1-9 『Memory of the Heretic』
それはいつものように、突然送られて来た。
何の前触れもなく、一切の警告なく、本当に突然。
LIMEに送られてきた動画を何の気なしに再生して次の瞬間、オレの思考は止まった。
『兄さん、見てる?ほら、兄さんの家族が仲良く並んでるんだ。兄さんは、私と違って家族がいるんだってね。知った時はね、すごく悲しかったの』
朧気にある昔の記憶を辿れば、すぐに撮影地がオレの家だとわかった。
『一人足りないみたいだけど、両親揃ってたからやっちゃった!堪え性なくてごめんね?』
辺りは血塗れで、もちろん映像の中の両親も顔が原型を留めていない。悪質コラの類だろうか?オレの脳味噌は「それ」の理解を拒んだ。
『ねぇ兄さん、やっとこれで僕たち家族だね。本物の家族。ママもパパもいなくなっちゃったから、兄さんは私を愛するしかなくなっちゃったね』
画面の中に広がる余りにも悪質な光景に吐き気がする。
『兄さん、次の動画もあるよ』
タイミングを測ったのか、シュポっと音がして次の動画が送られてくる。
何となく見てはいけない気はしても、オレは動画をタップした。
『やめてぇ!あ゙ァ゙ッ!!い゙や゙ぁ゙!!』
それはまだ、両親が生きている動画だった。
オレは思わずスマホの電源を切って荒くなった呼吸を整えようとする。
「兄さん、ちゃんと見てよ。私が兄さんの一番になるための儀式の
スマホの電源は落としてあるのにアイツの声が聞こえる。スマホから目を離すとすぐ目の前にヤツがいた。
「ひっ……!」
思わずバランスを崩して尻餅をつく。ヤツはその上に覆い被さってきて自分のスマホの画面を見せた。
「兄さん酷いよ。ずっと私に隠してた、家族がいること隠してた。ジュディは隠さなかったのに、兄さんは隠したんだ」
ちゃんと見届けてあげなきゃ、そうじゃなければ誰が見届けるの?と笑うヤツにオレは何の意味のある言葉もかけられなかった。
疑問も恨み節も、恐怖の前に全て屈して。
オレなりに愛していた家族は原型を失って。
「助けて……くれ……」
理解を拒んだ脳味噌で、それでも冒頭ヤツが言っていたように。一人足りないことにどうにか希望を見出そうとして。
でもきっと彼が帰って来たらその惨状を見て「またお前か」と罵られて、アイツに殺される前に彼にタコ殴りにされるんだろうなと、結局家族に迷惑をかけてまた捨てられるんだと。
それでもいいから、生きていてくれと願わずにはいられなかった。
***
誰もがオレに注目する中、一人だけオレに全く興味を示さない小さなガキを見つけた時、運命を感じた。
ヴァレンティノという名前を聞いた時、運命を感じた。
彼がオレの新たな弟だと確信した。
初めて彼を見た時、ふと幻覚が見えたんだ。
行方不明になった弟に、奇しくも彼は似ていた。
彼は不思議な雰囲気を纏う子供だった。
いつも一人で積み木遊びをして、周りの子とは遊ばない。近寄るなという雰囲気すら感じられた。
何を考えているかわからないし、何も喋らない。話しかけても聞こえていないことが多かった。
「なぁ、テメェ耳聞こえねェの?」
なるべく大きな声でゆっくりとジェスチャーを交えてそう聞いたことがある。
すると彼はやはり聞こえていないのか、数秒ポカンとした後に意味のわからないことを言った。
「僕の耳が聞こえないと思うのは勝手だけど、ちゃんと色んな実験方法で僕の耳が役に立たないことを立証した?」
ああ、道理でいつも一人でいるわけだ、とその時悟った。こんな応対の仕方をしていたら嫌われて当然だ。
「じゃあ、聞こえるのか?」
「……空調のモーター音」
彼は指を天井に向けた。その次に外、オレ、自分の方に指を向ける。
「外でみんなが遊ぶ声、鳥のさえずり、風の音。君の呼吸音、心拍、喉が鳴る音。僕の呼吸音、心拍、血流の音。部屋の中で何かが軋む音。姿勢を崩した時に鳴る骨の音。こんなにたくさんの雑音がある中で、君の声だけを判別するのは無理だ。……正確には、非常に難しいと言わざるを得ない」
