中編
――幾年かの時を経た。
アグナスは屈強な肉体を持つ青年に成長していた。その腰には無名の剣を帯びている。その剣は白鋼の剣であり、父が残した未完成の剣だった。だが、今の剣は完成した姿には程遠い。刀身にはまだ打ち跡が残り、光の脈動は弱々しいものの、アグナスはその剣を己の分身のように扱っていた。
「剣に魂を込める男になるだろう」
かつて父オリンが言った言葉はアグナスの胸に深く刻まれている。彼は剣を完成させるため――父の仇を討つために旅に出ていた。それは父の遺志を継ぎ、ルナリエという謎の存在にまつわる真実を探し求める旅でもあった。アグナスの旅は幾多の困難と試練に満ちていた。
道中、アグナスは古びた鍛冶場を訪ね歩き、各地の名高い鍛冶師達と出会った。彼らの中には剣の完成に必要な技術を教える者もいれば、未完成の剣の真価を恐れ、それに触れることすら拒む者もいた。また各地の名だたる剣士や拳闘家に戦う術を学び、戦闘の技術を磨き続けた。
道中の金策は磨いた鍛冶師としての腕を活かし、各地の町や村で剣や防具を打つ仕事を請け負った。その技術は旅の中でさらに磨かれ、彼が作り上げる武具は常に評判となり、依頼人達から信頼を得ることが出来た。
時には彼自身が傭兵として戦場に立つこともあり、魔獣討伐や盗賊退治などを通じて資金を稼ぎつつ、自身の戦闘技術を実戦で鍛え上げていった。アグナスはいつしか<灰月の鍛冶師>と呼ばれ、名声を高めるようになっていった。
そして、ついに<ピュリタニア>という国を訪れたときである。
この地において<モーンリス>という人狼の一族が住む隠れ里があるという噂を耳にした。その隠れ里は王国の外れに位置し、広大な森と険しい山々に囲まれているとのことらしい。
「<モーンリス>……父を殺したあいつらはそう言っていた。然らばヤツらは……」
この人狼の一族は人間を極度に恐れていた、その白銀の體と持つ力故に古来より人間達に狙われてきた。彼らの骨や毛皮は希少な素材として高値で取引され、一族は長きにわたり迫害と戦いを余儀なくされていたという。
時に彼らは人間の姿を借りることで生き延びようとしたが、やがて人間の欲望のために厳しい自然の地に追いやられたと伝承があった。その追いやられた地が<モーンリス>であるというのだ。今では並みの人間では入り込めないほどの険しい自然の難所とされている。危険な場所ではあるがアグナスは確信した、父の仇はそこにいるのではと――。
覚悟と決意を固めたアグナスはピュリタニアの
バルハは長年に渡り剣や防具の研磨を手掛け、多くの戦士や貴族達から信頼を得ていた人物である。アグナスは彼を訪ね、どんな凶暴な魔獣や野盗に襲われても対処できるように自身が持つ剣を差し出した。この頃には剣は完成しており、刀身は美しい月光のような輝きを放っていた。バルハは剣の刀身を宝玉でも見るかのように眺めていた。
「これは……珍しい剣だな。その刀身はただの鋼ではない。いやこれは……」
「どうした?」
「何でもない。それより、これを作ったのはあんたかい? <灰月の鍛冶師>よ」
「私ではない。同じ鍛冶師であった父オリンの遺したものだ」
バルハはそっと太い指で剣を握り、その重みと刀身の質感を確かめるようにしばらく沈黙していた。彼の瞳には剣の輝きが映り込み、まるでそれが一種の神秘的な儀式用いる神器であるかのように映っていた。暫くして、バルハは慎重な口調で言葉を紡いだ。
「この剣を研ぐ必要はないだろう」
「必要はないだと?」
「おうさ、そもそもこいつは刃こぼれもしていないし、刀身には既に驚異的な力が宿っている。この剣は普通の武具ではない――何故俺のところに持ってきたんだい」
アグナスはその問いに答えることは出来なかった。この父が残した剣はこれまでの戦いで幾度か使用してきたがどんなに固い魔物の肉であろうが、鱗であろうが斬っても刃こぼれ一つしたことがない。
それを何故わざわざ研師のところに持ち込んできたのか……それは長年に渡り蓄積した父殺しの人狼達への復讐心から来る焦燥感と、不確かな未来から来る迷いからである。アグナスは剣を見つめながら静かに答えた。
「この剣は俺自身の運命を繋ぐ鍵であると思っている。だが、それが完全に正しい道なのかは確信が持てないのだ」
運命を繋ぐ鍵。
実のところアグナスはこの剣に父の秘密が隠されているのではないかと思い始めていた。アグナスがそう考える理由は、この剣がただの武器としては明らかに異質な存在だったからだ。
父オリンがその剣を鍛える際、夜な夜な何かに語りかけるように作業を続けていたのを幼い頃に目撃した記憶がある。その時の父の背中はどこか重苦しく、そして何かを守り抜こうとするような意志が感じられたのだ。また、理由が他にもあった――それはあの父が殺された日に人狼達に言った言葉である。
――愛しいものの遺骨を使い、剣を鍛えた。
その意味から察するに、この剣は何かの骨を使い鍛え上げた代物であるということだ。ピュリタニアの地では、かつて人狼の背骨を使用した武具の製造をしていたという話がある。
もし、その技法が今でも伝わっていたら――素材に人狼の背骨を使用していたと仮定するならば――父が人狼達に突然襲われ、惨殺された理由はこの剣にあるかもしれないと思ったからである。
「運命を繋ぐ鍵か……ふむ、なるほどね」
バルハはその言葉に深く頷きながら、アグナスに向けて慎重に語りかけた。
「お前さんはそこらの英雄気取りのゴロツキとは違い、自分の行動がどれだけの意味を持つのかを理解しているようだな。年寄りの俺から言えることはお前は覚悟を持ち、自分の進む道を信じることさ」
その言葉がアグナスの胸に深く響いた。
「すまなかったな、その剣は研ぐ必要がない代物だった――。俺は少しばかり臆病で慎重になっていたのかもしれない」
「気にするな<灰月の鍛冶師>よ――神のご加護があらんことを」
「そちらもな、研師バルハよ」
彼は剣を見つめ直し、父の遺志、ルナリエという名に秘められた謎――また人狼達への復讐の炎を新たに燃え上がらせるのであった。
だが、アグナスの心中に曇り、ざわめきが残っていた――それは剣に秘められた真実が、ただ父の遺志や人狼たちへの復讐に留まらず、もっと大きな何かを抱えているのではないかという予感である。
アグナスは、剣を通して聞こえるような気がする微かな響きを思い返していた。それは時に彼を励まし、また時に惑わせるような不思議なものだった。その響きが何を意味するのかは、彼にはまだわからない。ただ確かなのは、この剣が単なる武器ではなく、父オリンやルナリエという存在、そしてフェルニアスの一族と深く関わっていることだった。
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