第4話.野望・無謀




ピンポーン


「はーい!」


ガチャ


「どーもー、北原さんで?」


「はい、そうです!」


「ではこちらになります。ありがとございましたー」


「ありがとー!


……うふふ、やった〜!やっと届いた!」


 私の名前は北原 茉莉絵(きたはら まりえ)。都内の芸術学校に通う専門学生だ。

 私は届いたばかりの段ボールをバリバリと解体しながら、中の荷物を取り出す。これが届くのを、どれだけ待ちわびていたことか。


「遊ぶためのソフトはもう買ってるから、後はこの本体を繋いで設定するだけ!」


 段ボールの中身はフリーマーケットアプリで頼んだ、型落ちした体験型VRゴーグルだ。


 なにを隠そう世の中は空前のバーチャルゲームブーム。そこから登場したVRアイドルたちは、街の広告でもテレビでも動画サイトでも、姿を見ない日はないほどに現代社会に根付いている。勿論、私にも何人か推しはいる。

 彼らの魅力はただ画面越しに見るだけでなく、直接ゲーム内に触れ会いに行けることだが、あいにく体験型VR機器は高額で学生には敷居が高いうえに授業にバイトと忙しく、私は未だに誰とも会ったことはない見る専だ。


 ……ただ最近のVRアイドル業界はちょっと、いや、だいぶ荒れてしまっている。始まりは一年前、私の推しでもある満月ちゃんがネカマバレ炎上で引退してしまった件を皮切りに、次から次へと活動者の裏の顔がリークされ、もはやどのVRアイドル事務所も関係なく、業界全体が燃えてしまっているのである。


 だがVRアイドルを推していることと流行りのゲームで遊んでみたいという気持ちは別物である。2年生になりようやくお金と時間に余裕が出てきたので、私も満を持してVRMMOに手を出してみることにした。いや〜高かった。VRゴーグルとモーション機材で7万もした。私の1ヶ月分の給料は丸々飛んで貯金を崩す羽目になったので、これはもう相当やり込んで楽しまないと損とかいうレベルじゃない。


「カプセルタイプのVRとかだと100万とか200万とかするらしいけど、流石にそこまでしようとは思えないかな」


 私が買ったVR機器は簡易体験型であるが、体験型VR機器の中には熱や光、風などといった感覚まで体験させてくれるカプセルタイプの本格的体験型VR機器というものも存在している。映像の綺麗さや処理速度も段違いにいいらしく、本気でやってるVRアイドルの子たちやプロゲーマーの人たちが「これで100万なら安い!技術の進歩万歳!」と絶賛している。まぁ、ゲームやりこみ勢ではないミーハープレイヤーの私には簡易型で十分だ。


「よしよし、プレイ環境はセットできたね。それじゃあさっそく、ゲームを起動するとしますか!」


 

 そして!初プレイVRMMOのタイトルだが、その名は“イシュタルの休日”というほのぼのスローライフRPGだ!VRMMORPG、と繋げて言うと何だか呪文みたいだが、要は仮想空間でのんびり暮らしていくゲームである。え?戦闘ゲーム?ないない、無理無理。

 今どきのVRMMOは戦闘メインで荒野を駆けたりモンスターを狩りに行ったりするものが多いが、イシュタルの休日はスローライフがメインで、冒険に出かけるだけでなく農業したり家を作っれたりするのが売りであり、運動音痴だし怖がりの私には銃撃戦とかモンスターだらけの世界より、可愛い動物との触れ合えるこういったゲームのほうが魅力的だ。


 そう、それに私には現実世界でおおよそ出来ない1つの野望がある。それは“猫に囲まれながら絵を描くこと”!

 現実世界での私は猫好きなのにアレルギーのせいで猫に触れず、ずっと遠目から猫を眺めるだけの歯がゆい生活をおくっていた。しかし、仮想現実なら思う存分に遊んで、撫で回して、吸うことが出来るわけだ。このためだけに7万叩いたと言っても過言ではない。


 ただし、たとえゲームの世界とはいえど猫様を飼うには厳しい条件が存在した。イシュタルの休日で猫を飼うには、ゲーム内の村ごとに住人ランクをあげる必要があるのだ。つまり定住地を持たない人間にペットを飼う権利は貰えないというわけだ。そういうところまでリアリティ無くていいのに。

 住人レベルをあげるには村で一定時間過ごすか、村でのお使いクエストをこなしていくかのどちらかなのだが、一刻も早く猫を飼いたい私はお使いクエストを選択した。


『ま、迷った…………』


 そして薬草を採るために森に入って見事迷子になってしまったのであった。




−−−−−−−−−−−−




『マップもコンパスも有るのに、住んでる村の位置が分からん…………』


 一刻も早く猫を飼うために、私はチュートリアルを適当に読み飛ばし、クエスト受注後は着の身着のままに村を飛び出した。そして、現在森の中で迷子になっているというわけだ。

 私は手にしたマップを回しながら首を傾げる。恐らく村を出る前にちゃんと帰れるようにマップに印を付けておけばよかったんだろうけれど、特に何も考えずに意気揚々と走ってしまったため、マップには現在地しか表示されていない。いや、現在地が分かるだけでも十分有り難くはあるのだけど、分かったところで自分が森の中にいて西と東に開けた場所があることしかわからないのだ。


『道からも外れちゃったし、周りはどこも同じに見えるしなぁ』


 薬草のために道を外れたり、リスを追いかけてうろうろして方角を見失っていたらこの有り様だ。自業自得すぎてため息が出る。


『やばいなぁ、どんどん夜になっていく。確か夜のマップでは上級モンスターが出るんだよね……………』


 薬草摘みだけで済むと思ったからろくに装備も整えてきておらず、初期装備のまま、周囲を照らすためのランプも持ってきていない。このままでは明かりもない森の中で一夜を明かすことになってしまう。暗い森で朝まで待つだけでも十分怖いが、夜になると昼に出てくる暴れウサギやネズミより凶暴な、イノシシやクマといった上級者向けモンスターが出てくるらしい。

