第5話 少年呼びお姉さんに探偵事務所への就職を勧める

 灯台の近くまで行くと海が見えた。


「おー、絶景ぃー」


 僕が灯台の横にあった歩道の木柵もくさくに肘を乗せて海を見ていると、追い付いてきたお姉さんが、ここから見える眺望に高揚した声を上げた。

 最果ての景色だった。

 柵の外側に伸びる枯れススキのむこうに広がっていたのは、今にも雨や雪が降りそうなくらいに低く冷たく垂れこめた雲の下に、灰色の海から打ち寄せる荒い波が白い飛沫を上げながら、眼下に広がるヤスリ目のように削れた岩礁を洗う光景だった。晴れた夏の日なら観光客で賑わっていたのだろうけれど、今は凍える冬の海風に人影はなく、まるで世界の終りの日を絵に描いたような寒々しい寂寞せきばくの情景が眼下に佇んでいた。


「なんかすごい削れ方してるね」

「波風に削られてあんな模様になってるんでしょうね」


 お姉さんが景色をつまみにでもするように酒を飲みながら白い息で話す。一面に広がる岩礁は、波風の当たる一定の方向に削られて平行に走る白黒の縞模様を描いていた。そしてその先に広がるのはここが大地の果てと主張する、遮るものなくどこまでも続く太平洋の大海原である。

 僕がこの日常からかけ離れた景観に最果ての雰囲気を味わっていると、


「下の岩、なんかに似てるね。あ、あれだ。焼肉用のホットプレート!」


 お姉さんが素っ頓狂な声で情緒もなにもない比喩を披露してくれた。


「もう少し風情ふぜいとか考えられないんですか?」

「若いねー、風情で酔えるならお酒なんていらないんだよ」


 にひにひ笑うお姉さんは中身を飲み干したのかチューハイの缶を振りながら僕の嫌味にそう答える。


「それとも風情にでも酔ってたかい?」

「別にいいでしょう。若いんですから」

「あはは、面白いよキミ」


 ふて腐れてみせる僕に、お姉さんは空き缶をビニール袋に片付けながら笑う。


「面白いから、ちょっとお姉さん考えたんだけどさ」


 そして入れ替わりに次の缶チューハイを出し、僕の顔を一瞥すると突然に謎かけを口にした。


「共通テストばっくれと掛けまして、灯台にトラウマのある少年と解きます――」


 この謎かけに思い当たりがあり過ぎる僕は内心に苦虫を嚙み潰した気分になったが、そこまで気づかれているなら感情的になるのも無意味で恥だと冬の海風に冷える頭で考えて、半ば白状するようにお約束の言葉を返した。


「――その心は?」


 カシュッとプルトップを開ける音がして、お姉さんが一口ごくりとチューハイで喉を鳴らす。そしてもったいぶるように「はぁ~」と白く一息吐くと、僕の真実について簡潔に答えを述べた。


「少年は東大受験生」


 こちらを見るお姉さんのドヤっとした酒帯び顔に、僕は否定の言葉を使いたくなったが、今さら嘘をつくのも子供っぽい反応だと逡巡しているところで「当たった? ねえねえ、当たった?」と顔を近づけて訊いてくるお姉さんの鬱陶しさに、僕はユーモアで負けを認めることにした。


「就活は探偵事務所とか志望したらどうですか?」

「あー、いいねそれ。検討してみるよ」


 自分の推理の正解に上機嫌なお姉さんは「ほっほっほ」と笑いながら祝杯のように酒をあおり、さらにご褒美のようにビーフジャーキーも齧り始めた。


「じゃあ、『東大に親を殺された』が当たらずとも遠からずというのはわかりますか?」


 人の悩みをつまみにするなら全部残らず食べてみろと、僕は自分からこの話を続ける。


「まあ、受験がらみの家族トラブルだろうね」


 お姉さんがなんでもないことのように言う。そうだろう。実際に客観的に見ればとてもよくある話だった。


「ありきたりの話ですよ。父が東大卒の大企業エリート。対して母は日東駒専レベルの私大卒で、学歴にコンプレックスがあったんですよ――」

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