中編
那須川家に戻った博巳を待っていたのは、父だけではなかった。
「よう、博巳。何年ぶりだ?」
「に、兄ちゃん!?」
博巳の兄、那須川家長男の
盆も正月もまともに帰ってこなかった兄。正寅の言うように、博巳が正寅と会うのは何年ぶりだろう。博巳は兄と最後に顔を合わせたときを思い返す。だいぶ昔の記憶になる。そんな兄が唐突に姿を現すなど、一体、どういうことだろう。
「急に顔を出したと思ったら、わけのわからんことを言い出しやがるんだ。博巳、おまえからもなんか言ってやってくれよ」
事情が飲み込めず、博巳の視線は父と兄の間を行き交う。
「なんもわけのわからんことは言ってない。うちの農業は俺が救うって言ってるだけだ」
海焼けかゴルフ焼けかわからない小麦色の顔に、自信たっぷりの笑みを浮かべて正寅は豪語した。
「うちの農業を救う?」
「ああ。そのために俺はベンチャーに入って知識と技術を積んできたんだ。俺は見越してたんだぜ。従来のままじゃ、いずれマンドラゴラ農業は頭打ちになるってな」
また兄がわけのわからないことを言い出した。博巳はまともに取り合う気になれなかった。本当に具体的な考えを持ち帰ったのだろうか。
「それで? どうするつもりなの?」
博巳は冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出し、グラスに注ぎながら正寅に尋ねた。
「ドローンさ。犬の代わりにドローンを使ってマンドラゴラを引っこ抜く。人間も犬も使わない。だから誰もマンドラゴラの悲鳴を聞くこともない。安全かつ効率的。だろ?」
「ドローン?」
無論、いまどきドローンを知らないわけではない。映画の撮影でも使われるし、農業分野でも農場の追肥や噴霧の作業に使われている。正寅はそのドローンを使ってマンドラゴラを引き抜くという。たしかに有用そうにも思えるが、昔から大言壮語の兄だ。うまくいく保証もないまま言っているに違いない。
「兄ちゃん。悪いけど、俺、自然薯掘りの名人の長七郎さんに弟子入りしてさ。その技術を受け継いだんだ。悲鳴を上げさせることなくマンドラゴラを引き抜くんだ。これでうちの農業を復活させられる。ドローンとかそういうの必要ないから」
博巳はそう言って麦茶を一気飲みした。実家の麦茶はなぜこうもうまいのだろう。すると、正寅が手を叩いて大笑いした。
「おまえ、そんな時間のかかるやり方で本当に農家を救えると思ってるのかよ! マシンやAIの時代だぞ。そんなマンパワーでなにが変わるって言うんだよ。テクノロジーは日進月歩で進化してる。農業にイノベーションをもたらすのは、伝統に立ち返ることじゃないだろ。科学の最新技術を取り入れることだ。それが先細りになった農業に求められるソリューションなんだよ」
せっかく長七郎から伝授された伝統的な技術を笑い飛ばされたようで、博巳はムッと顔をしかめた。しかし、博巳よりも辰臣の方が怒りを爆発させた。農業で鍛えた働き者の手が固く拳を握り、ドンとテーブルを叩く。
「うるせぇ! おまえはそうやって昔からわけのわからんことをぬかす! 立ちションだかマスターベーションだか知らねーがな、そんなに自信満々に言うんだったら実際にやってみろっていうんだ!」
怒鳴られた正寅は、萎縮するどころかむしろ不敵に微笑んだ。
「ああ。その言葉を待ってたよ、親父。俺が東京で遊んでたわけじゃないってことを証明してやる」
「ふん。おもしれぇ。博巳、おまえもやれ。長七の大将が直々に伝授した自然薯掘りの技術でこの馬鹿に吠え面かかせてやれよ」
憤慨して腕を組んだ辰臣が博巳をあごでしゃくる。争いごとは嫌いだが、実際に身に着けた伝統技術を試すいい機会だ。博巳はこくりとうなずいた。
「よし、やろう」
兄弟対決の舞台になるのは那須川家が所有する裏山だ。気温、湿度、日照時間など、この山は天然のマンドラゴラが育つための最適な環境となっており、これまで多くの魔術師たちを満足させるマンドラゴラを育んできた。那須川家が豪農として栄えたのもこの山のおかげだった。実際、今も散策すれば、いくつものマンドラゴラに出会うことができる。犬さえ用意できれば、毎年、立派なマンドラゴラを収穫できたというのに。
並んだ兄弟の前に、辰臣が腕を組んで仁王立ちする。
「制限時間は日没までとする。ただし、こいつは競争だが、まずは自分の身の安全を第一優先とする。いいな。俺はこんな対決で可愛い息子たちを失いたくはないからな」
博巳は了解したとばかりに軍手で覆った両手を叩き合わせた。
