第3話.過去・現在




 人気絶頂のVRアイドルであった満月の中身、笹野木満留(ささきのみつる)の幼少期は極々平凡だった。

 家族の容姿は普通とは言えないくらい恵まれていたが、それを鼻にかけることもなく穏やかで、平凡な自分にも十分な愛情を注いでくれた。二人共は働きながらも休日には一緒に出かけてくれたし、欲しい物もちゃんと買ってくれた。可愛い二人の姉もよく一緒に遊んでくれたし、お菓子を買ってくれたり勉強も教えてくれた。

 そうして十分な以上を受けてすくすくと育ち、小学生のころは活発でクラスの体育委員を務め、バスケ部に入っていた。真面目で明るく、たまにやんちゃして怒られる普通の小学生時代。


 やがて優れた家族の中で自分だけが平凡であることに気づき始めた中学の頃。彼女が出来て手を繋ぐだけでドキドキするような甘酸っぱい恋をしたり別れて号泣したり、友達と喧嘩して引きこもったり、両親に反抗したり、多感な時期の普通の学生生活を送った。


 高校の頃は非凡な自分を変えたくて軽音部に入りボーカルとしてライブハウスで歌ったり、バンドの真似事をしていた。毎晩友達とわいわい遊び歩いて、「将来はバンドマンでもいいな!」なんて冗談で笑った。


「満留は将来何になりたいんだ?」


 そう言われて、初めて人生に疑問を抱いた。

 楽しいことはたくさんある、やりたいこともたくさんある。けれど、どれもそれで稼いでいくヴィジョンが浮かばない。


「あれ?僕は何をして生きていきたいんだろう」


 それが分からないまま、何となくで選んだ大学に通い、友達も作り、バイトも楽しく過ごした。


 それでも、自分が何をしたいか、何をするべきかは結局分からなかった。


「君の特技は?」


「君を動物に例えるなら?」


「うん。それで、何でうちの会社がいいの?」


 ……自分は、何なんだろう?


 人にチヤホヤされるのは好きだけど、芸能人になれるような容姿は持ち合わせてない。スポーツは小学生のバスケ以来何年もやってないし、絶対に音楽で生きていたいと思うほどの熱意もない。

 そうやって考えれば考えるほど自分がつまらない人間に思えてならなかった。エントリーシートは当たり障りのないふわふわとした言葉で埋まり、面接は少し深堀りされるだけで躓いて就職活動は全てが空振り。気がつけば大学を卒業してしまっていた。それで余計に自分に自信がなくなった。

 最初のうちはそれでも就職支援施設に通って仕事を探したけど、どれもピンとこない。たまにこれかな?と思う職場に応募してみても、新卒から遅れた僕はなかなか受からなくて、次第に泥沼に嵌って動けなくなり、気づけば何もせずにただ毎日インターネットを眺める日々を送っていた。


 家族はそんな僕を強く責めたりしなかった。父も母も、「人生とはときに迷うものだ。正しい道はないのだから、お前の最善の道を見つけなさい」と言ってくれた。僕はそんな言葉に甘えて、フリーターとして働いて就職先を探していた。

 僕がそうして怠惰な日々を送っているとき、ついに体感型VRMMOに新時代が訪れた。


 今までのVRゲームはリアルさを追求するあまりストーリが雑だったり、ストーリーやキャラに拘りすぎるあまりバグだらけだったりと、なかなかゲームとしていいクオリティが出ておらず、わざわざ高い機材を揃えてまで手を出す魅力を感じないものばかりだった。しかし、ようやく時代が人々の理想に追いついたのだ。


 初めてそのVRの世界に入ったときのことを、今でもはっきりと覚えている。僕は遊び半分で人間キャラじゃなくてマスコットの犬アバターとしてゲームに入ったのだけれど、四肢で踏みしめる草の感触も、耳に聞こえる遠い木々のざわめきも、他のプレイヤーに撫でられた感覚も、まるで自分が本当に犬だったかのように思うほどリアルだった。

 その現実ではない現実の世界に僕はすっかり魅了されて、バイトも辞めて昼夜問わず1日中ゲームへどっぷりと飲めり込み、嫌いな自分の身体も現実も捨て、一日の大半を仮想現実の中で生きるようなった。


 数多の世界で色々な種族のアバターになってみたけれど、一番面白かったのが女性アバターで遊ぶときだった。女性アバターは現実の自分とはかけ離れていたし、それになんとなく、姉のお古を着こなせなかった過去の自分が報われるような小さな悦びもあった。ただ、理由はそれだけでなく、女性キャラは男性キャラより見た目や装備の種類が多いので、キャラメイクと装備の組み合わせのバランスを考えるのも楽しかった。

 たとえ物凄く可愛いキャラクターが作れたとしても、ゲームである以上能力値を気にした装備を身に着けなければならない。そうすると装備によっては顔に似合わずめちゃくちゃ地味な服装になったり、色合いが悪くなったりする。

 そうやって装備に合わせて髪型を変えたり、逆に顔に合わせて装備を調達したり……現実世界では身なりに時間を使うなんて面倒で少しもやる気が出ないのに、見た目が可愛いと不思議といくらでも時間が掛けられてしまう。


 満月は、そんな僕の最高傑作だった。ハイファイはユーザーが作ったキャラクターを広告塔にして他のユーザーを呼び込む手法を取っているため、キャラクターメイキングの幅がかなり高い。満月のミルキーピンクの髪だって、薄すぎると儚すぎるし、ピンク過ぎると我が強そうに見えると、カラーピッカーの中から1時間かけて肌に合うように選んだものだ。

