2.余所者に丸投げ
宴会場にいる十数名の目が、一斉に自分のほうを向く。それを意識しながら、柴本は
座敷に上がる前に、外の自販機で買ったものである。机と席を用意された店主たちには、園山氏が手ずから氷入りのウーロン茶を用意していた。が、部外者である柴本の分はなかったとのことだ。
「この度はお招きいただき、ありがとうございます。
あぐらをかいたままの姿勢で店主たちを見る。太く短い脚のせいで正座ができない。
実際、端末が取得した生体情報からは、心拍数や呼吸の乱れ、発汗量の増加は検出されていない。
今の仕事を始めるより前、高校を卒業してから10年ほど
静まりかえった部屋に、型の古いエアコンがカタカタと駆動する音だけが響く。全身を毛並みに覆われた獣人向けに、温度は低めに設定されていた。
それを鼻で捉えながら、便利屋の元締めは言葉を続ける。広い座敷のすみずみにまで響くが、威圧感を与えない程度。きっちり計算したボリュームであった。
「末の席からの意見、失礼いたします。出来る範囲でありますが、一部始終を確認いたしました。
問題の対処について、ふたつ考えられます。
まずひとつ。
調査なんかは専門家に依頼することになりますね」
一旦言葉を切る。それから十数名の店主たちを見て、息を整えた。規則正しい呼吸回数。
つい今しがたまで部屋に満ちていた怒りの匂いは、もうほとんど消えていた。代わりに漂うのは期待か。
嗅覚にすぐれた犬狼族のなかでも鼻が利く柴本は、感情の変化を匂いとして嗅ぎ分ける技能を会得している。
幼い頃に通っていた古武術の道場で、あるいは防衛隊に在籍していた頃に、何か特殊な訓練を受けたようだ。彼を知る者はしばしば言う。が、本人が当時のことをほとんど語ろうとしないため、詳しいことは分からない。
室内に漂う感情の匂いを嗅ぎ分けるうちに、それらとは明らかに違う香りに気がついた。
甘い匂い。よく熟した果物か、それとも焼き菓子か。バニラの芳香に似ているような気もする。甘く心地良い。が、掴み所がなく、それが不気味だった。
心が穏やかに、安らいだ気分に落ちてゆくのを感じ――まだ冴えている頭の一部が、深入りしてはならないと
依存性があり、使用や所持を法律で禁じられた薬物のいくつかが、そうした香りを放つことを柴本は知っていた。何かは分からない。が、心を委ねるべきではない。
深く吸い込まないように浅く息を整えながら、目と鼻だけを動かして素早く様子を
どんなに変わった匂いでも、日々嗅ぎ続けていれば慣れてしまう。ということは、この匂いは商店街の店主たちにとっては、馴染みのものに違いない。
それはまさに、この商店街の現状そのものであった。
上座に座る猿族、園山の赤ら顔を一瞬だけ見た。静まりかえった宴会場のなか、満足げな笑みを浮かべている。商店街の皆が共倒れしそうな状況とは思えない、へらへらとして幸せそうな表情。
何とも言えない気分を紛らすべく、柴本はボトルに口をつける。ふたたび喉を潤してから、言葉を続けた。
「もうひとつ。ネットの書き込みのせいで減った客足を取り戻す、イメージアップの取り組み。
これはお集まりの皆さんが中心で行うことになるでしょう。及ばずながら
「具体的な案は何かあるのか?
ぼくらは長い間ずっと、この商店街を盛り上げる方法を考え、試してきた。けど、効果的な策が見つからないまま、ここまで来てしまっている」
そば屋の店主、黒池氏だ。身長175センチを超え、肩幅も広い彼は決して小柄な部類ではない。けれども大柄な者が目立つ座敷の中では、さほどでもないように見えた。
ナンバーツーの言葉をきっかけに、今まで静まりかえっていた面々は再度、ざわめき始めた。
柴本は咳払いをしてから、皆の顔を見回しながら言葉を続ける。心拍数がわずかに上昇。すぐに平常値に戻った。
「何をするかを考える前に、一旦クールダウンする必要があるでしょう。
さっきみたいに怒りの匂いが強ければ、誰だって呑まれちまう。良い案なんか出ない。当然のことです。
それに、皆さんにも商売があるはず。おれも同じです。
そこで、一旦はお開きにして、明日のこの時間に再び集まるのは、いかがでしょうか?」
「……あ、ああ。そうだな。そうしよう」
会場である
そうして、寄り合いは一旦、解散となった。
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