第1話 災厄の予言書

「それで仙妃様。改まってお話とはなんでございましょう?」


 その日の朝、たつこく(午前八時頃)。

 こうの国の後宮にある仙妃宮せんひきゅうの一室で、りん六花りっかは礼儀正しく尋ねた。


 六花は今年で齢十六になる長い黒髪の少女だ。

 華奢で小柄な体を、どこか道士を思わせる赤い宮女服に包んでいる。

 整った容貌なのに愛想がないせいで損をしていると言われがちだが、それは心外な意見というもので、本人としてはいたって素直な感情表現を心がけているつもりだ。

 根が真面目なだけである。

 不器用な態度は生まれつきだから、こればかりは致し方ない。


 そんな彼女の前でゆったりと長椅子に腰かけているのは、六花が侍女として仕える相手、仙妃せんひこと何蓮花かれんか仙妃。

 名前が示す通り、人間ではない。

 この国に現在ひとりしか存在しない、仙人の妃嬪ひひんだ。


「まあまあ、そんなにかしこまらなくていいわよ、六花。大した話じゃないから」


 そう言って軽やかに笑う仙妃は、明るい緑色の斉胸襦裙せいきょうじゅくんを身につけた優雅な女性である。

 頭の両側の髪を三つ編みにして頭頂部に回して組み合わせ、残りを緩やかに長く垂らしている。髪飾りは枯れない蓮華れんげの花だ。


 一見すると二十歳前後だが、仙妃の実年齢は不明であった。

 仙人だけに外見はどうとでも自由になるらしく、実際にはこの国で最も長寿の老人より長生きしている。詳しい出自を知る者は後宮にいないらしい。

 皇帝でさえ把握していないそうだから、さもありなん。

 仙妃とは、それほど特別な存在なのだった。


 例えばこの国の後宮には、下級の宮女も含めて何千人もの女性がいるが、花形である妃嬪には厳然たる序列がある。

 上から順に、四夫人、九ひん、二十七世婦せいふ、八十一御妻みめ

 数字はその人数を示す。

 またそれぞれの称号の中にも格があって、例えば四夫人なら、貴妃きひ淑妃しゅくひ徳妃とくひ賢妃けんひの順に重んじられる。

 そしてその貴妃の、さらに上に君臨するのが仙妃なのだ。

 つまりは一仙妃、四夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻という位置付けである。

 現在この国では正妻である皇后が死去して空位であるため、事実上、仙妃が最上位の女性ということになるのだった。


 もっとも仙妃は妃嬪である前に仙人だから、普通の人間相手に懐妊する確率は限りなく低い。

 仙妃いわく、それは砂浜から砂糖の一粒を見つけ出すことくらい難しいのだという。

 そしてその話は当然ながら皇帝も聞いて理解している。

 だったら、なぜ仙妃を最上位の妃嬪にしているのか?

 あからさまに言ってしまうと、答えは見栄だ。

 仏教よりも道教を重視する、この国の皇帝特有のものである。

 道教において誰もが憧れる俗世の超越者、仙人。

 その妃嬪を国の権勢の象徴として自らの後宮に置いておきたい――。

 より高尚でもっともらしい理由が表向きには流布されているけれど、実際にはただそれだけの虚栄心が本音であった。


 仙妃はそんな皇帝の思惑を、人間の愛すべき浅はかさと評して好み、あえて退屈な後宮に留まっているそうである。

 本当だろうか?