外でみんなが遊ぶ声しか、オレには聞き取れなかった。耳を澄ませばギリギリ空調の音は聞こえたが、それ以外は全く聞こえない。
「耳、良いんだな」
「良すぎて悪いんだ。どの雑音も平等にうるさく聞こえるから、どれが僕に向けられた音かわからない」
「今は?」
「君の声に集中してる。君の声がもう少し小さかったら聞こえないと思う」
オレにはほとんど彼の言っている意味がわからなかった。一つだけわかったことは、彼が不思議な雰囲気を纏っているのは、彼が他の子供と違う世界に生きているからだということだけだった。
それでもオレは彼の纏う不思議な空気感に好奇心が揺さぶられて、肩を叩いて彼を呼ぶようになった。
「何で君は僕に構うの。他のみんなとも仲良くしてるのに僕に構う必要ないでしょ」
オレは施設に来てすぐ、陽気な性格で施設の仲間全員と親しくなっていた。それでもオレのお気に入りは彼一人だった。
「オレはテメェの兄さんだからな!」
「……初めて会った時も同じこと言ってたね」
訝しげにオレを見る彼とオレは肩を組んだ。
「兄弟がいる方が、淋しくないだろ」
そんな感じで、最初はオレの方からグイグイ行ってウザがられたこともあった。けれど時が経つにつれ信頼を獲得したのか、いつの間にか彼がオレの後にくっつくようになっていった。
「あんな不思議くんと仲が良いなんて、あなたも不思議くんね」なんて、施設に併設されている教会のシスターに揶揄されたが、オレは全く気にとめなかった。
彼は意外にもわかりやすい子供で、オレが構ってやると嬉しそうにぱぁっと顔を明るくしてずっと顔を輝かせていた。
オレも調子に乗って兄貴分として色んなことを教えた。彼は吸収が速くて、オレが絵に描いたことは何でもすぐに覚えた。
最初は施設の誰より仲の良い兄弟だった。
それがおかしくなったのは、オレが施設にジュディを連れてきてからだった。
「ジュディだ。こいつテメェより背が高いからテメェの新しい兄貴な。オレはジュディより年上だから、オレがビッグブラザー。OK?」
感情の読めない顔をしながら彼が放った一言を今でもよく覚えている。
「ジュディは兄さんじゃない」
全くオレの発言の意図を汲み取らずにそう言ったもんだから、ジュディはびゃあと泣いてしまって事態の収拾を付けるのが大変だった。
思えば最初の出会いから、ジュディと彼は上手くいっていなかった。
彼の目の前でオレがジュディと仲良くしていると、彼はわかりやすく不機嫌になった。
何度言っても聞かせても、「兄さんの弟は僕だけだ」の一点張りで埒が明かなかった。
聞き分けの良さはジュディに軍杯が上がり、オレは段々とジュディに熱中するようになっていった。
わかりやすく彼を避けたりもして、当初の彼への熱はもう完全に冷めていた。
それがきっと、良くなかった。
かつて施設を卒業した者として施設でバイトしながら施設の子たちと触れ合った経験のある今なら痛いほどわかる。その行為がどれだけ残酷なことだったか。
興味本位で相手に接触し、相手の信頼を得てすぐに興味をなくして捨てる。それは、いくら幼かったといってもやってはいけないことだった。
だからこそ、オレにはバチが当たったんだ。
オレがジュディの方を構うようになって数ヶ月、彼はオレを施設に併設された教会に呼び出した。
夕方とはいえ平日。教会の中には誰もおらず、中央奥の銅像の前に小さな影がポツンと一人で立っているだけだった。
子供ながらにその光景が異質に見えたのを今でもよく覚えている。
彼の纏う雰囲気と教会は絶望的に合わなかった。
「兄さん」
彼が振り向いた瞬間、眼光に身を焼かれた気がした。
「ヤバい」、直感的にそう悟ったが、彼への罪悪感も少しあったことからオレはすぐには逃げられなかった。
