第5話.可憐・精悍
ザッ ザッ ザッ………
『はぁ…………はぁ…………うっ!』
ドサ
『はぁ…………もうダメ、もう走れない…………』
出鱈目に走り回ったせいで、もはや何処かも分からない森の奥。私は頼みの綱だったスタミナ回復アイテムを使い切り、重たくなった膝を地面に落とした。私の後ろには依然、恐ろしいイノシシが私の命を狙っているわけだが、もう私には打てる手も、走る気力もない。
ここまで必死に走ってきたが、もう諦めよう。別にまだ村の住人レベルはたいして上げていないのだから、元の村に拘る必要はない。どうせ迷子なのだから大人しくデスリスポーンでゲームスタート地点に戻って新しい村を探しに行こうじゃないか。
『いくらリアルだって言っても、痛みを感じるわけじゃないんだから、死んでも大丈夫。大丈夫』
覚悟を決めて、私を執拗に追いかけ回してきたイノシシと対峙する。イノシシは“絶対に私を殺す”と言った眼光で唸り声をあげている。何がこんなにもこの子を怒らせてしまったのだろう。どうしてゲームの中でまで、こんな理不尽な目に合わなくてはいけないのか。
『怖いなぁ。死にたくないなぁ』
死ぬにしても、もっと勇敢に戦って死にたかった。デスペナルティーは“一定時間村から出られない”だったっけ……そうなれば暫くは猫様を飼うことは無理だ。
【ブモォォォォォォ!】
イノシシが私に向かって突っ込んでくる。
私は目をギュッと閉じて、せめて自分の身体が嬲り殺しにされるのを見ないようにした。そして闇の向こうで荒々しい足音とともにうめき声が近づいてきて……
『救援します!』
『!?』
突如、凛とした声が私のイノシシの間に割って入った。
驚きパッと目を開けば、誰かが私を庇うように背を向けて立っている。その姿は暗くてよく見えないが、淡く輝く小柄な女性のようだ。
『月の妖精……?』
【ブモォォォォォォォ!!!】
『やあああぁぁぁ!』
妖精は怒り狂うイノシシに少しも怯むこともなく、手にした槍を巧みに操りイノシシに突撃と斬撃をお見舞いする。その動きはまるで踊っているかのように優雅だ。
『これで、終わり!』
【ブギィィィィィィ…………】
最後の突きが額に刺さると、あれほどしぶとかったイノシシは悲しそうな鳴き声を上げて、ポンッと煙になって消えてしまった。妖精はそれでもすぐには槍を降ろさず、キョロキョロと周囲を警戒し、周りに他の敵がいないことを確認してからようやく構えていた槍を下ろした。
『ふぅ……』
『た、助かった…………』
唐突に脅威は去ったが、何が起こったのか思考が追いつかない。森で迷子になって、イノシシに追いかけられて、妖精に助けられて……え、これって何かのイベント?
私は地面にへたり込んだまま、目の前に現れた妖精を観察する。月の光に照らされ淡いセレストブルーの髪は優しく輝くき、羽織った紺のボレロが羽のようにヒラヒラとはためく。その立ち姿には美しさと力強さが宿り、その姿はジャンヌ・ダルク…………ワルキューレ………いや、もはやニケと呼べるだろう。
『…………あの、大丈夫ですか?』
『あっ、はい、スミマセン大丈夫です』
いつまでも立ち上がらない私に困惑した彼女の呼びかけで、ようやく遠くに飛んでいっていた思考が現実へと引き戻された。よく見れば彼女のアバターの上にはプレイヤーアイコンが出ているし、普通に通りかかりの他のプレイヤーが助けてくれただけだった。私はリアル感を味わうためボイスチャットをオンにしているから、遠方からでも誰かが叫んでいるのが聞こえていただろう。だから、こうしてわざわざ助けに来てくれたのだ。
『(目の前の敵と夜闇のせいで全く気づかなかった…………。めちゃめちゃ騒いじゃって恥ずかしい!)』
恥ずかしさを覚えながらも私は急いで立ち上がり、彼女に感謝の言葉を述べる。
『あ、あはは、すみません助けてくれてありがとうございます!体験型VRは初めてだからあまりのリアルさに驚いちゃって、騒いじゃってごめんなさい!』
『いえ、気持ちは分かりますよ。僕も初めてオオカミにあったときに「犬可愛い〜」って不用意に近づいて噛まれちゃって凄い悲鳴あげちゃいましたから。普段はゆるいゲームだから油断しますよね』
柔らかい声とゆるゆるとした口調が、私の緊張した心を解してくれる。そんな、姿だけじゃなくて声まで可愛いなんて!
これがNPCじゃなくてプレイヤーなんて信じられない。
場の空気が和んだところで彼女がランタンを掲げ、ようやく暗闇に明かりが灯る。
『眩し…………』
『あ、ごめんなさい。点けないほうがよかったですか?』
『いえいえ違います!光の下で見ると貴女の美しさが余計に輝いて恐れ慄いただけで…………ごめんなさい違います忘れてください』
ただ普通に感謝を伝えたかっただけなのに、ついテンパってオタク特有の早口で変な言葉を口走ってしまった。しかし彼女は私の意味不明な発言にぽかんとしていて、私はすぐに自分の失言を反省する。命の恩人にこんな顔をさせてしまって本当に申し訳なさすぎる!