博巳と正寅は並んで裏山に入っていく。
「長七郎さんはよくしてくれたのか?」
他愛ない会話をしながら山の中を行く。その会話の端々に弟を気遣う言葉が見え隠れした。兄、正寅は基本的にはいい兄だった。思慮浅く、お調子者だったが、情に厚くて他人思いの善人だった。徒党を組んだ同級生にいじめられたときも、兄は傷だらけになって助けてくれたものだ。
「うん。家族のように扱ってくれたよ。二人目の父親って感じだった」
博巳は正寅のドローンに目をやった。正寅は三機のドローンを用意しており、それを専用のキャリーホルダーに固定して背中に背負っていた。その上、映像の見られる特殊なゴーグルまで頭に乗せている。まるでSF映画に出てくる特殊部隊のようだ。
博巳の視線に気づいた正寅がニヤリと笑う。子供の頃、新しい自転車を買ってもらった正寅がこんな笑顔を見せていた。
「ワクワクするだろ。このドローンとマンドラゴラをワイヤーで繋いで、あとは安全なところに退避してスマートフォンで遠隔操作する。ドローンを垂直に飛ばせばスポンとマンドラゴラが抜けるってわけさ」
言うは易し行うは難し。博巳は心で呟いた。
「しかもこのドローンはカメラを搭載しててな、引っこ抜くマンドラゴラの様子もこのゴーグルでリアルタイムで確認できるんだよ。だから、ちゃんと抜けているかどうかもわかる。犬だとそうはいかないだろ?」
正寅は立ち止まり、博巳の背中を叩いた。
「じゃあ、この辺で別れよう。お互いの抜くマンドラゴラの悲鳴で狂い死ぬのは避けないとな」
「わかった。俺は西に行くよ。兄ちゃんは東に行きな」
「まさか、おまえ、事前に下調べして、マンドラゴラの育ってないポイントに俺を誘導してるわけじゃないよな、ええ?」
正寅は笑いながら博巳の背中に拳をぶつけ、先に東に向かって歩いていった。その様子からよほどの自信があると見える。浮かれて命を落とさなきゃいいんだが。博巳は思いながら西へ向かった。
しばらくしてすぐに博巳は名もわからぬ草に紛れて、マンドラゴラの葉が突き出ているのを発見した。濃緑色の立派な葉だ。しっかりしたマンドラゴラが収穫できるだろう。
「よし」
博巳は万が一のことがないように耳栓を取り出した。それを耳に嵌めようとして、結局やめた。マンドラゴラの悲鳴はどんな防音対策をしても聴覚に訴えてくるという。つまりこんな耳栓など無意味なのだ。そんなことよりもむしろ、悲鳴を上げさせないというやり方が正しいということを証明する必要がある。つまり、耳栓なく掘り出せたという実績がなにより重要だった。
博巳は耳栓をしまい、スコップでマンドラゴラの周りの土を掘り始めた。引き抜かなくても、傷つけた瞬間、悲鳴を上げるかもしれない。自然薯掘りと同様、慎重に作業を進める。地中に埋まっている部分も自然薯に比べればマンドラゴラは遥かに短い。しかし、ちょっとした刺激でも悲鳴を上げてしまうかもしれないと思うと、緊張感から作業は予想以上に時間がかかった。
結局、地中に埋まった人型が完全に露出するまで二時間近くかかってしまった。
「まぁ、これは初めての作業だから、時間がかかってもしょうがない。続けていればもっと効率よく作業が進められるようになるはず」
博巳は小声でぶつぶつ独り言ちた。父も言っていた。一番大切なのは死なないことなのだ。土から露出したマンドラゴラをそっと掴んで揺らしてみる。かなりグラグラと揺れる。毛細の根が土から剥がれている証拠だ。このまま優しく揺らしながら、周りの土を指で掻き、そっと大地から離す。慎重に慎重を重ねる。そして、狙い通り、悲鳴を上げさせずにマンドラゴラを収穫した。悲鳴は上がらない。そして博巳は生きている。
「うおお! 獲ったぞ!」
思わずひとり声を上げる。
時間はかかったが犬なしの収穫を成功させた。このままの勢いで次のマンドラゴラへ挑んでもよかったが、なにせ生身でマンドラゴラ収穫に挑んでいるのだ。息子の身を案じているだろう父に無事を伝えておきたい。博巳は一旦、父の元へと戻った。
意気揚々と戻った父の元には、同じ考えだったのか、正寅の姿があった。無事な兄の姿を見てほっと胸を撫でおろす。だが、次の瞬間、博巳は驚きで息が止まりそうになった。正寅が籐編みの浅皿に乗せているのはマンドラゴラだ。驚いたのはその数である。実に六つのマンドラゴラが山と積まれている。
「に、兄ちゃん、それ……」
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