「兄さん、こっち来て?」
「……おう」
一歩ずつ距離を詰めて、互いに手が届く距離に行く。
すると彼はオレに銃を突きつけた。
「え……?」
「兄さん、言ったよね?兄さんは私の兄さんだって。また私を一人にするの?また私一人になるの?兄さんは私を捨てるの?」
カチャッと音がして、弾が装填されたんだと気付く。
「ねぇ、一緒に死のう?」
彼がオレの手を取って、オレの手で拳銃を包み込む。
「気付いたの。ここで一緒に死ねばイエス様が私たちの愛を認めてくれる。ここで一緒に死ねば私たちは一生一緒に、傍にいられる。一緒に死んで、愛を誓い合って、ここで腐って、ドロドロに溶けて。溶けて一緒になって、どっちの死体か判別がつかなくなって。そうすれば一つになれる。ずぅっと一緒」
彼の言っていることの大半は難しくて、オレにはいつもわからなかったが今回ばかりは何やら危ない思想に走っていることはわかった。
「ドロドロに溶けて混ざり合って、虫に血と肉と内臓を食べられて虫のお腹の中でまた一緒になるの。虫のフンとして混ざり合って、落とされたフンが養分になってそこから綺麗な植物が芽吹いて皆が美しいって認める花を咲かせて、未来永劫人々に私たちの一部が愛でられ続ける。もう一部は虫の幼虫の養分になって新たな命を芽吹かせて、命の環の中で延々と私たちが受け継がれていく。とっても素敵なことでしょ?」
「死にたくない……」
「どうして?生きてても辛いだけなのに。生きてても兄さんは私と一緒になってはくれない。死んだら一緒になれる。死ぬしかないでしょ?」
何で、どうしてこうなったのか。考える間もなくオレは彼を止めるしかなかった。まだ彼の恐ろしさを知らなかったオレは、どうにかこうにかその一瞬の激情を鎮めてもらえるように嘘八百を並べ立てた。
「いっ……一緒にいる!生きてても一緒にいるからっ……死んだら一緒に色んなとこ遊びに行けないし、色んな飯食って笑えないし、良いことねェじゃん!オレ、テメェの言うこと何でも聞くからさっ……何でもテメェの望み通りにしてやるから……頼む!」
「ホントに?」
「ホントだっ……」
この一瞬を切り抜ければ。そんな甘い考えはけれども通用しなかった。
「わかった、じゃあこれ食べて?」
「いっ……」
彼が差し出してきたのは脚がモゾモゾと動いているゴキブリだった。
「や……」
「言ったよね?望み通りにしてくれるって。それとも一緒に死ぬ?」
有無を言わさぬ雰囲気に、オレは従うしかなかった。
どれだけ嫌なことでも当時のオレにとっては、代わりに命を差し出せるものではなかった。
オレが半べそをかきながら指示に従うと、調子に乗った彼は「生きてても兄さんと一つになる方法と言えば……そうだなぁ、セックスしかないよね」と笑った。
何が悪かったのか。何がいけなかったのか。わかっていても受け入れ難く何度も問い直してしまう過去がある。
その日、まだ小学校も卒業していない小さな悪魔と、誰にも言えない関係を結ぶことになったのは、バチが当たったにしては大きすぎる罰だった。
***
「も……ぅ……やめて……くれ……」
何度も何度も、アイツの機嫌を損ねてはアイツに動画を無理矢理見せられた。
血塗れの家の中で、血塗れの両親が肉塊に変わっていく様子。
目を逸らしても無駄だった。全部見届けなければ許して貰えない。
そうやって恐怖を植え付けて、オレを人形のように扱うのがヤツの戦法だった。
「ふふっ、泣いてる兄さんも可愛い」
ヤツは中学生の時、オレの大事な両親を殺した。
たとえオレを捨てたとしても、愛する両親だった。
そんな悪魔のしでかした罪は、何らかの障害と精神疾患が認められたことによる数年単位の病院拘留でチャラになった。
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