 仙人の寿命は長く、その行動原理は通常の物差しでは測れない。

 だから決して酔狂ではなく、真理につながる探究心の一種なのだと仙妃を敬愛する六花は考えている。


「とはいえ、大した話じゃなくても無視できない場合があるのは世の必定……。じつはふたりに頼みたいことがあってね」

「ん」


 仙妃の言葉に短くうなずいたのは、六花の隣に立つ瑠瑠るるだった。

 瑠瑠は六花と同じく仙妃付きの侍女だ。

 身につけた宮女服も色が違うだけのお揃いで、年齢も同じ。

 この仙妃宮に所属する侍女は、仙骨という生得的な仙人の資質を持つ六花と瑠瑠のふたりだけで、他には誰もいないのである。


 瑠瑠は胡人こじん――西域から来た異民族だそうで、一年前に突然やってきて仙妃に弟子入りを嘆願し、見事にその才能を認められて侍女となった。

 ふわふわと波打つ髪の色は淡く、異国情緒が漂う青い瞳は澄んでいる。

 小柄な六花よりもさらに小柄な体躯だが、内に秘めている膂力は尋常ではない。

 この国の言葉にはいまだに不慣れ――そのため極端に無口なのが玉に瑕だが、ほかに欠点らしい欠点がない才女だった。


 いつものように瑠瑠が黙りこくっているので、六花が口を開く。


「頼みといいますのは……」

「後始末。ちょっとした厄介事を片付けてほしくて」


 仙妃が軽い調子で切り出した。


「既に一部では騒ぎになってるんだけどね。先日、河南かなん地方の福石村ふくせきそんというところで古い書物が見つかったの。眩暈集げんうんしゅうという名の歌集で、そこに詠まれた歌は、なんとどれも予言歌なんですって。不吉な災いの未来を表してるって、もっぱらの評判なのよ」

「ははあ。巷では多いようですね、その手の予言歌。様々な解釈のできる意味深な詩を詠んで、後付けでこじつけるという」

「うんうん、よくあるわねぇ」


 仙妃が微笑を六花に向ける。


「でもこの眩暈集はそれとは違って、本物の予言書。矛盾なく解釈されると問答無用で破滅の未来が実現する。そんな圧巻の危険物なのよ」

「ええ? まさかご冗談を」

「残念ながら本当の話。だって眩暈集は昔わたしが書いたものだから。いつのまにか紛失しちゃって、今の今まで忘れていたの」

「はい……?」


 六花は思わず耳を疑い、隣の瑠瑠もぽかんと呆気に取られている。


「そんな、仙妃様。どうしてまたそのような危ないものを」

「若気の至り。だってほら。分別のない青春期って、ときに世の中を滅茶苦茶にしてやりたいなんて思ったりするものじゃない? そんな淡い稚気の一種ね」

「やあ……。気持ちはわからなくもありませんが、そんなに明るく言われても」


 こめかみを押さえる六花に仙妃があっけらかんと続けた。


「もちろん簡単な予言歌じゃないけど、在野にも知恵者はいるわ。正しく解釈されると災いが具象化してしまう。下手をすると国が滅びるかもしれない。だからお偉方に知られる前に回収したいわけ。噂が都まで広まっていない今のうちにね」

「なるほど。可能な限り極秘裏に――」

「そういうこと。まったく、なんで今ごろになって見つかったのかしら」

「まぁ、失せ物は忘れた頃に出てくるものですから」


 静かに深呼吸して六花は心を落ち着かせる。

 軽い態度で頼まれたが、断れるような案件ではない。

 国の存亡に関わる内容だし、六花は仙妃の侍女にして直弟子なのだ。

 仙妃を尊敬していて、なにより恩がある。

 それはきっと隣に立つ瑠瑠だって同じだろう。


「もちろんお礼はするわよ。眩暈集を持ってきた者には次の仙妃になるために必要な奥義のひとつを授ける。どういう意味かはわかるわよね?」


 仙妃の言葉に、隣の瑠瑠がはっと息を呑み、もちろん六花も意味を理解する。


(そうか……そういうことか)


 もっと先の話だと思って考えないようにしていたが、いつも頭の片隅にあった。

 とうとう後継者選びが本格化するのだろう。


 今のところ対等な立場の六花と瑠瑠だが、そろそろひとりを次代の仙妃として内々に定め、本腰を入れて育成したいということ。

 いずれはどちらかを脱落させる――今回の案件はその試金石でもあるに違いない。

 頼みという形を取った、これは極めて実践的な選別試験。

 だとしたら絶対に負けられなかった。


「わかりました仙妃様。この件つつしんでお引き受けします」

「ん、同じく了解」


 六花と瑠瑠が揃って依頼を引き受けると、仙妃は満足そうにうなずいた。


「よかったわ。それじゃ――はいこれ」


 仙妃は懐から二個の令牌れいはいを取り出して六花と瑠瑠にひとつずつ手渡す。

 これはお馴染みの道具だった。

 仙妃の威光を表す金属製の小さなお守りである。


「困ったときに見せれば大抵の者は逆らわないけどね。もちろん野獣や精怪せいかいの類には効果ないから注意して」

「心得ています。ありがたくお借りします」

「河南地方までは馬車を使っても相当かかるわ。仙転台せんてんだいを使いなさい。確かあの辺にもあったはずだから」

「そうですね。複数あったかと」

「なら問題ないわね。六花、瑠瑠――この試験は決して安全なものではないわ。死なないように気をつけて行ってらっしゃい」


 仙妃がそう言って無邪気そうな笑みを浮かべた。


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