5.想像以上
その週の土曜日は、朝から天候に恵まれた。
抜けるような青空からは、
暑さは感じるけれども、風は爽やかで過ごしやすい。
けれども前評判の通り、街路の人通りはまばらだった。
家族連れのお出かけ先は、郊外にあるショッピングセンターであるネオンモールと相場が決まっている。
街路樹からは、9月に入ってもなお、しぶとく鳴き続けるセミの声が聞こえる。皆、生きるのに必死なのだ。
「懐かしいなぁ。ここの店ってさ、まだ学生だった頃、友達や道場の仲間たちとよく来たんだ!」
猩々軒の堂々とした、けれども寂れた感のある建物を見上げながら、柴本が言う。
間口が狭く奥行きの長い、いわゆる〝うなぎの寝床〟のような店舗兼住宅が軒を連ねる
鉄筋コンクリート造りの3階建て。
外壁はひび割れ、塗装はほとんどが剥げ落ち、ところどころに赤サビが浮き出ている。かつてはその名の通り、鮮やかな朱赤で彩られていた建物は、ここの商店街が活気に溢れていた頃はシンボルだったのだろう。
象徴という意味では、現在もまぁ機能している。
数十年くらい目から時間が止まったかのように無気力で排他的、朽ちて滅びるに任せる姿は、商店街の行く末を暗示させるには充分すぎる。
店の真正面にある大時計は、かつては2時間ごとに音楽を奏でて住人や来訪者に時を報せていたと聞く。それが今やすっかり錆び付いて、長針と短針どちらも動く気配すらない。今の時刻は13時ちょっと前なのに、時計の針は4時15分くらいを指し示したままだ。
フリーペーパーを作るにあたって、商店街の顔役である園山氏は、ひとつ条件を出した。
創刊号には、商店街の象徴である猩々軒を取り上げるように。それで条件通りに初めての取材に来たのだ。
けれど、この廃墟にしか見えないボロい店を、一体どう紹介しろと?
見れば見るほど不安が押し寄せてくる。どうやって記事に仕立て上げれば良いのだろうか。わたしが考え込むのをよそに
「おーっし、行こうぜ!」
風を切って大股に歩き出した柴本の巻き尻尾を追って、わたしも慌てて店の中へと続いた。
ぎぃ、と音を立てる重たいガラス扉を押し開ける。
広々としているが薄汚れた――どころではない。確実に不衛生な店内だった。じっとりと
しっかりとした造りのボックス席がいくつかと、厨房をL字型に取り囲むようにしてカウンター席があった。
掃除が甘いのだろう。床のところどころにうっすらホコリが積み重なっている。座面に赤い合成皮革の貼られたボックス席など、どうしてうっすら白く曇って見えるのか。ちょっと考えたくない。
窓ぎわに置かれた観葉植物はどれも枯れ果てている。
『たべメモ』での前評判の通り――いや、むしろあれらはマイルドに表現されていたと思い知った。もう今すぐ帰りたい。
「こんちわー。 園山さーん! 今日はよろしくー」
「ん」
店主である猿族の壮年男性は、元気よく挨拶した柴本をちらと見てからカウンター席を指さした。
味一筋の頑固一徹名感じを出しているのかと一瞬だけ思った。が、店内の様子と本人の格好を見て、単にやる気がないだけだとすぐに分かった。
着ているのは、元は白かったであろうコックコート。
今や灰や茶色のまだらに染まってヨレヨレだ。
「あっちだってさ」
同行者に促され、観念して指定された席へと向かう。カウンターには申し訳程度に拭き掃除をした形跡があった。
さて、どうしたものか。席に腰掛けながら考える。見るからに不衛生で食欲が減退するような店を、一体どうやって紹介すればいいのか。ありのまま書けば客は入って来ない。けど、まるで素晴らしい店のように書けば、嘘を書いたとして信用をなくす。……どうしよう。
「ほい、お待ちどうさん」
待っていると、園山氏が料理を持って厨房から出て来た。ラーメンとチャーハン。 どちらもオーソドックスな町中華のメニューだけれど、ボリュームがおかしい。
牛族や熊族の巨漢でも食べきれるか怪しい雰囲気。
器に指がずぶりと浸かっているのが見えて、どうしようもない嫌悪感が湧く。指の脂が味の決め手とか。
うーん、客に対する意識がなってないなぁ。
料理を置いてくれようとした園山氏と、カウンター越しに目が合った。向こうも予想していなかったようだ。
それで、しっかりと見えた。見えてしまった。
オレンジ色の目。
「どうかしたか?」
抑揚に欠ける低い声。わたしは我に返り、いえ、何もと曖昧に、あたりさわりなく答える。園山氏は興味なさげに鼻をほじった。……おいおい、客の前だぜ?
「それにしても旨そうだなー。冷めねぇうちに食おうぜ」
とっても美味しそうだね! 不穏な空気を打ち破るかのように、明るく割って入ってくれた社長に続いて箸を付ける。もうどうにでもなれ!
いただきまー……――うん、
一口食べたラーメンのスープはただただしょっぱく脂っこくて、麺は茹ですぎてブヨブヨ。箸で掴もうにも加減を間違えれば千切れてしまうありさまだ。量が多いのはサービスのつもりだろうが、これは罰ゲームでしかない。
チャーハンも似たようなものだ。塩! 脂! 化学調味料! 以上! みたいなシンプルさ。
横目で柴本を見て驚いた。ちゃんと食べてる!
「ほら、早く食わねぇと麺が伸びちまうぜ」
食いしんぼうで食べ物には結構うるさい柴本が、不味さなんかおくびにも出さずラーメンをやっつけている。
しょっぱくて高血圧まっしぐらなスープを飲み干すと、次はチャーハンだ!
レンゲを手に一心不乱で食う! 早い!
柴本早い! 柴本すごい! おぉーっと完食だぁーっ!
「ごっそさーん。なんだ食わねぇのか。貰っちまうぜ」
一口食べたきりだったわたしのチャーハンを奪い取ると、瞬く間に食べきった。
ごめんよと心の中で謝りながらぶよぶよのラーメンをやっつけていると、園山氏が橙色の目で見おろし
「口に合わんかね?」
いえ。美味しくいただいています。
麺を口に運びながら、心にもない言葉を述べる。そこに続けるように、チャーハンを完食してから店内を見回していた柴本が、顔中に笑みを浮かべて割り込んできた。
「ボリューム、凄いっすね。親父さんがやってた頃、学校とか道場の帰りに食ってったのが懐かしいや」
「ふん」
しかしそれは氏には不愉快だったようで、あきらかに不満げに鼻を鳴らした。しかし、それには気付いていないかのように、同居人は言葉を続ける。
「それにしても、前に来たときよりも随分変わりましたね。味とかも――」
「出ていけ‼」
怒りにわなわなと肩を震わせながら、店主である男は、客商売にあるまじき声で短く告げた。
「さっさと出て行け‼ 今すぐにだ‼」
太い指でガラス扉を指し示す。柴本を見ると、困ったように笑いながら
「しょうがねぇ。今日は帰るか」
財布から紙幣を何枚か抜き取ると、食い終えたチャーハンの皿を文鎮代わりに机の上に置いた。それから、スツールから立ち上がる。
「それじゃ園山さん、また来ますね。釣りはいりません。取っといてください」
言葉の
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