1-2 「Two solutions for a big matter」
翌朝起きると時刻は珍しく昼を過ぎていた。
「マジかよ……」
完全に疲れきってしまって脳味噌も身体も全く起きていない。最悪な昼下がりだ。
「ん……」
寝坊助はまだ隣で気持ち良さそうに寝ており、それが最悪さを強調する。
「おい起きろ。その長ったらしい髪、邪魔だし清潔感無いから床屋で切ってこい」
「んぁ……ん」
胸倉を掴んで乱暴にグラグラと揺さぶると碧い瞳が髪の毛の間からこちらを覗いた。
昨晩で満足したろうから昼間の間は少し雑に扱っても許してくれる。レンは彼と過ごした地獄の日々で彼の扱いの塩梅だけはズバ抜けて上手くなっていた。
「そうでもしねェと生き残れねェしな」
「髪の毛切らないと生き残れない……?」
「アホ、こっちの話だよ」
慣れた手付きでオレは被害状況を確認する。昨晩の記憶が随分と薄れているのは床に転がっている酒の缶のせいに違いねェなと確認すると、緊張に波打つ心臓を抑えながら、次は下半身に注目した。
「……あれ」
「兄さんが一向にタタないから、イチャイチャしただけで終わった」
そういえば軽度の鬱のせいで性欲とは最近無縁だった。これは思わぬ救いの手が伸びた。男となんて二度とゴメンだ。昔でさえ何とかのらりくらり躱して来たのにここでその日々を無駄にはしたくない。
「髪、切ってこい」
「……はーい」
のそのそとアイツが出ていったのを確認すると一気に肩の力が抜けた。
「はーっ……あっ……はぁっ……はぁっ……」
腹の底から湧き上がる気持ち悪さを無理矢理抑えつけてオレはこれから再開するであろう地獄の日々の特効薬を探した。
散らばった缶を片付けながらスマホに手を伸ばす。とりあえず今夜またアイツと一緒に寝ることの回避と、これからの日々を生き抜く処方箋の獲得が最優先だ。
まだ微妙に寝惚けている頭を振ってオレはスマホのロックを外し、連絡先一覧から『先生』をタップする。
「あー悪ィな、オレだ。レン。あー、なんつーかその、なるべく今週、予約入れられるか?」
『良い昼だね、レン。君の時間枠は開けてあるから、君が良ければ今日の15:20からのカウンセリングが可能だよ』
先生はオレがジュディを通して出会ったカウンセラーだ。詳しくは知らないが、ジュディに随分と恩があるらしくて、ジュディの兄貴であるオレにも好意的に接してくれた。
オレが母親代わりになって育てた弟が別の誰かを助けているというのは、知っただけでメチャクチャ気持ちが良かったものだ。先生がオレを救う糸口になるのは、巡り巡ってというヤツなんだろう。
「サンキュな!ンじゃ今日行くわ」
『ああ、待ってるよ。気をつけて来てね』
「おう、ンじゃまた後でな」
手早く予約を済ませた次はLIMEを開いた。スマホ画面を思い切り下にスクロールしてやっと出てきた目的の奴との会話は2年前を境に途絶えている。
『突然悪ィんだけど、今夜会える?』
そう送信してからスマホを閉じる。気まぐれな奴だから会えるかはわからないが、とにかく無性に会いたかった。
シュポッと通知音が鳴ったと思えばもう返信が来る。
『うわっスパムかと思ったlol』
『どしたん?話聞こか?』
『今夜空いてないけどヴァーニのために空けちゃう( ◜ᴗ◝)』
『おれのこと覚えてたのマジで感激だわいつもの場所でおけ?』
「……速ェな、打つの」
シュポシュポと通知音が連続で鳴るのに感動を覚える。そういやコイツ、メチャクチャノリの良いヤツだったな。
『OKサンキュな』
『楽しみにしてる♡♡♡』
ハート付きの返信が即座に届いてオレは思わず苦笑した。
***
「やぁレン。久しぶりだね」
扉を開けると、ミステリアスな見た目に似合わない、纏う空気感から既に柔らかい青年が座っていた。
「悪ィな。二度とここでは会わないって宣言して帰ったのに、また帰ってきちまった」
「そう簡単にはいかないけど、落胆することは無いよ。こういう治療は一進一退、あの日も言っただろ?少しでも不安になったらまた来ても大丈夫だよって」
