぁぁぁあああああぁああああぁぁぁああぁぁあぁあああああああ!!!!!」


そうだ。思い出した。ヤツこそ正当な方法では裁けない極悪人だ。

思い出してしまった。思い出さないようにしていた全てを。思い出してしまえば憎悪に煮えくり返って、生きてはいかれないのに。


荒い呼吸を繰り返しながらオレは発作を鎮めるために薬を飲む。

憎んだってどうしようもなかった。恨んだってどうしようもなかった。


オレがあれこれと理由を付けて無意識に警察を避けていたのも、どうせまた数年経ったら戻ってきてしまうことを無意識はきちんと覚えていたからだった。

どれだけの怒りと激情を溜め込もうとも、かつてそこには越えられない道徳の壁があった。


「クソッ……殺してやるっ……」


今度こそ逃さない。ヤツの事情なんぞ知ったことか。たとえ何があろうと、やっていいことと悪いことがある。

アイツのやってきたことは悪いことの方だ。アイツのせいで家族も人生も夢も、何もかもが潰えた。


未だにあの日の感覚が新鮮に蘇る。ヤツに対してマトモに怒れたことなど一度だってなかった。怖くてどうしようもなかった。


ヤツは改心しなきゃいけない。いや、そんな悠長なことを言っている暇はない。ヤツは本当の意味で生まれ変わらなければいけない。改心することなく、復活することなく。死によって一度全てを無に帰して、それからまた始めなければいけない。


「今度こそ、良い人間に生まれ変わって過去の罪を精算してもらう」

「ははっ、ヴァーニって日曜礼拝とかする方?」


それが質問ではないとわかっていたからオレは何も答えない。


「てっきり『アイツがやってきたことを後悔させてやる』とか言って今までやられてきたことリストアップでもして上から順に全部やっていくのかと」

「テメェは嫌いな人間にレイプされて、レイプし返すほど頭おかしくなってんのか?」


軽く「ないね」とでも言うかと思ったが、メイは自分を抱きしめてゲッソリとした顔をした。


「おれヴァーニのこと嫌いかも」

「オレもテメェが嫌いだよ。嫌い同士仲良くしようぜ」


吹けば飛びそうな細い身体。オレでも勢いをつければ力任せに折れそうな手足。脳味噌が沸騰しているからか、目の前のメイのことまで痛めつけるシミュレーションをしているのはさすがにまずい。


「それで、どうすんの」

「殺す」


「即答じゃん」と笑うメイが内ポケットから錠剤を取り出す。


「筋弛緩剤、全身麻酔の時に使うようなやつと効能一緒。痛めつけたいなら使う?家にある銃でバァンでいいの?」

「……決めてねェよ」

「えー、絶対捜索入るし証拠隠滅と無罪証明のためには緻密に行った方がいいと思うけどなぁ。路地裏に呼び出して撃ってそこら辺のチンピラのせいにするとかさぁ。お膳立てはおれがするから、ヴァーニはバァンとやっちゃってよ」


スマホを取り出してクルクルと椅子ごと回るメイ。

こいつの交友関係が未知数すぎるが、今は気にする必要はない。


「ンや、アイツを殺した後は出頭する。やっちまっちゃダメなことをやっちまったら、やるべきことをやるべきだろ」

「うわぁー生きづらそうな思想」


メイが肩をすくめて、それから言った。「ここに来た目的は果たしたみたいだね」


「……所信表明はな」

「その時になったらおれ、ヴァーニに情状酌量がかかるよう証言してあげる」


時刻は6:00、バーは閉店の時間だ。


「待ってる」


あの日と同じセリフを背中に受けてオレはバーを出る。

きっと今度こそ、二度と会うことはないだろう。オレはアイツを殺した足でそのまま警察に出頭するつもりだった。


殺人の罪は何年の懲役になるだろう。長い服役期間で、オレはまた昔のように戻れるだろうか。

アイツがいない生活はどんなだろう。アイツがいなければ、オレは平穏な生活を送れるだろうか?


