1-5-A 「That's just fine-sounding talk」
気持ちのいい朝、気持ちのいい空気、気持ちのいい天気。
オレは早起きして適当にプロテインを飲んで一息ついた。
「朝はこうでなくっちゃな」
「兄さん、おはよう」
「ひょえ?!」
いつから起きていたのか、まだ時刻は5時半だというのに。
「兄さん、昨日の話だけど」
「テメェいつから……?」
「まだ寝ていないだけだ。夜だから」
もう既に陽は昇り始めているというのに随分と悠長な夜行性だ。
「身体ぶっ壊すぞ」
「……昨日の話だが」
ヤツはソファに座っているオレの隣にピタリとくっついて座った。思わず端に避けるとまたくっついてきた。
「狭ェ」
「昨日の……話だ。どういうこと?私を治すって」
ああそうだ。昨日はあの後ドラマに夢中になって完全にコイツに話すのを忘れていた。
先生の計らいで近々4人で食事に行くのだ。丁度いい、今話してしまおう。
「テメェは変だ」
「……っ」
ズバリとインパクトのあるセリフを言って、意識を集中させる。ニコラスから学んだテクニックだ。
「テメェは頭がおかしいんだ。わかるか?オレや周りに迷惑かけてんの。だから治さなきゃいけないんだ。」
「兄さん」
ヤツの、無言の圧が強くなった気がして少しだけ狼狽える。でもここで話を止めたらダメだ。
「今度ジュディとそのダチと食事行くって言ったろ?実はそのダチがカウンセラーでよォ、実力はオレが保証するぜ。カウンセリングを受ければテメェだって変われるはずだ。普通になれるかもしれねェ!」
オレは笑顔で話を続けた。
「認知療法ってのがあってな、トラウマとか、自分の考え方の癖とか、全部治っちまうんだ!スゲェだろ?だから大丈夫だ。オレも精一杯協力するから!……費用は払えねェけど!」
「兄さん……」
「頼む!お願いだ、カウンセリングに通ってくれ!後生だから俺の言うことを聞いてくれ!」
オレは頭を下げた。必然的にヤツの膝元に顔が近付く。
しばらく沈黙が続いた。
「……やはり、兄さんは気付いていたか」
少しだけ、トーンを下げた声が頭上から聞こえた。
「大丈夫だと思っていたんだがな。実は、私にも……自覚はあった。ほんの、少しだが」
思わぬ発言に頭を上げる。ヤツは恥ずかしそうに、少しだけ悲しそうに目を伏せた。
「わかった、カウンセリングに通う。兄さんの言う通りにしよう」
「っ……いいのか?!」
まさかこんなに簡単に解決するとは思っていなかった。暴力や拷問の一つや二つ、覚悟した上での行動だったのに。こんなことなら、もっと早くにこの可能性に気付いていれば良かった。
「それじゃ今度、日程決まったら行こうぜ!楽しみだな!」
先の見えない中にずっと拘束され続けていたのに。ようやく、ようやくだ。ようやく解決できるんだ。何年も悩み続けてきた地獄の解決がこんなんでいいのか?ああ、何だっていい。解決してくれるのなら何だって。
オレは天にも昇るような心地だった。こんな最高な出来事がかつてあっただろうか?
ゴンゴンゴン、と突然ドアノッカーの音がした。最上の気分を邪魔する乱入者に少しだけ興奮を冷まされる。
「……こんな時間に、非常識だな」
時計を見ると時刻表示は5:42辺りから丁度針が進んだところだった。
「オレが出てくる」
玄関まで移動して扉を開ける。一応ドアチェーンはかかったままだ。
「よっす」
すると、扉の隙間からもじゃもじゃの赤毛と翡翠の瞳が覗いた。
「テメェ!」
やっべ、と咄嗟に口を噤んだ。アイツにバレたら根掘り葉掘り聞かれるだろう。
「へへっ、会いに来ちゃった。決心ついた?練習する?」
「何時だと思ってんだよ、非常識だろ!」
なるべく小声、メイにも聞こえるかどうかわからない声で怒鳴るとメイは「ほにゃ?」と首を傾げた。
「何時だろうとおれが起きてれば朝だよ」
「暴論すぎる……」
夜明けなのにまだ夜だという輩がいたり、何時だろうが自分の起きてる時間帯が朝だと言う輩がいたり、時間にルーズなヤツしかいなくてどうにも居心地が悪い。
「ねぇねぇそれより噂の弟さんは〜?やっぱり気になって会いに来ちゃった♡」
手でハートを作ってみせウインクをするメイ。オレの決心の行く末を尋ねるというよりは、アイツに会うのが本来の目的なんだろう。それより手短に終わらせてアイツに怪しまれないようにしないと。
「兄さん、どうしたんだ。まさか知り合いか、こんな時間に?」
ヤバい、アイツが玄関に来る。また心臓が波打つ。
「じゃあな」
オレが乱暴に扉を閉めようとすると、メイが足を扉と玄関の間に入れて扉が閉められるのを阻止した。
「おい!」
「兄さん、私がいない間に、まさか恋人でも作ったのか?こんな時間に会う約束を?一体何をしようとしていたんだ?」
段々とヤツの声のトーンが低くなっていくのがわかった。確実に怒っている。今機嫌を損ねたら最悪なのに。全てが台無しになってしまう。
「私に何も、言わなかったよな?報告も連絡もなかった。一体どういうつもりだ?」
ヤバイヤバイヤバイヤバイ、冷や汗をかきながらオレは後ろを振り向いた。なるべく扉の隙間は隠すようにして。
「あっ……えっと……宅配が来たんだ!でもサインペンがなくて……持って来てくれるか?」
「こんな時間に宅配は来ない」
「いやっ……違……」
「兄さん、一体誰を隠している?」
