第4話 天と地のコメント
押し寄せる黒い軍勢に槍先を向けた。コバエのような黒波が羽音を響かせながら迫ってくる。
僕は四肢の緊張を解き、深く息を吸い込むと、腹の奥に力をためた。周囲が視界の端まで黒で埋め尽くされる中、溜めた力を一気に解放し、眼前の敵めがけて駆け出した。
槍の動きに合わせて生じた余波で、黒波の中にはその場に留まることすらできない個体が現れた。鋭い風切り音がエンジンのように響き渡り、波は砕け散った。
僕は渾身の一突きを敵の中心へ繰り出し、その勢いのまま体をひねり、遠心力を込めて槍を振り払った。黒い群れは互いを押しつけるように飛ばされ、後方の大多数が彼方へと散っていった。
(まるで砂浜を相手にしているようだ――いくら振り払っても埋まっていく)
わずかに空いた空間を埋めるように、増援が空から降り注ぐ。瞬く間に再び取り囲まれた僕は、視線を素早く振りながら、槍を繰り出す手を止めなかった。だが、人を超えた槍捌きであっても、アンチコメントの増殖には追いつけない。
全身で槍を振るい続けても、膨れ上がる敵の数に圧倒され、焦りが心をかすめた。
「数が多すぎる!」
僕の叫びに反応するように、小型モニターが現れる。
「ホコ、想定以上の数だ。確実に減らしてはいるが、このままでは1分もかからず、こいつらは彼女に到達してしまう。君1人の力では――」
「分かってる!でも振るい続けるさ!」
僕は一息で槍を構え直し、飛び立った。奴らの頭上へ舞い上がり、その先陣へと飛び込む。空中で一瞬、はるのここを見ると、その大きな瞳が強張っていた。落ち着きのない視線が不安を隠せず、僕の胸を熱くする。
喉の奥が燃えるように熱くなり、怒りが煮えたぎった。
「ここから先へは進ませない!アンチども!」
すると、ツバサの落ち着いた声が響いた。
「そんな君にこれをプレゼントしよう。」
僕の両隣に新たな槍が突き刺さった。それは今の槍より小ぶりだったが、矛先を包むように天使の輪のような光が回っていた。その槍たちは自ら空中に浮かび、ゆらりと回転しながら矛先が敵へ向かうとピタリと動きを止めた。
「ホコ、それは君の“ポット”だ。君の意識に応じて動く。対面制圧にはもってこいの性能をしているよ。」
僕は息を整え、意識を集中させた。(前方を切り裂き、中心で乱回転だ……!)
イメージ通り、ポットは鮮やかに動き、黒波を切り裂いた。
ポットの動きでコバエたちは正面に誘導され、僕は槍を力いっぱい投げつけた。群れは槍に押し込まれ、満員電車のように押し詰められる。僕は一気にその柄を握り、全身で力を込めた。
「この枠からぁ、出てけぇぇぇ!」
叫びとともに槍を振りぬくと、密集した黒波は爆発的に弾け飛んだ。
だが、残りの十数匹が後方へ散った。その一部が彼女の方へ向かってしまう。
(しまった――!)
はるのここへ飛んだアンチコメントを導くように、ホログラムの階段が空のコメント欄へ伸びていった。
僕は目をかっぴらいてその後を追う。コバエのような黒い影が蛇行しながら階段を転げ上がっていく。
(一匹でもいい!止めるんだ!)
体を投げ出し、手を伸ばしたが、それは虚空を掴むことしかできなかった。アンチコメントは空へと吸い込まれ、はるのここに届いてしまったのだ。
(あぁ……ここちゃん、お願いだから……!)
全身の力が抜けた僕は、ホログラムの階段に激突し、そのまま転がり落ちて地面に横っ倒れた。鈍い痛みとともに、悔しさが胸に込み上げる。肩が震え、落ち着かせようとしても震えは止まらず、口元まで伝わっていた。
怖くて顔を上げられなかった。はるのここがアンチコメントに傷つき、泣いている姿を想像するだけで、胸がかきむしられるような思いがする。
僕は拳を握り、地面を叩きつけた。
「ばかやろう……僕だけが、彼女の矛になれたのに……意気地なしのバカやろう!」
自分自身を罵倒する僕に、ツバサの声が降りかかる。
「ホコ、顔を上げてごらん」
その声はこんな状況にもかかわらず落ち着いていた。
「……いやだ」
「いいから、上げてごらん」
その明るい声に同情の色はなく、敗北を慰めるものでもなかった。腑に落ちないながらも、僕ははるのここに背を向けたまま、両腕で身体を持ち上げて上体を起こす。目の下が鉛のように重い。ゆっくりと顔を上げると、そこにはいつもの白い空間が広がっていた。アンチコメントは消え失せ、日常の景色が戻っている。
「ツバサ、上げたよ」
「いいや、まだ足りない。泣きたい時は空を見るんだよ。もっと上を見なよ」
彼の言葉に従い、顔をさらに上げた。その瞬間、僕は気付いた。空を駆け抜ける無数の音――それはアンチコメント以上の勢いで流れる応援コメントだった。
戦闘の激しさに気付かなかったが、きっとここちゃんを心配したリスナーたちが一斉にコメントを送ったのだろう。その光景に唖然としている僕に、ツバサが語りかける。
「まったく、参ったね。この勢いだ、逆にアンチコメントは飲まれただろうね、あの応援団に。今じゃ彼女、すっかり笑っているよ」
ツバサはアンチコメントが飲み込まれたのを気の毒に思ったのか、あるいははるのここに釣られたのか、どこか楽しげに笑っていた。その目には明らかに羨望のまなざしが宿っている。
「ツバサ……いいもんだろ、推しは」
僕も彼と同じ視線を共有しながら、静かに言った。
やがて彼は答えた。
「ああ、ホコ、いいものだな。いい関係じゃないか。時には笑って、落ち込んだら励まして……ただ、ひとりの人を想う。それは素敵なことだと思うよ」
陽気な仕草で配信を続ける彼女を、僕たちは配信が終わるまで見守っていた。その間、アンチコメントが流れることはなかった。むしろ、心なしか応援コメントがさらに増えた気がする。
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