便利屋シバモト

柊 蘇芳

商店街を立て直せ!

1.解のない話し合い

 怒りの匂いが、二四畳の座敷を支配している。

 獣人たちが言うところの感情の匂いなる概念は、人間であるわたしには分からない。けれど、生体記録ライフ・ログアプリの履歴から数値的に読み取ることができた。


 まだ暑さの続く九月はじめの火曜。夕方と呼ぶには早い時間帯だった。中華料理屋、猩々軒しょうじょうけんの二階にある宴会場には、境辻商店街さかいつじ・しょうてんがいの店舗経営者たちが、緊急会議のために集まっている。そこに柴本光義しばもと・みつよしも出席していた。


「何かの間違いだ! そんなこと、あるわけがない!」

 怒りの匂いを更に濃くしながら声を発したのは、そば処 くろ池の店主である黒池一総くろいけ・かずふさ氏だ。彼もまた、柴本と同じ犬狼族けんろうぞくの獣人だが、見た目はだいぶ違った。


 口吻マズルの付け根にシワを寄せた怒りの形相ぎょうそうは、穏やかな気質で知られるレトリバー系には似つかわしくない。

居並ぶ店主たちの中では年若い部類だ。にも関わらず、上座に近い場所で自由な発言を許されている。

 この商店街において、黒池氏の店は猩々軒に次ぐ老舗しにせである。曾祖父の代から続くそば屋と商店街をどう維持していくか。店を継いで以来、ずっと考え続けてきた。


 猩々軒の二階にある座敷――通称〝宴会場〟にて行われる寄り合いは、席順に厳密なルールがあった。この店の主である園山統そのやま・すべる氏を筆頭に、以下、店の歴史が古い順に上座から下座までの席が割り当てられている。

 大戦後の混乱期にはヤミ市の顔役を務め、後には仲間がまっとうな稼業かぎょうで暮らせるように尽力した園山そのやまの一族。先祖たちが受けた恩を忘れるなかれ。それが、この商店街の不文律ふぶんりつとなって久しい。

 なお、われらが便利屋の元締めである柴本は、店舗を出していないどころか商店街の仲間ですらない部外者だ。本来ならば招かれることのない彼が配置されたのは、机すらない、出入り口付近の壁際だった。

 座布団がもらえたのはせめてもの温情だったのだろう。帰宅した後に聞いた話からは、そのように思えた。


「うちの店は毛が入らないよう、一日に何度もブラッシングしている。仕事中だってマナーウェアを着込んでいるんだ! トリミングサロンにだって、こまめに通っているというのに!」

 蕎麦粉に黒い毛が混じったところで分からないのに。誰かが言った言葉に、いくつかの席から忍び笑いが漏れた。黒池氏は声を上げることなく小さく咳払いし、続ける。


「けれど、この『たべメモ』の書き込みにある『ざるそばの中に抜け毛が混じっていた』だなんて……っ‼」

 普段はぬるりとつややかな黒毛を、今は逆立てる。机の上に握った拳をふるふると震わせるのは、離れた位置の柴本からもはっきりと見えた。


「うちも同じようなものだ!」

「そうだ、おれのところにも同じような投稿があった!」

 黒池氏の声に、他の店主たちも追従するように怒りの声を上げた。座敷に並べられた机に向かう十数名は、全て獣人である。さまざまな種族が暮らす淡海県河都市あわみけん・こうとしのなかでも、ここ古森区境辻町ふるもりく・さかいつじちょうは特に獣人の多い地域だ。


 大戦後の混乱期におこったヤミ市、そして平和な時代になってからも何十年もの間、地域住民の生活を支え続けてきた境辻商店街。けれども十年ほど前、大企業の資本による大手ショッピングセンターに客を取られてからは、苦境に喘ぎ続けてきた。そこに今回、泣きっ面に蜂とばかりに新たな問題に直面した。


 風評被害。ネットワーク上に投稿された誹謗中傷により、ただでさえ苦しかった店の売り上げや客の入りは、更に減少した。

 ソーシャルメディアを中心として、ネット上に境辻商店街と店の悪口が書き込まれたのは、先月の半ば辺りから確認できた。それがおよそ半月ほどの間に、消費期限が切れたパンにカビが生えるかのような勢いで、またたく間に増えていったという。


