第7話 料理人の怪事

 庭の木に雷が落ちたのを見て、りゅう眩暈集げんうんしゅうが予言歌の本だと確信したという。

 だが最初の歌以外はどれも表現がひどく抽象的で、意味がわからない。

 とはいえ放置もできなかった。

 詩心のない自分が一朝一夕に読み解くのは困難だと考えた劉は毎日少しずつ歌の解釈に取り組み続けたらしい。


 怪事件が起きたのは、そんなある日の午後――。

 今から四日前のことだったという。


「話はいささか逸れますが、私は大の食道楽でしてね。お気に入りの料理屋の店主を屋敷に時折呼んで、一日専属で料理を作ってもらっています。出張料理というやつですな。ああ、もちろん代金は弾んでますよ」

「はあ、そうなんですか」


 やや冷めた反応の六花に劉は頓着せず続ける。


「私が最近気に入っている料理人のひとりに阿七あしちという男がいましてね。串焼きの屋台をやってる若い男なんですが、これがうまい肉を食わせるんです」

「なんのお肉ですか?」

「まちまちです」

「え?」

「鳥やら豚やら牛やら、まあ品質と仕入れ値が噛み合ったものでしょうな。ときには魚なんかも炙って売る。肉というよりタレがうまいんです。苦労して作った極秘のタレだそうで、塗って焼けばなんでも極上の味になる。もちろん彼しか製法は知りません。すぐ売り切れてしまうので、家に呼ばないと満喫できないんですよ」

「ふうん。それはなかなかすごい串焼き屋さんなんですね」

「でしょう? そんなわけで四日前のその日も私は阿七を家に呼んで食事を作らせました。タレをたっぷり絡めて焼いた鳥の串焼き……いやはや絶品でしたよ。そのお礼も兼ねて食後に眩暈集を見せたんです」


 最初のうち阿七は「自分は字が読めませんから」と固辞していたという。

 だが文字の形を眺めるだけでも伝わるものがある――素晴らしい書とはそういうものだと劉が語ると興味を引かれたらしい。

 二階の書斎で大真面目に眩暈集をためつすがめつする阿七を眺め、劉はなんとも言えない満足感を抱いたのだった。


 やがて屋敷に来客の知らせがあり、劉は阿七ひとりを残して書斎を出た。

 訪ねてきた客は出入りの園芸師で、新作の盆栽を持ってきたという。

 なかなか味のある出来だったので劉は鉢植えを買い取り、いそいそと二階へ戻る。


 ところが――。


「私が書斎に戻ると誰もいませんでした。阿七は消えていたんです。眩暈集と一緒に」

「……盗まれたんですね?」


 六花の鋭い言葉に劉は曖昧にかぶりを振った。


「やあ、正直よくわかりません。そんな真似をしたらどうなるか。盗人の烙印なんて押されたら、もう村で暮らしていけませんよ。彼自身は読めないから必要ないでしょうし、あんな特殊な本は売るのも難しい……。ただ彼と一緒に消えたのは事実です」


 そもそも家の玄関には劉と園芸師がいた――それなのに阿七は二階の書斎から、どこへどうやって行ったのだろう?


 わからないが、ともかく劉は村の人々に声をかけると大勢で阿七を捜させた。

 だがいくら捜索しても彼の足どりは掴めず、やがて日が暮れる。

 とうとうその日は諦めて、明日また明るくなってから捜そうという話になった。


「――ところがです。翌朝、外に出ると屋敷の前になんと阿七がいました」

「え、戻ってきたんですか?」

「そうです。ぼうっと突っ立ってました。話しかけると様子が変で、まるで会話にならない。眩暈集も持っていませんでした。本をどこへやったと問いつめたんですが、なにをどう訊いても要領を得なくて」

「釈然としないですね……。逃げる途中で頭でも打ったんでしょうか?」

「ああ、それはないと思います。外傷はないと診察した医師が言ってましたから」


 どうだろう。外から見るだけでは案外わからないものだがな、と俺が無言で考えていると劉が思い立ったように口を開く。


「おふたりともお手数ですが、ちょっと私についてきてもらえますか」


 話の途中で急にどうしたんだ?