ものすごく不機嫌そうな顔をしたヤツがオレのすぐ前に立つ。自然に心臓がバクバクと波打って痛い。どうしよう、どう切り抜けよう。男だからと言ったところで、きっともっと機嫌を損ねる。「私という男は受け入れられないのに、その男のことは受け入れるのか?」と不機嫌な声で言うヤツの顔が浮かぶ。
「あっいた〜!」
オレが何とか言い訳を考えている時に、不意に後ろから声がした。
「バカ!静かにしてろ、殺されるぞ!」
思わず振り向くとまた新たに後ろになった方から声が聞こえた。
「もしや……メイか?」
オレは声のした方をまた振り向く。
「チノ、久しぶりじゃん、元気してた?」
「……あぁ、まぁな」
何故か不本意そうな顔をしながら返答するヤツの姿はオレにとってはメチャクチャ新鮮だった。
出会ったら絶対ヤバいヤツ同士で気が合うと思っていたが、まさか元々知り合いだったとは。
「高校以来じゃない?10年くらい?」
「大体合ってはいるが、あれだ。結婚式以来だ」
「……あーあれね!そんなこともあったね、あれは傑作だったわ」
玄関先で話し込む二人の雰囲気はまるで熟年夫婦のようだった。
「ドアチェーンを外すから入れ、中で話そう」
「うっしゃやりぃ」
当たり前のように会話をする2人に、置いてけぼりのオレ。
どうも納得がいかなかった。メイがヤツに驚く素振りがない。普通知り合いの弟も自分の知り合いだったら驚くものじゃないのか?オレの弟がコイツであることをまるで知っていたかのようなメイに不信感が増したが、問いただすことはできなかった。
***
「いやぁもう何年も会ってなかった幼馴染に会えるなんて、おれは嬉しいよ」
リビングに通された途端、ここは既に自分のテリトリーだとでも言うように椅子に膝立ちになって座るメイ。その姿は最初からこの家に住んでいたかのように錯覚させる。
「テメェらが幼馴染って聞いてスゲェ納得いったわ……」
言われてみれば、ものすごく雰囲気の似ている二人だった。頭のおかしいところや自分本位なところも含め。
だが助かった。二人の仲が良かったおかげで、オレは何のお咎めもなく済みそうだ。
「でもまさか、20代後半にもなってまだ兄さん兄さんやってるなんて相変わらずだね。そろそろ兄離れしたら?ヴァーニも迷惑がってたよ」
「おい……!」
いきなりの爆弾発言に背筋が凍る。オレの代わりにヤツを窘めてくれるんならありがたい話だが、最後の一言が思い切り余計な一言だ。
「お前も相変わらずファッションセンスが最悪で何よりだ。実家のような安心感がある」
「うっっっっわ、最悪」
どうやらメイの爆弾発言は冗談として受け止められたようで、二人の掛け合いは軽い調子で進んだ。オレがいるのが場違いな気さえしてくるほどで、オレはひたすら二人の掛け合いを聞いているだけだった。
まさかヤツに幼馴染と呼べるようなダチがいたなんて。学校での話なんてしてこないようなガキだったから意外だ。
「テメェにもダチがいたようでオレァ安心したぜ」
「そうそう、チノとおれベストフレンド」
「友人ではない。ただのちょこまか煩い蝿だ」
「うわぁ酷い」
メイが立ち上がってヤツと肩を組むとヤツは随分と煩わしそうな顔をした。
「あんまり酷ェこと言ってやるなよ……」
ダチは大事にするのが鉄則だとあれだけ教えたはずなんだけどな。
「私が大事に思うのは兄さんだけだからな。あ、そうだ兄さん、昨日のスイーツ余ってるんだけど食べる?それとも新しく作る?」
「要らねェ」
「チノのうんことか誰も食べないよ」
「お前の口に放り込んでやるから覚悟しておけ」
オレに対してだけ明らかに態度も口調も声のトーンも変わるヤツに対して、メイはオレ以上に辛辣で心配になる。それに難なく応対しているヤツを見るに、口の悪い冗談を言い合っているだけなのだろうが。
それからは幼馴染2人が昔話に花を咲かせながら、オレも混ぜてもらってしばらく談笑タイムだった。
「もごーっ!ひうひうっ!ひっほううう!!」
「大人しく食え。どうせお前はマトモなものを食わんだろう」
……言った通りにヤツはメイの口に無理矢理スイーツを詰め込んでいたが。
「んっはぁ!もう、窒息するかと思ったじゃん!」
「さっき何て言ってたんだ?」
「死ぬ死ぬ、窒息する」
そりゃそうだと頷きながら、オレはこの空気の居心地の良さに気付く。昔この3人で会話したことがあったような、なかったような、そんな存在しない記憶すら形成されるほどに。
ヤツは普通に、普通の会話ができるヤツなんだ。やっぱり殺すのはダメだ。まだ、教育という救済の一手がある。
「で、お前は結局何の用だったんだ?」
「ヴァーニを困らせてる愚弟を見に来た」
「殺すぞ」
「うぇーいやってみろ〜」
小学生のような会話を繰り広げる二人に辟易しながらオレは本日2杯目のプロテイン。ふとスマホを見ると連絡が入っていた。どいつもこいつも早起きで健康的だ。
『7/4夜、ジュディも僕も空いてるんだけどレンはどう?』
先生からだった。多分食事の件だ。
『空いてる!弟も連れてく、サンキュな』
素早く返事を打ってオレはスマホを閉じ二人の方を見やる。相変わらず何か言い合いをしていて会話が絶えることはない。そんな二人の様子に安心感を覚えてしばらくそれを見守っていた。
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