物心ついた時から一緒にいた存在。すぐ隣に張り付いていた存在。それを殺す。

数十年越しの責任を、今から取りに行くんだ。


***


雲が厚く空を覆って、日光はまばらにしか当たらない。

ミルウォーキーの冬と言えば、得てしていつもこんな感じであった。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


気温は11℃、しかしヴァレンティノにとってはどちらかと言うと暑かった。

すぐに暑くなることを想定しての薄着だったが、辺りを見回しながら走るとなると想定より体温が上がる。


「兄さん……」


彼が帰らずもう3日。最初の1日、ヴァレンティノは疲れて寝ていたので探し回っているのは実質2日だ。

それでも夜通し探し回るというのは精神的にも肉体的にも来るものがあった。


「……何故」


彼が先生と呼び慕っていたカウンセラー、ジェームズにも連絡は通し、ジュディにも心当たりがないか聞いた。

しかし2人とも役には立たず、ヴァレンティノはこうして辺りを虱潰しに探して回っている。


互いにレンを見つけた時にはすぐに他のメンバーも合流できるようにスマホの位置情報を交換して、スピーカーでグループ通話状態にしてあるのは万一ヴァレンティノがレンを見つけた時のための策だ。


とっくに成人済の男一人が2、3日家に帰らなかったって不思議はなかった。けれどヴァレンティノには、彼が家出をする心当たりがあった。


「ここか……」


もう随分と使っていないGPSに残っていた過去の滞在記録を遡り、辿り着いたのは入り組んだ場所にあるバー。

客の入りが悪そうな、立地に恵まれない場所だった。


扉にはCLOSEDの文字が入っている看板が掲げられている。しかしお構いなしにヴァレンティノは扉を開けた。

カランカランと扉の飾りが鳴る音が静かな店内に響き渡る。


「耳が痛いな」


片耳を押さえながらヴァレンティノは店内を見回す。やはり、いないか。それとも……


「ありゃりゃ、一歩遅かったね」

「メイ!」


集中していたからか、人の気配に全く気付かなかった。

カウンターの奥から現れた見慣れた赤毛のもじゃもじゃが、意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「兄さんは、今しがた出ていったところか」

「どうだろうね。ここにいたのは確実だけどね」

「兄さんと、何を話した?」


メイはヴァレンティノを試すような口調で答える。


「とぅっても面白い話」

「その内容を聞いているんだ」

「すぐにわかるよ、ほら」


そう言ってメイが掲げて見せたのは古ぼけた指輪だった。ブランド物ではない、誰にでも手が届くような廉価品だ。



「兄さんの……!」

「チノの追跡能力ならどうせすぐこっちに来るだろうなと思って、ヴァーニから盗んじゃった」


と言っても盗んだのは結構前だけど、必ず今日取りに戻ってくるよと笑うメイ。


ヴァレンティノは微かな記憶を探り、それがレンのお守り代わりの指輪であることに気付く。


「兄さんの昔の女とペアで付けていたものか。何故今日取りに戻ってくるとわかる?」


メイの意図は幼馴染であるヴァレンティノですら掴みきれないものだった。


レンが普段はお守り代わりとして持っていて、失くしても気付かない程度の価値のものが今日どれだけの意味を持つかなど、レンとメイの会話を聞いていないヴァレンティノにはわからない。