 幸い初ログイン特典のスタミナ回復アイテムとHP回復アイテムは持っているが、だからといってクマ相手に戦えるビジョンは全く浮かばない。というかいくらゲームとはいえ、月明かりしかない森の中でクマと出くわしてしまうなんて想像するだけでゾッとする。


『なるべく音を立てないように…………』


 私はそろそろと木の根を跨ぎ、隠れられそうな場所を探す。木の上であれば比較的安全に過ごせるだろうが、リアル運動神経が壊滅的に終わっている私には登れそうにない。そのため、出来たら洞窟や遺跡なんてものが見つけられると助かるのだが…………。


『あっ、道が…………キャアアア!?』


 前方に開けた場所が見え、それに夢中になっていた私は足元にまだ木の根があったことき気づかず、道へと転がり落ちた。


ズザァァァァァァ


バサバサバサッ!


『〜〜〜いっ、たぁぁぁ!』


 ……くはない。高いところから落ちてHPが減ったとはいえ、所詮は10万以下の機材でプレイしているゲームなので、別に痛みが伝わってくるとかそんなSFチックな高機能システムは存在しない。

 つまり、ただの条件反射だ。


『リアルなグラフィックなのに痛みがないなんて、いつか日常でやらかしそうね』


 私は独りごちる。ネット記事で読んだのだが、近年では長時間に渡り体験型VRゲームをプレイすることで仮想空間と現実の境界が曖昧になり、現実のクマと戦おうとしたり、熱いやかんをそのまま手にとったり、ゲーム脳に侵食され思わぬ怪我や事故を起こす若者が増えているらしい。私もなるべく長時間のプレイは控えておこう。


 ……とまぁ、それは後々に憂慮するとして、今は不注意でよくわからない所に転がり落ちてしまったことのほうが重要だ。


『結構な音立てちゃったや。今のでモンスターが集まってこないといいんだけど』


 汚れるはずはない服をなんとなくパンパンと払い、私は立ち上がる。幸い大した高さではなかったようで、HPがちょっと削れただけで済んだ。この程度ならスタミナゲージが満タン状態の今なら自動で回復してくれる。なので、敵に見つかる前にさっさとここから逃げよう。


『えっーと、とにかくこの道をたどってどこか休める村を探して、そこが自分の村じゃなくても装備を整えて朝を待ってからまた森を迷えばよし!』


 そうと決まればさっそく東に向かおう……としたその時、


【ぷぴっ!】


『ん?ぷぴっ?』


 夜の森に似つかわしくない可愛らしい鳴き声がすぐ近くから聞こえた。


 慌てて足元を見れば、暗闇のなかでぬいぐるみみたいな小さくてもふもふとした何かが私に向かってぷぴふぴと鳴いている。その茶色く縞々した姿は、写真で見たことのあるうりぼうと呼ばれる生き物に似ていた。


『えっ!?か、かわいい!!!』


 私は思わずしゃがみこんでじりじりとゆっくり、うりぼうに近づく。しかし、ある程度近づいたところで彼らは【ぴきー!】と叫びながら足早に闇の向こうへと逃げていってしまう。


『ありゃ、驚かせちゃったかな…………』


 残念。私の本命は猫様であるが小動物は基本的に何でも好きなので、可愛いうりぼうに逃げられてしまい仄かに心に傷を負った。


ザク…………ザク…………


『ん?』


 まぁ野生動物ってこんなものだろう、と無理やり自分を納得させていると、どこからか草を踏みしめ歩く足音が聞こえてきた。


 もしかして、他のプレイヤーだろうか?


 私はそんな期待を胸に抱いたが、近づいてくる足音とは対照的にいつまで立っても見えてこない明かりに、段々と嫌な予感を感じ始める。

 そうだ、野生のうりぼうが単独でいるわけがない。当然、子供の側にはお母さんやお父さんがいるわけで…………。


『あ、あはは…………こんにちは〜…………なんて』


 暗闇から現れたのは、私の胸の高さまである大きなイノシシだった。実物のイノシシを見たことがないので違いがわからないが、そのイノシシは黒くて大きく、鋭そうな牙を持っていて、暗闇の中に赤く染まった目が輝いている。


『ワァ、スゴイリアル…………』


 イノシシは鼻息粗く、じりじりと後ろに下がる私を真っ直ぐに睨みつけ、大きな咆哮をあげた。


【ブモォォォォォォ!!!】


『〜〜〜っコレ絶対ダメだって!!!』


 その叫びを聞いて私は自分がこのイノシシに絶対に勝てないことを悟り、一目散にその場から逃げ出した。


ガサガサガサッ


ドドドドドドッ


『ムリムリムリムリ!!!』


【モォォォォォォ!!!】


『いやぁぁぁぁぁぁ早いぃぃぃぃぃぃ!!!』


 ここ3年で一番と言えるほどの全力疾走で、私は必死に山道を駆け抜ける。ゲームの中だとはいえ自分史上最速の走りであるにも関わらず、エネミーはその背を見失うこと無くしつこく追いかけ回してくる。それでも丸腰の私には奴と戦うなんて選択肢は存在しない。出来るのは少しでも早く諦めてくれるのを祈りながらただ走るのみ。


 けれどもう、その鬼ごっこは終わりを迎えようとしている。私のGAME OVER《死》とういう形で。




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