1-6 「My crossing wires, your losting in translation」
先生からLIMEで送られてきたレストランの住所は、今日の職場からは随分離れた場所にあった。
先生の提案とはいえ、自分の食事分だけは自分で払いたい。ギリギリまで仕事を詰め込んだ結果がこれだ。
「悪ィ、遅れた!」
「レン!久しぶりだな!」
既に他の3人は集まっていて、談笑をしていたようだった。
オレの姿を見るなり弾けた笑顔で手を振ってくれたのはジュディ。
久々に見るジュディの風貌は昔よりずっと大人びていて、髪も伸びていた。
「髪切れよ」
「あはは、切る時間なくてさ」
ポニーテールで一つにまとめているだけでも、アイツよりはマシか。
「それにしても、相変わらずの高身長だな」
見上げているだけで首が痛くなりそうだ。黒人の遺伝子は背が高くて羨ましいと思う。
ジュディは眼鏡の位置を直しながら笑った。
「絶対レンくらいが丁度いいって」
「舐めてんのか?!」
そういえば4人の中で一番背が低いのはオレだ。ただでさえ背の高い弟たちに囲まれて日頃からコンプレックスを刺激されているというのに。
「おい、テメェ身長いくつだ?」
ヤツを睨むと、ヤツは平然と答えた。
「186」
「185.9だろ」
「0.1cm伸びたんだ」
「嘘つけ、今度バレリア呼んでどっちの背が高いか試してやる」
「意地が悪いぞ……」
ものすごく嫌そうな顔をされたが構いはしない。アイツもアイツで自分の身長が0.1cmだけ女に負けているのが許せないと嘆いていたのをオレは知っている。もう随分と昔の話だが。
「先生は?」
「具体的な数値はわからないけど、190はないと思うよ」
柔らかい口調で暴力的な一言を放たれてオレは唇を尖らせる。目視だとヤツと同じくらいか若干先生の方が背が高い。
「ジュディ!」
「最後に測ったのは195」
笑いながらこちらも暴力的な一言だ。
「オレ、普通に平均身長ちょい上だもんね!テメェらの遺伝子の方がおかしいだけだ!周りの環境がちょっと平均からズレてるだけだもんね!」
「その理屈で行くと兄さんはアジアに行けば高身長の仲間入りだな」
「オレ日本に移住しようかなぁ……」
本気でビザでも取って就労しようかと悩み始めたあたりで優しく先生が言う。
「見た目はその人の人間性とは関係がないよ。大事なのは中身だ」
「先生……!」
白髪の前髪で片目を隠したミステリアスで珍しい風貌の先生が言うからこそ響く言葉だ。
「それに身長低い方が細胞分裂回数が少ないから長生きだって言うしな」
ジュディが軽い調子で付け加えた情報にオレは光明を見出す。
「オレこの中で誰よりも長生きしてみせるぜ」
絶対に全員の葬式に出てやるんだと決意を固くしたところで、オレらはレストランの中に入ることにしたのだった。
***
「た……高ェ……!」
メニュー表を見てオレは絶望する。中の雰囲気から既に嫌な予感はしていたが案の定だ。しかもジュディの行きつけの店ときた。QOLの違いに平伏するしかない。
「兄さん、兄さんの分は私が払うよ」
「テメェに哀れまれるくらいなら水のセルフサービスで終わらせた方がマシだ」
「あーレン、ごめんこの店一人一メニュー注文制」
「うっ……ひぐっ……」
「兄さんを泣かせたなジュディ?」
「悪かったって。まとめて俺の奢りでいいよ」
もう随分と会っていなかったというのに、オレら3兄弟の会話は随分とスムーズだった。それぞれ事情は違えど同じ境遇で育ってきた仲だ。互いの空気感や間合いは心得ている。
「あ、そういやテメェら、オレのいない間何話してたんだ?」
全員がメニューを注文し終えたところで、オレが合流するまでの談笑の内容を聞く。ヤツと先生が意外に話し込んでいたのが印象的だったんだ。
「ああ、身の上話をちょっとね。弟さんが大学の助教授をしていると聞いて驚いたよ。素晴らしい弟さんなんだね」
片や医者、片や大学助教授。オレの弟たちは明らかに出来が良かった。
「おうよ、コイツの努力の成果だ」
「兄さんがいたから大学まで進学できたんだ」
「ははっホント、レンとヴァリーって仲良いよな」
兄弟で正反対のことを言ってすぐ、先生がそういえばと不思議そうな顔をする。
「ジュディからなんとなく話は聞いてるけど、養護施設育ちなのによく大学に進学できたね」
その発言に弟2人は揃って苦い顔をする。そんな顔をするほどの質問か?
