【アボリジニ転生短編小説】永遠の環 —時を超えた魂の記憶—(約9,800字)

藍埜佑(あいのたすく)

●第1章:『最期の祈り ~研究者、永遠の今へ~』

 窓の外では、キャンベラの乾いた風が舞い、ユーカリの葉を揺らしている。


「カーター教授、お薬の時間です」


 若い看護師の声に、私は微かに頷いた。ジェームス・ウィリアム・カーター。オーストラリア国立大学で文化人類学の教授を務めた男の、最期の刻が近づいていた。


 私の研究室の壁には、40年以上に渡る研究生活で収集した資料が所狭しと並んでいる。その大半は、アボリジニの人々の暮らしや文化に関するものだ。特に、彼らの世界観の中核を成す「ドリームタイム」の研究には、生涯を捧げてきた。


 今、死を目前にして思うのは、自分の研究は本当に彼らの文化の本質に迫れていたのだろうか、という疑問だ。文献を読み、フィールドワークを行い、論文を書く。それは確かに学術的な理解を深めることではあった。しかし、彼らが語る「永遠の今」という概念を、本当の意味で理解することはできたのだろうか。


「先生、お客様です」


 看護師の声に続いて、ドアが開く。そこには、長年の研究パートナーであるウナ・バーンズが立っていた。彼女の祖母はアボリジニの長老であり、彼女自身も現代社会で活躍しながら、伝統文化の継承に尽力している貴重な存在だった。


「ジェームズ、あなたの研究は私たちの文化を理解する大きな助けになりました」


 ウナの言葉は優しく、しかし何か深い悲しみを含んでいるように感じられた。


「でも、まだ足りない。私にはそれが分かるんです。あなたはいつも、もっと深く知りたいと願っていた」


 その通りだった。私の中には常に、言葉にできない渇きのようなものがあった。学術的な理解を超えた、何かもっと本質的なものへの憧れ。


 窓の外で、大きな黒い鳥が輪を描いて飛んでいる。クロウタドリだ。アボリジニの神話では、この鳥は魂の案内者とされている。


「ウナ、私は……本当に理解したかった。机上の研究だけではない、魂のレベルでの理解を」


 私の言葉に、ウナは静かに微笑んだ。


「長老たちは言っています。


 その言葉を最後に、意識が遠のいていく。不思議な感覚だった。まるで、大きな円を描きながら、どこかへ導かれているような。


 目の前で、これまでの人生が走馬灯のように流れていく。サンゴ礁のような形をした岩絵の前で資料を取る自分。長老たちの話に耳を傾ける自分。フィールドノートを必死に書き留める自分。


 そして、突如として全てが静まり返った。


 まるで、時間そのものが止まったかのように。


 私は、永遠とも一瞬とも言えない時の中で、浮遊しているような感覚に包まれた。これが、彼らの言う「ドリームタイム」なのだろうか?


 そして、新しい光が見え始めた。

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