第2話.失意・天啓




ーーーシュン


『っ…………!』


 目に映る景色が切り替わり、満月はギルドホームから賑やかな広場へと転移していた。退団したことによって、システムにより自動的に始まりの町の噴水広場へと飛ばされたのだ。

 人々は満月の存在に気づくと、俄に色めき立つ。


『え、あれ満月じゃない?』

『うわっホントだ!かわいい〜スクショしよ』

『なんでトッププレイヤーの満月が始まりの街に? 』

『新しい宣伝?』


『ていうかあのニュース、マジなんかな。中身おっさんってやつ』

『え、そうなの?ネカマってこと?』

『うわっ幻滅したわ』


 始まりの町は初級者・上級者など関係なく誰でも来れる場所であるため、トッププレイヤーかつ目立つ容姿の満月はすぐに人々の目をひいた。最初は好奇の目だったそれは、ニュース記事の内容を知るものが増えると、段々と軽蔑の混じった冷たいものへと変わっていく。


『あのアバターで中身おっさんなのは流石にガン萎えだわwww』

『あの変態ネカマ野郎、なんでまだゲームにいるわけ?』

『なんか怪しいと思ってたんだよね〜』


『そういえば私あいつのSNSフォローしてたわ…………はずそ』




『!』


 その言葉に満月ははっとし、急いでSNSのフォロー欄を確認する。すると騒動前は500万人近くいたフォロワーが、なんと300万人にまで減ってしまっていた。慌ててゲームのフレンド欄も見に行くが、こちらもやはりかなりの人数からフォロー解除されている。


ーーー見捨てられた、嫌われた。


 その事実に満月は目の前が真っ暗になり、「はぁ、はぁ」と無意識に浅い呼吸を繰り返す。


『(どうしよう、どうすれば)』


ーーー何と説明すれば許される?


 満月は、本当に周りを騙すつもりなんてなかった。ただ可愛い服を着て遊ぶのが楽しくて、それで周りも楽しんで「可愛い」と言ってくれるのが嬉しかった。


 ただ、それだけだった。


『みつけたぞ!!!』


『!?』


 呆然と立ち尽くす満月の前に、かなり怒った様子の男性アバターがやって来る。しかも一人ではなく、複数人。そしてその集団の先頭を歩いていた赤髪のアバターが、押し倒さんばかりの勢いで満月の肩へ乱雑に掴みかかり、怒鳴り散らす。


『この変態ネカマ野郎!!!金返せ!!!』


『そうだ!俺たちを騙しやがって!』


『ハイファイから出ていけ!!!』


ドンッ!


『うわっ!』


 そして赤髪の男は満月を力任せに地面へと突き飛ばした。が、能力値の違いのおかげでその身体がびくともせず、その上ダメージの入ることのないセーブエリアだったおかげで、男たちによる攻撃は満月になんのダメージも与えなかった。

 しかし、“攻撃される”という事実そのものが、満月の心を恐怖させる。


『うぅ……』


『泣き真似なんてしやがって!そうやって俺達を弄んで馬鹿にしてたんだろ!』

『絶対に訴えてやるからな!』

『二度とゲームができないようにしてやる!』

『出ていけ!』

『出ていけ!』


『『『ハイファンから出ていけ!』』』


 気づけば周囲にいたプレイヤーたちも、男たちと一緒になって野次を飛ばし、最終的に大きな騒乱となった。


『ご、ごめんなさい、ごめんなさい……!』


 数多の罵倒に耐えられず、満月はメニュー画面から必死にログアウトボタンを探し、逃げるようにハイファイからログアウトした。




ーーーーーカチ カチ カチ………


『…………』


 美しい西洋風の町並みと人々の喧騒が消え、世界はあっという間に暗闇と時計の音だけが響く簡素な空間へと切り替わった。そして接続の切れた嫌に重たいVRゴーグルを外して現れるのは、見慣れた汚く狭い自室の天井。視界に映る腕と足は白くもすべすべでもなく、黒くて濃い体毛に覆われていて、柔らかくもない筋肉のないヒョロヒョロとした筋張った無骨な身体。鏡を見なくても嫌と言うほど分かっている、ニキビと毛穴だらけの野暮ったい顔にダサい髪型、着古したよれよれで黄ばんだ安物のシャツ。

 これが満月の現実…………笹野木 満留(ささのき みつる)の姿。みんなの笑い者の、醜い本当の自分の姿だ。


 僕の両親は、どちらも容姿にも才能にも恵まれた人たちだ。母は凛とした美人でバリバリのキャリアウーマン、父は穏やかな優しい顔つきで大学の研究所で働いている。その遺伝子を引き継いだ二人の姉も、可愛くて穏やかで周りに愛され、銀行で働いたり式場で働いたりしている。その中で、僕だけパッとしない容姿で、なんの取り柄もない。姉たちのお下がりも、男だからということを差し引いても、どうしても二人のように着こなせない。

 周りからの視線も、「どうしてこの子だけ出来が悪いんだろう」、そう言っているような気がした。いや、実際本当にそう言ってくる人もいた。家族はそんな僕でも愛してくれたけど、僕はずっとみんなが羨ましくて仕方なかった。僕も、素敵な服を着こなせる、素敵な人になりたい。でもそうなれないから、僕は現実の自分を嫌い、虚構へと逃げた。そうしてどんどん社会からはおいていかれて、気づけば何者にもなれなくなっていた。