「兄さんが全てお膳立てしてくれたんだ」
「レンがいなかったら揃って今頃スラムだよなぁ」
無表情でさらりと言うアイツと苦笑いで肯定するジュディ。そういえば2人の大学進学は本当に大変だったなとオレは記憶を手繰り寄せる。
「支援や奨学金制度を片っ端からあたってくれたんだ」
「そういやテメェは頭良かったから雑費以外は特待生制度で全部免除だったな」
ムカつくヤツだがコイツはそういうヤツだ。そのおかげで苦労はそこまでしなかったし主席で卒業してくれたので全部良しとしよう。
「それは……すごいね。本当に優秀なんだね」
先生が驚くのもまぁ無理はない。オレだってジュディの時が大変だった分、ヤツの時の楽さ加減に驚いたものだ。
「ジュディも特待生で?」
「……俺は、うん……レンには迷惑かけたよ……」
「こいつは私と違って頭の出来が悪いから30%支援、残りの70%が兄さんの稼ぎだ」
「うぐっ……心臓が痛い……」
あー……あの時はマジで大変だったなとジュディにつられて苦笑いする。
朝から晩まで働いて、施設のガキ共の残飯を食らって、寝るのは僅かにある移動時間。違反切符を切られ続けて、苦労して取った運転免許はバイク以外軒並み停止。
ヤツとの地獄の日々があればこそあのバイト三昧の日々を笑い飛ばせるが、確かにあの頃は人生の中で1、2を争うレベルでの地獄の日々だった。
「ジュディのせいで兄さんが大変そうだったのを間近で見ていたからこそ、私も早くから勉学に精を入れて兄さんに楽をさせてあげられるようにしたんだ」
「その節は本当に申し訳ない……ごめんなレン……」
言っていることは弟の鏡みたいな内容だが、オレ的にはぶっちゃけ金銭面で苦労したジュディの大学云々よりヤツと暮らしていた日々の方が迷惑だった。
「ンや、ジュディは今医者としてたくさんの人の命を救ってるんだろ?スゲェよ。オレも頑張った意味があった」
「レン……」
ジュディが潤んだ目でオレの手をとって祈るようにするのをオレはされるがままにする。
「レンの存在あってこそ、2人とも素晴らしい人材として活躍してるんだね」
先生が良い風にまとめてくれたところで注文したメニューが届いた。
「レンには頭が上がらないよ」
「兄さんには感謝している」
「テメェら、褒めてもナンも出ねェぞ、こそばゆいからやめろって」
ここまで全肯定されると何だか照れる。
オレは低賃金労働を右往左往するしかなくても、弟2人がこうして傍から見たら立派に育っているのは自分事のように嬉しかった。
***
その後も食べ進めながら互いの近況やら何やらを話しているうちにあっという間に時間は過ぎていった。4人で過ごす和やかな雰囲気が心地良くて、オレはなかなか本題を切り出せないでいた。
「そういえば、カウンセリングの件は話さなくていいのか」
どうしたものかと考えあぐねていると、意外にもヤツの方から話を切り出してきた。
「カウンセリング?え、レン、もしかして過労死寸前とか?」
ジュディに的外れな心配をされるのを「違ェよ」と手短に否定して、丁度良いタイミングなのでオレが話を引き継いだ。
「先生、コイツのカウンセリングを頼む。既に家で説得してきた」
静かに目を伏せるヤツと机に身を乗り出すオレに反して、頭上に疑問符を浮かべたような表情のジュディとイマイチ状況を掴めてなさそうな先生。
「オレは学んだんだ。『教育で治る悪人には教育をするぜ』。」
「「ニコラス……」」
先生とジュディが同時にオレの言葉に反応したのを見るに、ジュディだけでなく先生もニコラス視聴者のようだ。今まではジュディと2人で盛り上がっていたが、先生にも後でニコラス談義を持ちかけなければ。
「コイツのおかしいところを先生に治してもらう。なぁ先生、こいつ
オレは先生に真剣に提案を持ちかける。当初の計画とは少し違えど、やるべきことは変わらない。先生を混乱させてしまうのは申し訳ないが、オレとアイツの関係をジュディにカミングアウトするより確実な方法があるならそれをとる。
「なるほどね。当事者間で既に話は終わっていたわけか」
先生は納得してくれたようで。
「よく頑張ったね、レン」
短く、だが芯を持った強い言葉に目頭が熱くなる。
今まで何もできなかった。何も対処法が見つからなかった。それがやっとここまで来た。やっと……やっとだ、これで全て上手くいく。何も特別なことをする必要はなかったんだ。
「あれ、話の流れ掴めないの俺だけ?」
一人だけ置いてけぼりになったジュディが気まずそうにオレら3人を交互に見る。
