1-5-B 「That's just fine-sounding talk」

「んじゃそろそろ帰るわ」

「帰るなら勝手に帰れ。見送りはせんぞ」

「チノったらいけずぅ〜、ヴァーニに送ってもらうからいいもん」


そう言うとメイは俺の腕を引っ張って連れていく。玄関の扉を開けるとメイが振り向いた。


「決心ついた?」

「……殺さねェよ」


アイツに聞こえないようになるべく小さい声で言うと、メイはキョトンとした顔をした。


「ふぅん。まぁ今日の夜、いつもの場所で待ってるよ」

そう言い残し、メイは帰っていった。


***


バーに入ると、既にメイが三杯目を手にしながらカウンターに仰け反っていた。


「あ、ヴァーニ」

「よゥ」


メイは仰け反った体勢から元に戻りポンポンと自分の隣の椅子を叩いた。ここに座れという意味だ。


「あー、今日は長居しねェって決めてっから」

「ふぅん」


メイがつまらなそうに口を尖らせるのを見て少しばかり申し訳なく思ったが、伝えなければいけないことがあった。


「アイツは殺さない」

「何で?」

「カウンセリングを受けさせる。認知療法、テメェならどんなんか知ってんだろ?アイツも行くって言ってくれたんだ。アイツを常識人にする」


メイがクルクルと椅子を回しテーブルに肘をついてオレを斜めから見る。


「カウンセリングぅ?そんなトントン拍子で進むの?チノが常識人になって今までの愚行を反省して改心、一からやり直しますって?現実見なよ、有り得ないね」


明らかに不満そうに。まるでオレにアイツを殺して欲しいとでも言うように。


「テメェの手には乗らねェ。誰がなんと言おうとオレはアイツの可能性を信じる」

「殺さないわけ?」

「おう、言ったはずだ。オレはアイツを殺さねェよ。テメェには誘導されねェ」


ニコラスだってどうしようもない悪を殺すことはあっても、ちゃんとオレに教えてくれた。

悪人にもチャンスはあるんだって。


「改心したら満足なの?恨み辛みは?」

「アイツが変わって、色んな人に良いことをしたらした分だけ、オレの溜飲も下がってくだろうよ」


メイの半眼の瞼が訝しげに、更に落ちる。そうしてしばらくの沈黙を保った後、メイはいきなり上に伸びた。


「あーわかったよ。いいよ別に。ヴァーニなんてチノにバラバラにされて骨まで食われて一欠片もこの世に残らないよ!」

「忠告ありがとよ。でもそうはならねェ、オレがアイツを止める。こっちには信頼できるカウンセラー先生がいるからな」


メイが頬を膨らませてこちらを睨んできた。

昨晩は何となく誘導された形になったが、別の道があるとわかれば話は別だ。


「腑抜け」

「何が見てェのか知らねェが、テメェの思い通りにはさせねェよ」


メイとアイツのやり取りを見た。昔一緒に飲んだ思い出を思い出した。メイは悪いヤツではない。でも、確かにメイはアイツと同じ部類の、利己的な人間なのだ。昨晩感じた違和感。誘導されているような感じはおそらく的を射ていた。


すると突然緊張が解けたような面持ちで声のトーンをいつもの調子に戻したメイが言った。


「ちぇ、面白いものが見られると思ったんだけどなぁ」


やっぱり、それがメイの本音らしい。


「……どうやらメイとオレとの関係をダチだと思ってたのは、オレだけだったみてェだな」


昔はこの軽い感じに、どこまでも救われていたというのに。


「ただの飲み仲間じゃん、何言ってんの」


冷たく言い放たれた言葉に心臓がキュッと縮む。それでも昔は、救われていた。アイツとの地獄は一人では絶対に生き抜くことができなかった。

メイに話して、一緒に飲んだから何とかギリギリ現世に踏みとどまれたんだ。メイはオレをどれだけ救ってくれただろう。感謝しきれないほどのはずだ。


「でも、サンキュな。テメェがいなきゃ、オレはこうやってテメェと言い合いすらしてなかったよ」


ヤバいヤツだとわかっていながら、今も昔もメイに頼らざるを得ないオレが一番頼りない、一番立場が危ない状態なんだと、現実を見ればすぐにわかった。


「オレがバカだった。テメェに頼るべきじゃなかったんだ。悪かった、じゃあな」


ダチになれなかったのは。誘導されて利己的な楽しみに利用されていたのは、素直に言うと悲しかったが仕方がない。メイがそういうヤツなのはなんとなくわかっていながら、オレもまたオレの憂さ晴らしのためにメイという他人を利用して、その欠陥に気付こうとしなかった。


オレはバーの扉を開いて外の風を身体に受けた。


「一つだけ。ヴァーニくんに忠告〜、これがヴァーニの聞く最後のおれの言葉になるんだから耳かっぽじって聞いてよね」


立ち止まったが、振り返りはしなかった。


「そうやって綺麗事言ってるだけじゃヴァーニは救われないよ」

「……」


「口では綺麗事言って、自分の感情を無理矢理抑えつけて無かったことにして。そうやって自分を大事にしないで、自分とちゃんと向き合わないで、現実見ても辛いからって理想ばっか妄想したって現実のヴァーニは置いてけぼりだよ。そうやって逃げてたら、チノが死んだって惨い事件に巻き込まれたってヴァーニは報われないよ。いつか抑えつけすぎた感情が暴走するか、ヴァーニごと死ぬ。向き合いなよ、チノはヴァーニの鏡だよ」


難しいことは、オレにはわからない。今やるべきことを、今希望のあることをやるだけだ。

オレは夜の中を歩き出して、メイの方を振り返ることはなかった。

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