思い出が導く先に(第4話)

藍玉カトルセ

第4話

 これから僕が訪れる場所は一体どこになるのだろう。期待と不安がないまぜになった説明のつかない気持ちを抱えて、僕はルノワールから失墜の時計を受け取った。

「では、思い出の場所に君を誘うための呪文をこれから唱える。その間、目を閉じていてくれ」

「分かりました」

言われた通りに目を閉じ、ルノワールは呪文を唱え始めた。

「ブロン、ブラン、グリスノワール、ブラン、ブロン…グリスノワール、ブラン、ブロン、ブラン、グリスノワー…」

 だんだんルノワールの声が遠ざかっていくと同時に意識も薄れていった。ルノワールが呪文を言い終わる言葉を僕は聞いていない。こうして僕は呪文をかけられて京香がいる過去の世界へと時空旅行をした。


 「...ん.....…れ........れん..….」

 途切れ途切れに誰かの声が聞こえた。それが京香の声だと気づくのに、時間がかかった。

「蓮!しっかりして!」

 目が覚めた。僕の肩を揺さぶる細い腕。漂ってきた柑橘系の香水。カールした栗色の長髪。側にいるのは、まぎれもなく京香その人だった。

「きょう…か…?本当に京香なのか?!」

思わず大声を出した。もう会えないと思っていた大切な人が隣で僕の顔を覗き込んでいる。信じられない思いで名前を叫んだ。取り乱す僕を呆れ顔で見つめながら、京香はため息をついた。

「何馬鹿なことを言っているの?寺田京香と旗本蓮の他に誰がいるっていうのよ?紅葉を見に、さんかく公園に来れると思ってすごく楽しみにしていたの。それなのに駐車場に着いた途端、急に眠っちゃうんだもん。びっくりさせないでよ」

 紅葉?車?慌てて状況確認をする。僕は運転席でシートベルトをしていた。右手の中では失墜の時計のIX(9)の文字盤が光り輝いている。つまり、時空旅行で辿り着いた季節は秋ということになる。そうか、ここは秋の季節なのか。

「ところで、そのカメラ」

「ふぇっ?!」

 京香はいぶかしげにじろじろとカメラを見ている。まずい、過去から来たことがバレてしまったら、一巻の終わりだ。

「いつの間にそんな高級そうなカメラを買ったの?っていうか、蓮が写真とかカメラに興味あるなんて意外だった!」

「あ...…興味があるっていうか…まぁ、せっかくのお出かけだし色々写真とか撮ろうと思って」

「そっかぁ。確かに、こんなに綺麗な紅葉が辺り一面に広がっているもんね。あ、あとさんかく公園の散歩コースを抜けた先には、コスモス畑もあるんだよね。確か。コスモスの写真もたくさん撮ったらいいんじゃない?」

 無邪気に微笑みながら後部座席のハンドバッグに手を伸ばしながら、京香ははしゃぎながらそう言った。僕はカメラのことを少し後ろめたい気持ちでごまかした。今まで彼女に隠し事なんて数えるくらいしかしたことがない。だが、未来から時空旅行したことがバレてしまったら大変だ。怪しまれないようにしないと。複雑な心持ちになると同時に、頭をフル回転させてさんかく公園の思い出を手繰り寄せる。さんかく公園は京香との行きつけの公園。事あるごとに、晴れた日にはドライブで訪れる定番スポットになっている。

「よし!じゃあ、紅葉を堪能しよう。出発!」

「そうだね。行こうか」

 笑顔を無理やり作り、彼女の後に続いてドアを開ける。せっかくの再会なんだ。京香との思い出を存分に堪能しなければ。


 公園内は人もまばらでそんなに混んでいなかった。休日にもかかわらず、閑散としていた。見渡せば、イチョウやモミジなどの赤、黄色、オレンジに染まった鮮やかな葉っぱたちがそこここで舞い落ちている。

「うわぁ。やっぱり、これくらい風が吹いている日は落ち葉がくるくる舞っているのが見れるから最高だね」

 僕の数歩先を歩いていた京香はくるりとこちらを振り向いて、微笑んだ。上気した頬はピンク色に染まっていて、ドキリとした。

「あ...。ちょっとそのままで」

 慣れない手つきでカメラを構え、シャッターを切った。

「え、ちょ、ちょっと。そのカメラ、私を撮影するために持参したってこと?!恥ずかしいよ…」

 両手で顔を覆いながらうつむきがちに赤らめた顔を伏せる様子。やっぱり変わっていない。生前よく見た一つ一つの彼女の動作が今、目の前で起こっている。切なさが波みたいに押し寄せ、胸が苦しくなった。

「ごめん。あんまり、アルバムの写真とか撮ってなかったな...って思ってつい撮影しちゃった」

「なんだ、そういうこと?そういうことなら早く言ってよ。もっと気合い入れてメイクすれば良かった」

「いやいや、メイクをしなくたって大丈夫だよ。いつも通りの京香が一番良いから」

 我ながらクサい台詞を吐いてしまった。この言葉を聞いて、元々赤かった京香の顔はゆでだこのように真っ赤になった。僕までドギマギした。

「…散歩コース行こ」

恥ずかしさをごまかすためか、京香は踵を返して小走りで小道を進んで行ってしまった。見失わぬように、追いかけた。


 散歩コースは大きな池の周りをぐるりと囲むように作られていて、途中でいくつか道が分かれている。池にはカルガモや小さなミドリガメが優雅に揺蕩っていた。水面は太陽の光でキラキラと輝いていて、眩しいほどだった。コースに沿って植えられた木々の葉っぱは、カサカサと音を立てて秋色の絨毯を作っていた。京香はスマートフォンをハンドバッグから取り出し、カメラ機能で空や植物の写真を夢中で撮影し始めた。そうだ。昔から京香は自然が好きな人だったな。

「コスモス畑にたどり着くまでにスマホのアルバム、大量の写真で埋め尽くされそう…。でも、景色が綺麗すぎてシャッターボタンを押す手を止められないんだよね」

「そうだよね。一瞬一瞬の景色の移り変わりはかけがいのないものだしね」

「おっ!たまにはいいこと言うじゃん。ロマンチストが炸裂してる」

「そ、そんなんじゃないよ。ただ...僕は......」

「ただ?」

 首をかしげながら次の言葉を促す京香の顔を直視できず、思わず下を向く。

「...…いや、なんでもない。変な空気にしちゃってごめん」

「えー?思わせぶりなこと言わないでよー」

 笑いながら先を行く彼女を再び追いかける形でコスモス畑へと歩みを進めた。


 失墜の時計は相変わらず針のないまま、IX(9)の文字を光らせていた。


 ー第5話へ続くー


 

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思い出が導く先に(第4話) 藍玉カトルセ @chestnut-24-castana

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