2.余所者に丸投げ

 宴会場にいる十数名の目が、一斉に自分のほうを向く。それを意識しながら、柴本は手許てもとのペットボトルから飲料を一口だけ含んだ。ゆっくりと飲み込む。

 座敷に上がる前に、外の自販機で買ったものである。机と席を用意された店主たちには、園山氏が手ずから氷入りのウーロン茶を用意していた。が、部外者である柴本の分はなかったとのことだ。


「この度はお招きいただき、ありがとうございます。柴本・・と申します。便利屋なんぞをやっております」


 あぐらをかいたままの姿勢で店主たちを見る。太く短い脚のせいで正座ができない。しばと呼ばれる、日本人にはありふれた系統。赤茶色の明るい毛並み。身長は162センチ。座敷にいる者のなかでは小柄な部類である。彼より頭ふたつ分は背丈のある店主も何名かいた。それでも、気後れした様子はなかったことは、容易に想像がついた。

 実際、端末が取得した生体情報からは、心拍数や呼吸の乱れ、発汗量の増加は検出されていない。

 今の仕事を始めるより前、高校を卒業してから10年ほど陸上防衛隊りくじょうぼうえいたいに所属していた彼にとって、この程度のプレッシャーなど気に留めるまでもないようだ。


 静まりかえった部屋に、型の古いエアコンがカタカタと駆動する音だけが響く。全身を毛並みに覆われた獣人向けに、温度は低めに設定されていた。

 昂揚アドレナリンの匂いは冷風に吹き散らされ、薄れてゆく。

 それを鼻で捉えながら、便利屋の元締めは言葉を続ける。広い座敷のすみずみにまで響くが、威圧感を与えない程度。きっちり計算したボリュームであった。


「末の席からの意見、失礼いたします。出来る範囲でありますが、一部始終を確認いたしました。

 問題の対処について、ふたつ考えられます。

 まずひとつ。誹謗中傷ひぼうちゅうしょうへの対処。ネットの書き込みが誰によってなされたのかを調べ、法的な手段で対処します。

 調査なんかは専門家に依頼することになりますね」


 一旦言葉を切る。それから十数名の店主たちを見て、息を整えた。規則正しい呼吸回数。

 つい今しがたまで部屋に満ちていた怒りの匂いは、もうほとんど消えていた。代わりに漂うのは期待か。

 嗅覚にすぐれた犬狼族のなかでも鼻が利く柴本は、感情の変化を匂いとして嗅ぎ分ける技能を会得している。

 幼い頃に通っていた古武術の道場で、あるいは防衛隊に在籍していた頃に、何か特殊な訓練を受けたようだ。彼を知る者はしばしば言う。が、本人が当時のことをほとんど語ろうとしないため、詳しいことは分からない。


 室内に漂う感情の匂いを嗅ぎ分けるうちに、それらとは明らかに違う香りに気がついた。

 甘い匂い。よく熟した果物か、それとも焼き菓子か。バニラの芳香に似ているような気もする。甘く心地良い。が、掴み所がなく、それが不気味だった。

 心が穏やかに、安らいだ気分に落ちてゆくのを感じ――まだ冴えている頭の一部が、深入りしてはならないと警鐘アラートを鳴らす。

 依存性があり、使用や所持を法律で禁じられた薬物のいくつかが、そうした香りを放つことを柴本は知っていた。何かは分からない。が、心を委ねるべきではない。

 深く吸い込まないように浅く息を整えながら、目と鼻だけを動かして素早く様子をうかがう。十数人の店主たちの誰ひとりとして、疑う様子を見せていない。

 どんなに変わった匂いでも、日々嗅ぎ続けていれば慣れてしまう。ということは、この匂いは商店街の店主たちにとっては、馴染みのものに違いない。

 それはまさに、この商店街の現状そのものであった。


 上座に座る猿族、園山の赤ら顔を一瞬だけ見た。静まりかえった宴会場のなか、満足げな笑みを浮かべている。商店街の皆が共倒れしそうな状況とは思えない、へらへらとして幸せそうな表情。

 何とも言えない気分を紛らすべく、柴本はボトルに口をつける。ふたたび喉を潤してから、言葉を続けた。


「もうひとつ。ネットの書き込みのせいで減った客足を取り戻す、イメージアップの取り組み。

 これはお集まりの皆さんが中心で行うことになるでしょう。及ばずながら便利屋われわれも協力させていただきます」


「具体的な案は何かあるのか?

 ぼくらは長い間ずっと、この商店街を盛り上げる方法を考え、試してきた。けど、効果的な策が見つからないまま、ここまで来てしまっている」


 そば屋の店主、黒池氏だ。身長175センチを超え、肩幅も広い彼は決して小柄な部類ではない。けれども大柄な者が目立つ座敷の中では、さほどでもないように見えた。

 ナンバーツーの言葉をきっかけに、今まで静まりかえっていた面々は再度、ざわめき始めた。

 柴本は咳払いをしてから、皆の顔を見回しながら言葉を続ける。心拍数がわずかに上昇。すぐに平常値に戻った。


「何をするかを考える前に、一旦クールダウンする必要があるでしょう。

 さっきみたいに怒りの匂いが強ければ、誰だって呑まれちまう。良い案なんか出ない。当然のことです。

 それに、皆さんにも商売があるはず。おれも同じです。

 そこで、一旦はお開きにして、明日のこの時間に再び集まるのは、いかがでしょうか?」


「……あ、ああ。そうだな。そうしよう」

 会場である猩々軒しょうじょうけんの持ち主にして、この境辻商店街の顔役である園山がうなずいた。

 そうして、寄り合いは一旦、解散となった。

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