1-7 「The result of not doing anything」

「彼女が、私の結婚相手だ」


クリスマスが過ぎたある冬の日、レンの弟ーーーヴァレンティノがレンの元に遅れて持ってきたクリスマスプレゼントは、レンにとって最高の贈り物だった。


「初めまして、お義兄さん。私は駒塚彼方と言います。日本から留学してきた留学生で、ヴァレンティノくんと今度結婚するんです」

「……は?」


成程彼方という女性はとても美人で、イケメンなヴァレンティノとはお似合いといったような人物だった。しかしレンは自分の弟がちゃっかり彼女を獲得していたとは露知らず。


「あ?テメェいつの間に彼女できてたの?」

「あぁ、言ってなくてすまない。この頃大学に夢中になっていたのは彼女のせいなんだ」


恥ずかしそうにはにかむヴァレンティノは初々しい大学生そのものだ。


「え、ヴァレンティノくんったら、お兄さんに何も言ってなかったの?」

「私が彼方の魅力を話したら兄さんまで彼方に夢中になってしまうからな」

「そんな、ヴァレンティノくんったら」


彼方のことのみならず、ヴァレンティノは大学生活のことを一ミリたりともレンに話したことはなかった。しかし持って帰ってくる個票はすべてA、大学入学後の成績は全てGPA4.0を保持しており、トントン拍子に進めば主席卒業も順当な結果であることからレンも何も聞いてこなかったのである。


その結果がこれとは皮肉なもので、自分のセフレはヴァレンティノによって殺されかけたのに当の彼は外で学業以外も充実させていたと知ると、レンは今すぐ別れろとでも言いたくなるような心地だった。


「スゲェ美人な女連れてきたと思ったらそういうことかよ、早く言えよな。おめでとう、2人とも」


だがレンもそこまで馬鹿ではない。結婚ということは二人で住まう新居も用意するはずだ。それほどレンにとって都合のいいこともなかった。

ヴァレンティノがレンの元を離れれば、レンは一人で悠々自適に暮らせるのだから。


「ありがとう、兄さん」

「ありがとうございます、お義兄さん」


2人が幸せそうに肩を寄せ合う雰囲気はまさしく新婚夫婦のようだ。


「それで、結婚って言ってたけどまさかデキたってわけじゃねェよな?」

「まさか、学生のうちに彼方に手を出すなど有り得ん」


ヴァレンティノは無罪だとでも言うように両手を顔の横まで上げる。


「なら心配はねェな。ンじゃ色々準備しねェと。オレ金ねェから祝い金とか出せねェんだけど大丈夫か?」

「それが、彼方が懇意にしている叔父さんがいるらしくてな。彼方が結婚の報告をしたら喜んで全てお膳立てすると申し出てくれたんだ」

「怪しい話じゃないですよ!私が小さい頃一度アメリカに来た時に仲良くなって、それからちょくちょく連絡してたんです」


細かいことは元々気にしない性格のレンである。言われなくとも根掘り葉掘り聞くようなことをするつもりはなかった。


「そりゃ良かった、結婚式には招待しろよな」

「兄さんに晴れ姿を見せられる日が待ち遠しいな」

「でも、ちょっと恥ずかしいかも。たくさんの人に見られるんだもんね?」


笑顔で話している2人の姿が微笑ましくも、ヴァレンティノにパートナーができて大丈夫なのかと不安になる気持ちをレンは無理矢理に抑え込んで笑った。


***


「彼方が……死んだ?」


オレは思わず小さく呟いた。


「兄さんは私が帰ってきてから、私がどこかおかしいことに気付いていたんだ。だからカウンセリングを提案してくれた。私もその誠意に応えようと思う」


先ほどからちょくちょく感じていた違和感。それはこのすれ違いにあったのだとオレはようやく気付いた。


オレはずっとヤツの元々の性格について話していたが、ヤツは違った。ヤツはオレのところへ帰ってきてからの話をずっとしていたんだ。


「ヴァリー、それって……子どもも?」

「……ああ、事故だった。生き残ったのは私だけだ」


今まで隠されていた、突然帰ってきた理由がまさかここで明らかになるとは思わなかった。あの美人な妻と、何度か顔を見せにきた可愛い娘が亡くなっていたなんて信じ難い話だった。


「葬儀は私と、彼女が死んだ時に連絡が行った身内数人とだけで済ませた」


もう2年前の話だ、とヤツが目を伏せる。


2年前と言えば相当な時間が経っている。ヤツが帰ってくるまでの空白の2年間、ヤツは一体どう過ごしていたのだろう?


