君の落としもの
花宮守
君の落としもの
「落としたよ」
「え?」
振り向くと、俺と同じくらいの年頃の男が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。だが俺には心当たりがない。何かが落ちる音もしなかった。
「君の大事なもの」
彼は念を押すように続けた。
「ふぅん? でも、それが何なのか俺にはわからないな。拾ったなら置いてってくれないか? あとで確認するからさ」
受け取るなんて言ったら、怪しいものを渡される可能性が高い。悪いことをしなそうな奴こそ、警戒しないといけないんだ。
彼は困った顔をした。
「そうなると、話が変わってきてしまうんだ。僕が持っているものが何なのか、君にはわからない。ということは、僕が君にそれを渡していいのか、君がそれを持ち帰る権利があるのかは、わからないってこと」
「確かにそうだな」
そうだけど、何かおかしい。
「俺のポケットから何か落ちたとか、そういう話なんだろ?」
「何かって、何だと思う?」
「えっと……」
「手を入れちゃ駄目だよ。記憶で答えて」
そこで俺は頭の中に、朝ポケットに入れてきたものを思い浮かべようとしたんだが、うまくいかない。夢の中にいるみたいだ。
「難しいみたいだね。じゃあ、今朝のご飯を思い出してみて」
「今朝は……」
母さんが眠い目をこすりながら作ってくれた、卵焼き、ハムサンド、酸っぱいサラダ。あとはワカメとじゃがいもの味噌汁と……。
「ふふ。ドレッシングは、君のお母さんの手作りだね? 細かく刻んだ玉ねぎがたっぷり入ってて」
「ああ、うん。油を一切使ってないのが自慢でさ」
「優しい君は、酸っぱくて苦手なのに一度も文句を言ったことがない」
「よくわかるな」
俺はいつの間にか、男との会話に引き込まれていった。家の前の道路に立っていたはずなのに、今、周囲に見えるのは草原だ。果ては見えない。空には、今にも雷雨が来そうな暗雲が広がっている。
状況がおかしい。頭ではわかっているのに、逃げようとか命の危機だとか思わない。男は、俺の親父の昨日の様子、その前の晩に俺が見た夢、去年一番悔しかったこと、一昨年一番嬉しかったこと、と次々に質問した。
「じゃあ次。十年前の今日、君は何をなくした?」
「……答えたくない」
それは俺にとって、いまだに心臓を切り裂かれるほど悲しいことが起こったはずの日だ。触れれば血が流れる。だから、誰ともそれについて話したことはない。頑なな俺に、父さんも母さんも友達も、そっとため息をついているのは知っていた。口にしなければ、俺の中に閉じ込めておけば、一生抱きかかえていられる。誰にも渡すもんか。
思い出さなくていい。思い出して、認めたら、あいつは本当に――あいつって、誰だ……?
「そっか」
彼がくしゃっと表情を崩した。泣きそうだ。急に幼くなり、目鼻立ちが『似ている』ことに気付いた。
「わかったぞ! お前はっ……うわっ」
風、風、風。
辺りが見えないほどの空気の渦に飲み込まれる。とてもじゃないが、目を開けてなんかいられない。どこだ、あいつはっ。
――ありがと。
「おい、待てよっ」
ありがとって何だよっ……これでお別れみたいな声しやがって!
風が徐々におさまってくる。向こうがだんだん見え始める。俺の記憶が戻ってくる。
「
風が、やんだ。元の住宅街に立っていた。
あいつは、いない。ぽっかりと心に開いた穴は、そこから落ちたものの存在を思い知らせた。抱きしめていたかった。もう、届かない。記憶と引き換えに、永遠に修平が持っていってしまった。
「まあ、いいか。もともとあいつにやるつもりだったんだからな」
あいつに対する、俺の恋心。
十年前に死んだ、俺の従弟。
君の落としもの 花宮守 @hanamiya_novel
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