白い髪で片目だけ隠したような風貌、不健康そうな真っ白い顔の先生と最初会った時は正直、大丈夫か?と不安になったものだ。
けど、そんな見た目の第一印象を綺麗さっぱり吹っ飛ばしたのはこの物腰の柔らかさと爽やかな笑顔だった。先生に会う人ならきっと誰でも同じ感想を抱くだろう。
「サンキュな、先生」
笑ってみたけど、上手く笑えているのかわからない。
「構わないよ。座って、お茶を淹れるから」
そういえばオレがカウンセリングを受ける時はいつもお茶を出してくれてたんだよな。先生はお茶に詳しくて、先生の淹れてくれるお茶はいつも美味いし、すごくリラックスできるんだ。
「最近の調子はどう?」
「最近は……うん、先生と会わなくなって半年くらいだよな。ここ半年はホントに。マジで、うん。調子良かったよ。先生の治療……がスゲェ効いてて。」
オレが先生に世話になってかれこれ7年くらいだ。
「それは良かった。はい、今日はレモンティー」
「おっ、オレの好きなヤツ!」
爽やかな香りが好きなんだよなー、口元に近付けたカップから温かい空気を感じるのがスゲェホッとする。
「今日は……悪夢でも?」
「っ……」
アイツのことを話したことがあるのは先生と、LIMEを二年ぶりに送ったダチの二人だけだ。それももう精神が限界だったことや酒に酔っていたことが後押しした結果であって、素面の状態で重苦しい話をできる程オレの肝は据わっていなかった。
しかも、もうずっと会っていなかった仲となればもっと気まずくて。勢いのままにここまで来て、その勢いがたった今萎んでいくのが自分でも感じられた。
「ゆっくりで大丈夫だよ、僕はあくまで君のサポートだから。詳細に順序立てようとしなくてもいい。話したいことからゆっくり話そう」
オレの向かい側に座った先生の声はすごく温かくて、少しずつ緊張が解れていく感じが心地良かった。言葉より態度が、言葉のニュアンスが、その背後に隠れる優しさが、その全てがまるで父親の元にいるかのような安心感を与えてくれる。
「……実は、昨日」
お茶を飲みながら少しずつ話す。
「アイツが突然、帰ってきたんだ」
「えっ……帰ってきたの?」
先生が動揺を隠しきれない声を出した後、オレはポツリポツリと、昨日あった全てと今朝のやり取りを話した。話しているうちに段々と身体が震えてきて、涙が溢れて最終的に自分で何を言っているのかわかんなくなっちまったけど。
「そう……」
先生が真剣な顔で全てオレの感情の濁流を受け止めてくれて頼もしいことこの上ない。
「警察に相談は、できないんだよね」
「多分オレの方が疑われる」
人相というのは人生の全てを担う。オレの人相が悪いばかりに職質に遭った回数は数知れずだし、それで家族を呼ばなければならなくなった時にアイツに迷惑をかけたこともあった。オレの話なんて基本的に警察に信用されない。無駄に鍛えてしまっている筋肉もオレの強面具合を強めてしまって、警察に行こうものなら犯罪者が出頭したとか、マフィアが乗り込んできたとかそういった勘違いをされかねず任意の事情聴取という名目で無限に時間を奪われる。
全て経験則だった。
「……本当は物理的に距離を離すのが一番なんだけどね。そうだ、レンは友人が多い方だよね?しばらく家に泊めてもらえたりしない?」
「無理無理、ンな迷惑かけられねェ」
そんなことをしようものなら、機転を損ねたアイツが乗り込んできて悲惨な状況になりかねない。これも経験則だ。
「彼を牽制できる人間がいればいいんだけど……」
一人だけ、思い当たりがあった。腕っぷしなら喧嘩慣れしてるオレより何倍も強い、そんなダチ。でもそのダチのところに転がり込んだらどんなになるだろう。想像するのが恐ろしい。きっとアイツを抑え込めるが、問題はその後だ。オレは事情を話さなきゃいけなくなるし、そいつに話したら自動的にジュディにも知られることになる。栄光の道を辿る弟に、オレが地を這っている事実など……知られたくない。