『薬草摘みに来ただけなのに迷子になっちゃって、武器も明かりも持ってきてなくて困ってたんです!ありがとうございました!!!』
『そうですか、お役に立てたならよかった』
彼女は私の世迷い言に言及すること無く、朗らかに対応してくれた。よもや美しいのはアバターや声だけではなく心までとは……なんとしてでもお近づきになり、一生付き従うモブになりたい。ただその場合、妖精の周りを飛び回る私という存在が解釈違いでもある。オタク心は複雑だ。
『えっと、あなたは…………“みちる”さん?』
私はちらりと彼女の頭上に浮かぶプレイヤーネームを盗み見る。そこには平仮名で“みちる”と書いてあった。なるほど、可憐な姿に似合う可愛らしい名前だ。
『はい。あなたは、“キタマリ”さん?』
『おふっ…………はい』
北原茉莉絵、略してキタマリ。他人に呼ばれることを全然想定せず、適当に普段呼ばれている愛称のままの凡庸なハンドルネームを呼ばれて、私は恥ずかしくて吐血しそうになってしまった。
『(せっかく美少女に呼ばれるなら、もっとまともな名前にすればよかった)』
『ここであったのも何かの縁ですし、ご迷惑でなければ近くの村まで送りますよ』
またも思考を飛ばし歯噛みする私をよそに、みちるさんはなんとそんな優しい申し出をしてくれた。
『え、でも…………』
私としてはとても有り難い話だが、ただでさえ命を助けて貰ったうえに道案内までして貰っても、私にはみちるさんに返せるお礼はない(勿論、彼女が見返り目的で近寄って来たなんて思わないが)。
しかし心優しいみちるさんは、気後れする私を見て不審に思われていると勘違いしたのか、手を振りながら慌てて弁明を始める。
『あっ、いや、お礼目的とかナンパとか、下心があるわけではなくてですね!?夜はモンスターが出て危ないし明かりもないから大変かなと思ってですね!?』
その必死な姿に「あぁ、この人は本当に善良なプレイヤーなんだな」と安心し、私は彼女の言葉に甘えることにした。
『ふふ、そんなに言い訳しなくても大丈夫ですよ。丁度迷子になってて困っていたので送ってもらえるととても助かります!』
私の言葉にみちるさんは安心したようで、可愛らしい笑みを見せてくれた。
『(う〜ん、推せる!)』
私の中の可愛いVRアイドル部門第1位の満月ちゃんがいなくなり荒れていた心が癒やされていく。猫派でも堕ちるあの魅惑のウサミミお姉さん……いや、お兄さん?さんがいなくなってしまったのは世界の損失だった。
『(今どきのゲームは一般プレイヤーでもこんなに可愛いなんて、科学の力ってすごいなぁ)』
私はどうやってこの美少女とフレンドになれるだろうかと考えながら、彼女の明かりを目印に暗い森を抜けた。
『みちるさんもこの村の住人だったんですね』
『はい。近くに湖があるのが魅力的で』
村に向かって一緒に歩いていると、みちるさんも実は同じ村に住んでいることが判明した。みちるさんは欲しいアイテムのために森ではちみつを集めをしていて、丁度イノシシに追いかけられて絶叫しながら逃げる私を見かけたため、わざわざ追いかけて助けに来てくれたらしい。本当に女神のような人だ。見た目は小柄で可愛らしいから妖精って感じだけど。間を取って精霊とかどうだろう?
頭の中で彼女の月に照らされる白い陶器のような肌と柔らかそうな唇を舐め回すように眺めながら、私はみちるさんの会話に応える。
『村自体は全部同じに見えますけど、案外村の周りの地理が重要ですよね。私は村の近くに猫が出るって聞いたのでここにしたんです』
『猫がお好きなんですか?』
『はい!大好きです!実はこのゲームを買ったのも猫に囲まれて暮らしたいからで……』
そこからはぺらぺらと私が一方的に猫への愛とか日常生活のことなんかを喋り倒してしまったが、みちるさんは「そうなんですか」「すごいですね」「それで?」と巧みな話術で相槌を打ってくれていた。
そして夜が明ける頃、私達は自分たちの村に帰り着いた。
『すっかり夜が空けちゃいましたね』
『あ〜〜〜ちゃんと帰れた〜〜〜〜〜〜』
『お疲れ様』
死にそうになったときは「もう新しい村を探せばいいや」って思っていたけれど、いざ生きて帰ることが出来たら感動で泣いてしまいそうになった。
『今は何もお返しが出来ないんですが、この恩は必ず返しますね!』
『気にしなくても大丈夫ですよ。それより同じ村に住む者同士、これからよろしくお願いします』
みちるさんはそう言って、そのままクールに去っていってしまう。その背中を、私は必死に呼び止めた。
『待ってください!』
『?』
『その、フレンド交換してもらえませんか…………?』
キョトンとした顔で立ち止まる彼女に、私は勇気を振り絞りフレンド申請を送る。
だって、このままお別れなんて嫌だ!いくらご近所さんでも所詮は他人。そうじゃなくて、もっと仲のいい存在でいたい。
断られたら嫌だなという気持ちと、みちるさんなら受け入れてくれるに違いないという期待が入り混じり、心臓がバクバクと鳴り止まない。
『(お願いします、お願いします!)』
私はそう心の中でお願いする。そんな私に彼女は……。
『……………ごめんなさい』
悲しそうな目でペコリと90度に頭を下げて謝罪した。私の美少女とお友達計画はあえなく玉砕したのである。
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