そういえばヤツと最初に再会したあの日、ヤツの髪は伸びっぱなしだった。人に執着しがちなヤツのことだ。妻と娘という執着対象を同時に失ったら正気ではいられないはずだった。


「それは……とても辛かっただろう。大丈夫、みんな君の味方だから、一緒に乗り越えていこう」


話を瞬時に理解した先生は、それに話を合わせる。さすがプロだ、微塵の狼狽えすら見せない。


「……ああ、迷惑をかけてすまない」


道理でカウンセリングに前向きだったわけだ。ようやく全てに納得が行った。確かにそれなら全ての辻褄が合う。


思わぬ事実の解明と定期的なカウンセリングの予約が入ったところで、それぞれヤツに励ましの言葉をかけながら食事は終わった。



先生は「レンの想定していた形とは違うだろうけど、家族を亡くして病んだ精神の回復という名目でカウンセリングはできるわけだし、後は僕に任せて」と言ってくれた。それからは思ったよりずっと平穏な日々が過ぎていった。


アイツと暮らしているとは思えないほど平和で、共同生活の上での厄介事はあれどそんなのは全て瑣末事に過ぎなかった。

このまま平和に全てが上手くいくのだろうなとボンヤリと考えていたが、その見通しが甘かったことに気付くのはまだ先の話だ。


***


「お疲れー今日の分は終わりー!次は明日夜19:00集合でー!」


現場責任者の声が響き渡り全員の作業がストップした。

オレは機械を所定の場所に戻しながら汗を拭く。空を見上げるともう日が昇り始めていた。


「ほい、今日の分の給料」

「おっ、サンキュー!」


日雇い制のバイトは毎日給料が貰えるところが一番の魅力だ。その場で手渡しなのもオレにとってはポイントが高い。


深夜から早朝の時間帯というのが結構キツいが、アイツに合わせて徹夜になることも多かった身体だともう慣れてしまっている。ここ最近身体はダルいが、アイツがいるとはいえ自分の生活費は自分で稼がなければならない。


家に帰る前に薬を飲んでから、中古オークションで競り落とした安いバイクを走らせる。もうそろそろエンジンがかからなくなってきたので替え時だ。


「ふんふーん」


鼻歌を歌いながら帰路を走り、家に着いた。2階に上がって端の部屋に行く。

もうあたりは完全に明るくなっているから、アイツは寝た頃だろうか。

なるべく聞こえないように静かに玄関を開ける。


「ひっ!」


思わず扉を閉める。

心臓がバクバクと波打つ感覚が全身から伝わってくる。

今扉を開けてすぐ見えたのは何だった?少なくとも家の廊下ではなかった。禍々しい雰囲気を溢れんばかりに晒していた、そう。人間だ。


「アイツ……か?」


反射的に扉を閉めたため顔はよく見ていなかった。だがオレの目線の高さで顎と口元が見える身長差と言えばアイツだ。何故アイツが扉の前にピッタリくっついて立っているんだ?


これ以上踏み込んではいけないような雰囲気に扉の取手にかけた手を動かせない。

そういえば昨日はカウンセリングを受けて帰ってきたはずだ。先生と何かあったんだろうか?それにしたってあの禍々しさは尋常じゃない。


息を呑む。アイツに長い間付き合ってきたオレだからわかる。アレは、これ以上接触してはいけない。あの雰囲気は、アイツがとことん精神が不安定な時の雰囲気だ。


カウンセリングを定期的に受けていれば、向き合わなければならない事実にとことん精神が沈んで死にたくなることもあるのはオレも、経験者だからこそ知っていた。


けれどアレは、オレの生死に関わる。

完全に油断していた。アイツが定期的にカウンセリングに通い始めてからここ3ヶ月ほどは随分と安定していて、アイツがオレに手を出す素振りもなかったから、もう大丈夫なんだと安心していた。


「兄さん……」


久々に全身が恐怖に泡立って胃が縮む。扉が押され、中からアイツが顔を出そうとするのを反射的にオレは前に体重をかけて扉を押し戻す。


「おっ、おい、大丈夫か……?」


ギギギギギ……と扉が軋む音が妙にオレの恐怖を掻き立てて冷や汗が止まらない。


「顔、見せて……?」


扉の隙間から白い腕が出てきて、反射的に後ろに避けた。


「あっ……!」


オレの体重という支えを失った扉がガタンと大きな音を立てて開く。中から勢いよくアイツが飛び出してきて、アイツに押し倒される形で後ろのフェンスに向かって転倒した。


「いって……!おい、大丈夫かって聞いて……」

「兄さん……!」


オレの両頬をアイツの両手が挟み、アイツが必死そうな顔を見せた。

身体が堅くなっているのがわかる。息が荒くなっているのがわかる。

頭から血の気が引いて、身体が出血に備えているのがわかる。

本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。


「クソッ……!」


もろにフェンスにぶつかり衝撃を受けた後頭部を抑えながら立ち上がろうとする。頬に触れるヤツの手は小刻みに震えているから、オレが逃げるにあたっての障害にはならない。


脚に力を入れて勢いよく立ち上がるオレに振り落とされる形になったヤツがコンクリートの床に倒れ込む。

オレはそのまま駆け出し……


「うぉっ?!」


一歩目にして足がもつれ、ヤツとそう遠くない距離の床に倒れ込む。足に何かが引っかかった感覚ではなかった。まるで足を掴まれ引っ張られたような、手の感覚。

床に手をついて後ろを振り向くと既にヤツは立ち上がっていた。


「兄さん、大丈夫……?」


まるで勝手に一人で盛大にすっ転んだ兄を見た、弟のような顔をして。

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