「そりゃだって、復讐を果たすつもりなら思い出のものに願掛けするに決まってるでしょ」


ふとヴァレンティノが後ろを振り向く。それは耳の良い彼にしか聞こえない音だった。

100メートル程先だろうか、とヴァレンティノは思案を巡らせる。


彼に聞こえた音はレンの足音。ゆっくりと惑うように近付いてくるその足音にヴァレンティノは身を固くする。


「……兄さん」

「なぁメイ、意気揚々と出ていった癖にすぐ戻ってくんのメチャクチャかっこ悪ィのはわかってんだけど、ここら辺に指輪落ちてなかったか?」


レンはヴァレンティノの呟きには気付くことなく、下を向きながらバーの中に入ってくる。おもむろに顔を上げるとその視界は確実にヴァレンティノを捉えた。


「お探しのもの、2つともありますが……ヴァーニが探していたのはこの指輪?それとも、チノ?」

「ッ……!」


指輪をクルクルと指で回しながらおどけてみせるメイに、レンは眉を歪ませた。


「カラクリ人形が無様に踊り狂う舞台はセッティング済みだったってワケかよ」

「察しが良くて助かるわ。おっとここになんとデザートイーグルが!ヴァーニにあげる」


そう言ってメイが投げた拳銃が空に弧を描いてレンの手中に収まる。その手応えを確認してレンは安全装置を外し、弾を装填した。

銃口をヴァレンティノに向けると、レンはそのままトリガーに指をかける。


「兄さん、頼むから正気に戻ってくれ」


ヴァレンティノは向けられた銃口に怯むことなくレンを諭そうとするが、レンは全く聞き入れようとしない。

むしろその顔を憎悪に歪ませ。


「正気に戻れだと?テメェに言われたかねェよ……!」


カウンター席に座って静かに状況を見守るメイの目の前で、レンとヴァレンティノの2人は一触即発の状態に入っていた。

トリガーにかかっているレンの指は全く動じていない。この場ではヴァレンティノだけが聞き取れるレンの心音も状況とは裏腹にフラットだった。


ここまでか、とヴァレンティノは状況を諦観する。こうなってしまってはどうにもできない。一歩でも動けばおそらく銃口が火を噴くだろう。変な場所に当たって後遺症が残ることになるよりは、状況を受け入れて一思いに死んだ方が客観的にはマシなのだろうなと彼は考えた。


「責任を取る。オレは責任を取ってテメェを殺すんだ。準備はいいな?」

「……兄さんが、そうする意思を固めたのなら私が言うことは何もない」


レンは憎悪を指先に集中させる。自分の命がかかっている時に、こんな風に変に冷静でいるヴァレンティノのことが、レンは何より嫌いだった。

人とは纏う雰囲気が違う。人とは持っている価値観が違う。こんな得体の知れない化け物相手に、よくぞここまで耐えたものだとレンは思う。


しかしそんな地獄はレンにとっては今日で終わりだ。今日で終わり、地獄の第2幕が始まる。罪を償い、少しずつ傷を癒していかなければならないのだ。


『レン!』


音割れした声が突如として店内に響き渡った。その場にいた3人全員が驚きに一瞬気を取られる。

それは、ポケットに閉まってあった、スピーカー通話状態にしてあるヴァレンティノのスマホから響く声だった。


「先生……ッ!」

『聞こえる?聞こえてそうだね……良かった。レン、落ち着いて。とりあえず拳銃を床に置くんだ』


ヴァレンティノは状況を理解する。ジェームズはずっと、通話状態のスマホ越しに会話を聞いて状況を察していたのだろう。

ヴァレンティノはポケットからスマホを取り出し、レンの方へと差し出した。その耳障りの良い声が、彼の耳によく届くように。


『上手くいかなくて焦る気持ちはわかる。でも、今その拳銃を発砲したらもう戻れない。一生、罪の意識に苦しむことになるんだよ』


その声にはスマホ越しにも伝わる温もりがあり、確かにレンの心にすっと届いた。

しかしそれだけでは決定打にならない。レンは振り払うように叫ぶ。


「気持ちがわかるだって……?!わかるわけねェだろ、オレが今までどれだけ地獄を味わってきたかなんて!こんな苦しみ、オレ以外の誰が味わってきたって言うんだよ!」


その悲痛な叫びにスマホの向こうで息を呑む音が微かに聞こえた。

レンは息を荒らげながらヴァレンティノに一歩、また一歩と近付く。


『……君の気持ちに』


スマホの向こうの声が躊躇いがちに言った。


『君の気持ちに共感を示しても、同情を示しても、確かに僕が君の気持ちを真に理解することはできない。同じ苦しみを味わうこともできない』


それはとても悲しそうな声だった。


『けれど君に寄り添うことはできる。君のために、いくらだって動くよ。僕も、ジュディだって』

「じゃあ待てって言うのかよ?わかってるよ、トラウマの治療とかカウンセリングが一進一退なのは知ってる!知ってるんだよ……でもオレは、こいつが一歩逆戻りするのに耐えらんねェんだよ!長い目で見るとか、どう頑張れってんだよ……!」


レンの目頭に熱いものが込み上げてくるのと同時に頭に血が昇り脳味噌が沸騰する。

半狂乱になりながらレンは大きく一歩を踏み出しヴァレンティノを押し倒した。

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