第3話 火の粉をはらう矛になろう

僕の初配信防衛から数回の配信が経ち、このシステムと僕自身のプログラムの全貌が次第に明らかになってきた。


「僕からの応答はいつでもそっちに届くけど、ツバサとここちゃんからの声は僕の名前、ホコと呼ばないと届かないんだよな」


「そうだね。そして私は権限があるから君とはこうして会話できるが、彼女からは声を聞くだけだ」


「僕がここちゃんの挨拶を毎回聞けるのは愛の力かと思ってたけど、実際にはって言葉に反応していたってわけか」


ツバサは小型モニター越しに頷きながら、こちらともう一点を交互に見ていた。恐らく研究記録でも取っているのだろう。作業を続けながら、彼は淡々と説明を続ける。


「君の名前をホコに略称した理由もそこにある。単音だと認識できないし、私からのバックアップを受けられなくなるからね。幼馴染からの、うっとおしくない程度の気配り。それに名前を呼んでから1分で応答が切れるようにしてある」


「どうしてそんな短い時間に設定したんだ?」


「忘れっぽいなぁ、君が提案したんだぞ。『推しとは手短にコミュニケーションを取るべきだ』って、腕組みしながら自信満々に言ったじゃないか」


「ああ……そう言った気がする。配信のリズムを崩したくないからな」


「配信者がコメントを読んでレスポンスを返すのに十分な時間を見込んだ設計だよ」


僕は「わかってる~」と軽く指を鳴らして応じた。僕にとってのリスナー像、それは文字に化けた黒子であるべきだ。目立たないことが理想だと思っている。もちろん、リスナーの在り方は人それぞれだが、僕は短いコメントで推しへの愛を伝える方がしっくりくる。


「ところで、僕はいつになったら彼女と同じ空間で生活できるようになるんだ?」


「ホコ、君は黒子じゃなかったのかい?」


「叶うならそうしたいと思うのは人の、いやリスナーの性さ。それに、僕たちの研究の目的はそこだろ?」


「少なくとも数十年はかかる。さすがの私でもね。けど、優秀なメンバーが1チームいて、研究費を惜しみなく使える環境なら、数か月で実現できる」


僕はツバサに拍手を送った。さすがは天野ツバサだ。彼ができると言うのなら、それは事実に違いない。


その日の配信でもアンチコメントは送られてきた。

とはいえ、大半は槍の一振りで片付く程度だ。たまに数回の渾撃を加えるコメントもある。送ってくる悪意によって強度が違うのだ。

そういったコメントの数は極端に少ない。ここちゃんのリスナー層は心得ている人が多い。彼女の配信に訪れる人々は、人生の苦難を経験し、人に優しくできる人が多いのだろう。僕はそんなリスナーたちにも敬意を抱いていた。


「ホコ、彼女はそろそろ配信を切り上げるみたいだ。今日もお疲れ……」


ツバサの声が途中で途切れた。僕は何か不具合でも起きたのかと思い、小型モニターを確認する。そこには彼の姿が映っていたが、妙な陰りが見える。彼は僕ではなく、別の一点を鋭く見つめている。


「ツバサ~、何かあったのか?」


問いかけた直後、空からおびただしい数の文字が降ってきた。

見たこともないほどの量のアンチコメントだ。その量に圧倒され、内容を正確に把握することすらできなかった。


咄嗟に槍を握り直し、身構える。文字の塊は毛を逆立てたイノシシの姿へと変貌していく。アンチコメントは送り主の情緒に呼応して形を変える。イノシシは直情的なコメントの象徴だと、これまでの防衛で分類していた。


(なんだ……この数は!100匹以上いるじゃないか!)


瞬間、ある可能性が頭をよぎる。同時に視界が暗転した。

配信の枠が閉じたのだ。

コメント欄のプログラムの仕様により、枠が閉じると僕の機能も停止する。


プログラムが停止している間、僕に思考は許されない。ただ、それまでの映像が繰り返され、再起動を待つだけだ。


再び視界が開けたとき、ツバサの声が聞こえてきた。


「ホコ、緊急事態だ」


次の配信が始まったのだ。僕はさっきの異常事態を思い返しながら言った。


「……まさか……炎上したのか?」


唇が震える。あの異常なアンチコメントの量が頭をよぎる。


「そうだ。ただ、大したことはない。彼女の登録者数の1%にも満たない程度の規模だろう。前回の防衛から2週間が経過しているが、さてどうなるか」


ツバサに向き直り、僕は驚愕の声をあげた。


「2週間?!そんなに経っているのか」


「前回の配信翌日、コメント欄を閉じた謝罪配信を行ったそうだ。生の声で謝罪したいという彼女自身の意向だった。そして今日、自主規制明けの配信だ」


僕は小型モニターを見つめ、眉間に皺を寄せる。


「なるほど……さすがはここちゃん。初めての炎上なのに完璧な対応だ」


「……そうだね、完璧だったよ」


ツバサはどこか歯切れの悪い相槌を打った。


そして、ここちゃんの声が聞こえてきた。普段より低く、張り詰めた声だった。


【ほ、ほこらを守るVtuber、はるのここです。みなさん!こここんばんハロー!】


彼女の挨拶が、防衛戦の火蓋を切った。

空から落ちてきた影が、白い空間を黒い群れで埋め尽くしていく。


「なんだよ……これ……」


ツバサの声が冷静に響いた。


「ホコ、君の推しはさぞ人気者らしい。払う火の粉は……9000個程だ」

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