 だから獅子王に「絶対に人気者になれる」と言われてギルドにスカウトされたときは困惑したと同時に嬉しかった。俺自信が認められた気がしたから。その後ユーザーを騙して女アイドルとしてやっていくと言われたのは気乗りしなかったけど、正直無職だった僕にはユーザーランク報酬のネットマネーは断りきれない魅力があった。でもそれを受け入れたおかげで、大きな恩恵がいくつも手に入ったのも確かで。ギルドに入ったおかげでより強い敵のドロップアイテムでもっと強くて可愛い装備も作れたし、みんなにたくさん可愛いと言ってもらえた。その点に関しては、獅子王に感謝している。

 そうして僕は、言われるがままにだらだらと嘘を吐き続けて、甘い汁を吸い続けていた。


 けれど満月は、僕が最初に想像していたよりもずっと人気になりすぎてしまって、最初の嘘が二度と取り戻せないところにまで行ってしまった。だから終わり方も、根本からポッキリ折れて、オシマイ。


 もし生まれ変われるなら、今度こそ自分の可能性を信じて、正直に生きよう。アバターを使わなくても、僕は僕のまま生きられるって、満月に見せてあげるんだ!


 僕はそう誓い、一度この世界から消えた。




−−−−−−−−−−−−




「はい、ご注文のレモンフラッペです!ありがとうございました、またお越しくださいませ」


 僕は目の前の客に今季の新作ドリンクを渡しながら微笑んだ。彼は「どうも〜」と言いながら、渡されたフラッペに意識を移し、特に何事も去っていく。それを軽く見届けながら、僕はまた次の客のドリンクの作成に取り掛かる。


 ーーーーーーよかった、不自然に見られないみたいだ。


 満月を失った後、僕が手始めに始めたのは流出してしまった僕の顔写真の削除の依頼だ。個人で弁護士を雇い、中傷をする人は名誉毀損で開示請求して、ネットで情報を拡散する人は肖像権の侵害で通報して回った。そして今回の件で不利益を被った満月のスポンサー様及びコラボ企業様、一緒に炎上してしまったハイファイ運営様、ファンの皆様に謝罪文を送り引退を表明した。そして最後にはアカウントが悪用されないように削除し、満月は完全に世界からいなくなった。


 そして次にしたことは、自分の生活を見直すこと。

 働かない引きこもり故の運動不足、ゲーム最優先で乱れた睡眠時間、時短と称して栄養の殆どない偏った食事、風呂は安物の石鹸とシャンプーでちゃちゃっと洗って終わり。保湿もせず髪もタオルドライで再びゲームへ……。こんな生活で出来上がるのなんて、本当にただの堕落した不衛生廃人だ。今まで如何に自分というものを蔑ろにしてきたのか、冷静になって振り返ってみると恐ろしすぎる。

 なので知り合いの配信者の美容グッズ紹介などを見ながら全身のケア用品を一式揃え、美容室の予約し、満月として得ていた美容術を駆使して身体を整え、ヨレヨレの服を捨て通販で新しい服を頼み、家で出来る運動をして体力をつけてみたりと、とにかく鉄を熱いうちに打つことにした。


 そうして身だしなみに気を使い始めると、あまりに自分に足りていないところが多すぎて、あれもこれもと無限に気になることが出てきた。それらを改善していくうちに、あっと言う間に時間は溶けていった。

 けれど、その多くがすぐに劇的な変化が訪れるようなものではなく、毎日の小さな努力の積み重ねだった。努力の割に代わり映えのしない日々に、無価値な時間を過ごしている気になって嫌になるときもあった。でもその度に満月の装備のために時間をかけて素材を集めて回った時間を思い出し、怠けそうになる気持ちを必死に耐えた。



 そして満月の炎上引退から1年、僕は自分を変えることに成功して、社会で怯えることなくカフェでバイトしながら生きている。貯金はまだたくさんあるので、ぶっちゃけ働かなくてもある程度生きていけはするのだけど……引きニートとバレで炎上したのが密かにトラウマなので、週3勤務6時間勤務でゆるく伸び伸びやらせて貰っている。貯金はあるから嫌になったらいつでも止められるし、クレーマーに遭っても満月の厄介オタクに比べれば全然対応しきれるので、大学時代のバイトや就活時代に比べると遥かに心が軽い。

 それもこれも全部、満月のお陰だ。


「お次のお客様〜」


「あ〜すみません、この〜、シトラスかぼすティーくださ〜い」


「かしこまりました」


 ただ、その弊害なのか…………、


「(この人のネイル、可愛いな)」


 僕はメニューを指差す女性の指先を見ながら、そんなことを考えてしまう。


「(あ、この女の子の服可愛いな)」


「(この子のメイク、もっとリップを暗めの色にした方がいいのに)」


「(オルタの新作ファンデ可愛かったから、帰りに見に行きたいな……)」


 それだけでなく、つい道ゆく女性のファッションが気になって目で追ってしまうのだ。仕事中でも、テレビを見ていても。いや、人をジロジロ見るのはよくないんだけど、つい……。


「ちょっと危険な趣味に目覚めちゃったかな……」


 リアルでの女性への変身願望はないが、最近では通販サイトでレディースものまでチェックしてしまっている。家に女性物の服が置かれる日が来るのもそう遠くはないだろう。


「あはは……ネカマおじさんとリアル女装おじさん、どっちがやばいかなぁ」


 どっちにしろ、獅子王はどっちもキモい!って言うんだろうなぁ。


 僕はもう二度と会うことはないだろう旧友を思い出し、思わず苦笑いを零すのであった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る