「あー悪ィなジュディ。スゲェ話しづらいんだけど、どっから話せばいいかな」
コイツがオレを好きなのは前提条件、それはジュディも知っている。
そしたらオレとコイツの関係が拗れたきっかけからざっと概要だけ話せば……
「ぅぷっ」
「レン、大丈夫?顔色が悪いよ」
目の前に座る先生に心配される。まさかここで発作を起こすとは思わなかった。
もう完全に治ったと思ったのに、昔の記憶を少し辿っただけでこんなに具合が悪くなるとは思わなかった。なにも具体的なことを思い出したわけじゃないのに。
「はーっ、はーっ、っぁあ、大丈夫だ、続けてくれ」
「兄さんがあまりに高級なものを食べて腹具合が悪いようだから、私から説明しよう」
オレを横目で見ながらヤツが話を引き継いだ。まさかコイツが直々に話すのか?途中から興奮しだしたりしないだろうか。そう怯えるオレとは裏腹に、ヤツは極めて冷静だった。
「事情も説明せずに突然帰ってきては色々なところに迷惑をかけていたようですまない。私から何もかも、きちんと話すべきだった」
コイツ、冷静だとメチャクチャ客観的に物を見ることができるから普通に頭の良いヤツなんだよな。オレ関係だけIQが50くらい下がるのを早くどうにかしてほしい。
「ヴァリー?」
ジュディが尚も疑問符を浮かべた顔でいる。数刻後にはジュディも事情を知っている面子になるんだ。怖いのやら安心するのやらで感情はぐちゃぐちゃだったが、もうすぐ全てが解決するのだから何も問題はない。オレは自分にそう言い聞かせた。
「兄さんは……私がおかしいことに気付いていた。自分では上手くやっているつもりだったんだが、やはり兄さんは私のことをよく見ているからな」
ヤツが少し話しづらそうにしている。そりゃジュディにテメェが今までのことを話したらそのまま殴りかかられそうだもんな。ジュディはマトモだからきっと怒ってくれるはずだ。
「……少しだけ自覚はあった。だが、私自身も向き合うことが怖かったんだ」
向き合うのが怖いのはオレも同じだ。当事者がどっちもこんな感じだから今まで一向に話が進まなかったんだ。だから今度こそようやく一歩、満を持して進みたい。
「ヴァリー、俺はまだ事情をよく把握してないけど、俺にできることがあったら協力する。だから心配するな。レンもついてるし」
ジュディにやってもらうことといったら、とりあえず目の前のヤツを殴ることだけどな。
「だが、兄さんに言われたんだ。……向き合えと」
オレそんなこと言ったっけ。オレの言うことを聞けとは言ったけど。
「立ち直れるかはわからない。だが私も前に進まなければいけないことはわかっている。だから、カウンセリングを受けることにした。いつまでも、過去を引きずってはいられない」
ん?それテメェが言うことか?と突っ込みそうになったが、とりあえずヤツの前向きな気持ちが聞けただけ及第点としてやろう。
「お前はカウンセラーだったな。どうやら兄さんにも信頼されているらしい。どうか、私にも力を貸してほしい」
「もちろん。一緒に前に進んでいこう」
弱々しいヤツに対して力強く、しかし優しく包み込むように先生は応対した。
だが、先ほどから少しだけ感じている違和感はなんだろう。上手く言えないが、何かボタンをかけ違えているような違和感がオレの中をぐるぐると巡っている。
突然帰ってきては色々なところに迷惑をかけて?
何もかもきちんと話すべきだった?
自分では上手くやっているつもりだった?
いちいち言葉尻に引っかかっていては何も進まないことはわかっている。
それでも何か致命的なミスを見つけたような気がして。
「まずは、謝らせて欲しい。そして何も話そうとしなかった私にここまでセッティングしてくれたことに、感謝しかない。」
自覚はあったが、向き合うことが怖かった。それ自体は何もおかしなことじゃない。自分が間違っていることを認めるのは、頭が良ければ良いほど難しいことをオレは知っていた。
「全て、事情を話そう。と言ってもどこからどこまで話せばいいのかわからないし、時間もかかるかもしれないが……」
アイツは、何と向き合おうとしている?何から立ち直ろうとしている?
前に進まなければいけない、過去をひきずってはいられない……
コイツ、もしかして何か勘違いをしているんじゃないか?
オレが一つの結論に辿り着きかけた時、決定的な一言が放たれた。
「彼方が死んだ」
勘違いしていたのは、どうやらオレの方だった。
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