 怪訝に思いつつも気になるので、俺と六花は劉の後をついて歩き出す。


 階段をおりて一階の廊下を歩いている途中、彼がひとつ嘆息して話を再開した。


「なんといいますか、言葉で説明しても信じてもらえない気がしましてね。でも見れば一目瞭然です。じつは阿七は今うちにいるんですよ。ひとり暮らしで看病する者がいませんから一時的に世話してるんです」

「あ、なるほど。親切なんですね」

「というより、どうも放っておけない感じですから。阿七はここです」


 部屋の前で立ち止まった劉が扉を開けると、珍妙な低い声が聞こえてくる。


「コッコッコッ……」


 なんだ?

 俺は隣の六花と思わず顔を見合わせた。


 薄暗い部屋の寝台の上には、二十代の若い男が仰向けに寝ていた。

 劉が提供したのであろう白い麻の衣を着た短髪のその青年は、しかし仰向けになっているだけで眠ってはいない。

 目を大きく見開き、その瞳は天井の一点に向けられて微塵も動かなかった。

 そんな状態の彼の口が突然がばっと勢いよく開く。


「コケーッ!」

「ひゃっ?」


 意外な奇声に隣の六花が仰け反った。


「コッコッコッ……コケーッ、コココ……コーケコッコーッ!」


 寝台に仰向けで両手をばたつかせながら、けたたましく叫ぶ阿七を前に、さすがの俺も冷や汗をかいた。


「おいおい……」


 様子が変だとは聞いていたが、これは一線を超えているだろう。

 六花もすっかり唖然としていた。


「劉さん、これは一体……?」

「残念ながら私にもさっぱり」


 劉が首を左右にゆっくりと振って続ける。


「ともかく見ての通りです。戻ってきた阿七はにわとりの鳴き声しか出せないようになっていました。頭の中身もにわとり同然らしく、自分が今どうしているのかもわからないようで。たまにこうして奇声をあげる以外は寝転んでぼけっとしております」

「は、はあ……。確かにこれでは意思疎通できませんね」

「まったく、なにがどうなっているのか」


 劉がため息をついてぼやくが、こちらもそっくりそのまま同じことを言いたい。

 まったく、なにがどうなっているんだ?


「わからないが、これだけは確かだ。幸先がいい状態とはとても言えねぇ」


 俺はこめかみを指で揉んで呟く。

 事態は思ったよりも厄介なようだった。



 ◇ ◇ ◇



 話を聞いた後、俺と六花は速やかに劉家を出た。


 眩暈集の行方を唯一知っていそうな阿七との会話がまったく成り立たない以上、あの場に残っていても仕方ないし、悠長にしていられる状況でもない。

 急がなくては瑠瑠るるに先を越されてしまう――のだが。


「さっきの話からなにを察したんだろうな、瑠瑠ってやつは。突然『あれだ!』とか言って、どっかに行っちまったんだろう?」


 俺が疑問を口にすると、六花はやや悔しげに「……わからない」と応じて続ける。


「でも、こっちも手がかりは掴んだ。阿七さんは術をかけられてる」

「なに? そうなのか?」

「道の力の残滓ざんしを感じるから。事情は不明だけど、阿七さんは道術使いに襲われたんだと思う。結果として頭の中身をにわとり同然に変えられた」

「ふむ。じゃあ、そいつを見つけて術を解かせればいいのか?」

「阿七さんを治すにはそれが確実かと。ついでに事件の真相も聞き出せる」


 確かにこの症状と眩暈集の紛失が無関係なはずはなく、その道術使いが阿七から本を強奪したと考えるのが打倒なところだろう。


「わかった。じゃ、がんばってそいつを探せよ」

「大我も一緒に探す! それとも毒で死にたい?」


 冗談が通じないやつだ。


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