「レン、周りに相談したくない気持ちが君にあるのは知ってる。その上で、警察に頼れないなら身近な人に頼るしかない。聞く限り、君は周りの人間をたくさん助けてきた人間だ。周りも君を助けたいと思っているはずだよ」
「先生……」
「これはカウンセラーとしてじゃなくて、僕個人。ジェームズ・ホワイト一個人として言うんだけど」
真剣な眼差しから目が離せない。先生にはそんな不思議な、オーラ的な何かがある。
「ジュディから沢山君の話を聞くんだ。レンみたいになりたいって。君を心から尊敬していて、そんなジュディに僕は救われた経験がある。詳しくは言えないけど、君が親代わりになって育てたジュディが僕を死の淵から救ってくれたんだ。今ここに僕がいるのはジュディのおかげで。それはつまり、君のおかげってことだ」
「……」
「ジュディも僕も、出会いとか職業とか、関係性とかそういうんじゃなく。一人の人間として君を助けたいと心の底から思ってる」
痛いほど、心がダイレクトに伝わってくる言葉だった。
「いつかレンを救えるようなヒーローになりたい。そんなジュディの気持ちを尊重すると思えばいいんじゃないかな。事情を全て話す必要はないよ。ただ助けて欲しい、そう言えば動いてくれるくらいには、ジュディは君を信頼しているんだよ」
そうだ。きっとオレが勝手に一人で自らの境遇を恥じているだけなんだ。きっとジュディはオレの境遇やオレとアイツの関係を知ったところでオレに対して悪い感情を抱くことはない。
知られたくない。少しでも威厳のある兄でいたい。そういう思いがオレのカミングアウトの邪魔をしているんだ。
「そうだよな。うん、わかってんだ。わかってる」
「あとは、望み薄ではあるけど……この数年会わない間に何か少しでも相手が成長していればね。数年越しの再会なわけだし弟さんもまた打ち解けるまでの時間が必要だと思う。再会して間も無いうちに突破口を見つければ望みはあるよ。僕からもジュディの方にレンと会うように言ってみようか」
アイツが年月を重ねたからって成長するような普通の人間じゃないのはわかっていた。けれど昔のように本調子っぽくないのも確かだ。どこかまだ、オレへの距離の詰め方に数年ぶりの再会に相応しいぎこちなさが残っていた。
「でも20連勤……?とかって言ってたし」
「仕事終わりに僕を誘って飲みながら数時間愚痴言ってるくらいだから大丈夫だよ」
ふふっと何の含みも無さそうに柔らかく笑う先生を見ると、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。
「兄弟2人ってのもアイツのこと一人にしちまうし、どうせアイツに止められるだろうから3人でどっか食いに行こうかな」
「3人で?」
「アイツ人前じゃ絶対オレに手出さねェんだ。変なことになる心配はねェよ」
それにオレと違ってジュディはアイツのことを怖いなんて思ってない。何かアイツが逆上するようなことがあったとしても、アイツはオレらの中で一番筋力が無いからジュディなら抑え込めるだろう。
「それなら良かった。兄弟水入らずか。僕もジュディとは知り合いだから、もし心細かったら僕も呼んでくれれば君のフォローは全力でするよ」
「んェっ、良いのか?!」
思わぬ助け舟の到来に驚く。先生もその場にいれば、確かに話しやすいかもしれねェ。
「構わないよ。それくらいなら全然」
「うォッしゃ!何かオレ自信出てきた、先生がいれば心強いぜ」
「僕からジュディを誘っておくから、君は弟さんを外に連れ出せそうかな」
「おう、やってみせるぜ」
カウンセリングが始まった時はどうすりゃいいのかわかんなかったのに、ここに来て事態に光明が差した。やっぱ先生はスゲェなと感動しながら、その後もオレは先生と今後の話をした。時間はあっという間だった。
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