 僕はベッドのシーツに潜り込み、世界から自分の姿を隠す。


「どうして……」


 自分が男だとバレたら、当然騒ぎになるだろうとは思っていたが、まさか顔写真までバラ撒かれこんな大事になるなんて、思っても見なかった。先程の暴動、あれは時間が解決してくれるような生易しい怒りではなかった。嘲笑、嫌悪、軽蔑……あの様子では、もうトッププレイヤーの満月として生きていくことは二度と出来ないだろう。


「終わりだ……もう全部…………」


 見窄らしく恥ずかしい大嫌いな自分を捨てて、ようやく辿り着いた満月理想郷が、現実のせいでめちゃくちゃになってしまった。


「あぁ、いらない。こんな身体嫌だ。こんな身体じゃ意味がない。僕は、僕はただ可愛い姿で可愛い服を着たかった、ただそれだけなのに……」


 VRの中では、引きこもりでも無職でもない、理想の自分になれた。過去も今も未来も現実さえ関係なく、ただの“満月虚構の存在”でいられたのに、全部なくなってしまった。その幻想を守るために、獅子王の無理な要求にも愚直に従い、全部ぜんぶ我慢してきたのに。


「どうして、許されないんだ?」


 だってゲームって、インターネットの世界って、そういうものじゃないか。誰もが虚構を築き、偽りの自分を演じている。それなのに、どうして僕は許されなくて、嫌われて、追い出されてしまうんだろう。


 あんなにみんな好きだって言ってくれたのに。

 どんな姿でも好きだって言ってくれたのに。

 一生推すって言ってくれたのに。

 どうして中身が僕だって分かった瞬間、簡単に嫌いになるの?


「グズッ……悔しい。満月は完璧な存在だったのに……」


 僕はベッドシーツに包まった姿のまま、泣きながら廊下を歩く。どれだけ悲しかろうが、自分の身体を疎もうが、生理的な現象として尿意は湧いてくる。それが本当の自分の身体からは逃れられないことを示しているようで、余計に惨めで悲しい気持ちになる。


「リアルアバターはなくていいから、電子存在になりたい……」


 トイレに入り、鏡に映る忌々しい自分の姿と目があってしまう。今の自分は、白いシーツを頭まですっぽり被り、まるで質の悪いお化けの仮装だ。

 その姿はやっぱり醜く……


 みにくく…………


 ……………。


「………………あれ、意外と可愛いかも?」


 何だろう、いつもと同じ自分の姿のはずなのに、今日はなんだか可愛く見えてくる。

 僕はそれを確かめるように被ったシーツを脱ぎ捨て、鏡にズイッと身を乗り出し、よくよく自分の姿を観察する。


「よく見れば、僕の睫毛って結構太くて長いし、二重だから目が大きくパッチリに見えるぞ」


 生まれつき二重ではあったが、僕には無意味なものだと思い込んでいた。天然でこんなに目がぱっちりしているのは、大きなアドバンテージではないか!


「唇は薄くてガサガサしてるけど形も大きさも悪くない、これならリップグロスでどうとでもなる」


 髪型はダサいけど、それっていつも床屋にしか行ってないからじゃないか?美容室に行けばもっといい感じに仕上げてくれるだろうに、何となく怖くて行くことを避けていた。けれど今どき、男でも美容室に行くことは変なことではない。

 そうだ、シャンプーも石鹸もメンズものの安物だし、肌に合う合わないなんて今まで全然気にしていなかった。醜い自分が嫌なのに、何故か惰性でいつまでも実家で使っていた洗剤ばかりを使い続けていたし、自分をケアするために自分の身体に合うものを探そうという考えすらなかった。


 ユニットバスの鏡に、世界がキラキラと反射する。


「どうして今まで、リアルじゃダメなんて思っていたんだろう。まだ、試したことすらないのに」


 まるで何かの天啓を得たかのように、僕は自分の可能性に“気づいて”しまった。それはもしかしたら、満月からの最後の贈り物だったのかもしれない。


「そうだ。ハイファイでの居場所は失ったけど、僕にはハイファイ内で稼いだお金と満月として外部で働いたお金、ネットマネーとリアルマネー総額2億円分の貯金と、アイドル活動するために受けたトレーニングで培った歌唱力やダンス、演技力がある」


 全てを失ったと思い込んでいたけど、満月として手に入れたものは実際にはこんなにも多く、僕の中に残っているんだ!


 それに気づいたとき、僕は“満月”から“笹野木満留”に生まれ変わった。馬鹿馬鹿しいと思われるかも知れないが、そうとしか思えない。僕は満月から転生して、今この瞬間に満留として生まれ直したんだ!


「満月………………ありがとう、お疲れ様。君のやり残したことは、僕が引き継ぐよ」


 満月の一番の願い。それは、“可愛い姿で、可愛い服を着たい”。


「踏みにじられて捨てられた君の夢の代わりに、僕が可愛いを極めてみせるからね!」


 その日、一人のVRアイドルが世界から消えた。それは1つの流行の終わりであり、また始まりでもあったことを、まだ誰も知らない。




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