『店主の対応が横柄。二度と行かない。 ★』

『常連客ばかり贔屓ひいきする店だった。

初めて店に入った自分には水すら出さないのに、後から来た顔なじみらしき人には、サービスで氷をたっぷり入れたアイスコーヒーを出していた。料理が来るのも常連客からで、自分の注文が来たのはお友達のあと。

水がないので貰いたい旨を伝えたら、心底嫌そうな顔で氷すら入れていない水を乱暴に置いてくれた。 ★』

『(コメントなし) ★★★★』

『きわめて、不衛生。飲食店で、ゴキブリが這う、など、言語道断。

あと、枯れた、観葉植物が、店内にそのままに、なっていた。処分するなりすべき、だと思う。

ただ、料理の味付けは、小生《しょうせい》の好みだった。 ★★』

『塩味と油ばっかりを感じる料理。

常連客にはサービスするようだけど、この味なら常連に認定されないほうが良い。 ★』

『ボロい店構えにプライドばっかり高い店主。

先代の頃までは良かったらしいけれど、今では生ゴミの方がマシかもしれないレベル。二度と行かない。 ★』

『子連れで入店。

最初にカウンター席を案内されましたが、小さい子がいるのでボックス席に移りたい旨を伝えたら、心底嫌そうな顔をされました。

他にお客なんて入っていないのに。

子どもがぐずって泣き始めたら舌打ちされました。

ラーメンは塩っぱくチャーハンは脂っこくて、子どもに食べさせられるものは何一つありません。

行かない方がいいです。 ★』


 こんな調子で、今や境辻商店街について検索すれば、低評価の口コミばかりがヒットする有り様だ。

 真っ先に――といってもかなり遅かったが――気付いたのは黒池氏だった。他の店主たちにも聞いてみたところ、みな同じように客の入りが大幅に減っていることが判明した。状況を打開すべく、店主たちは猩々軒二階の座敷に集まったのだ。

 この二四畳の大広間は、店が出来た頃からの慣例にしたがい宴会場と呼ばれている。しかし閑古鳥かんこどりが鳴くここ何年かは、店主たちの寄り合いで使われるばかりである。

 ひとまずは集まってみたものの、上座から下座に至るまで、皆揃って怒りの匂いに呑まれてしまった今、単なる悪口大会に成り下がっていた。


 ある経営者は、獣人を差別する人間至上主義者ヒューマニストの陰謀ではないかと口走った。

 また別の店主は、川向こうにある〝古臭い伝統〟くらいしか自慢するものがない〝西区〟に住む、鼻持ちならない連中のしわざに違いないとの持論をぶち上げていた。

 部屋の隅に追いやられ、もとい、席をあてがわれたおかげで、怒りの匂いに当てられずに済んだ。夕食の席で柴本は、そんなことをわたしたちに聞かせてくれた。


 心をむしばむ有毒な空気を吸い込まないように意識しながら、つとめて深めに息を吸って、吐く。浅い呼吸は不安定な精神につながる。それから、上座を向いた。

 商店街の顔役である大柄な猿族さるぞく、園山氏は、宴会場の空気に支配されていないようだった。が、あちこちから爆発する怒りの吠え声に、右往左往するばかりに見えた。

 遠巻きに眺める柴本と目が合う。いかつい赤ら顔にホッと安堵するような笑みを浮かべ、それから


「まぁ皆、いろいろと思うところはあるだろう。だが、今は落ち着きたまえ」

 いかにも威厳ありそうなバリトンの声質で皆に呼びかけると、一瞬で静まりかえった。雰囲気だけ・・は昔話の王様のような感じで語りかける。

「商店街が抱える問題をどうにかするため、助っ人を呼んだ。彼の話を聞こうじゃないか。いいかな、柴崎・・くん?」


 皆の視線が、座敷の隅に座る柴本に集中した。

 このとき、彼が付けたリストウォッチ型端末は、呼吸と心拍数のわずかな上昇を示している。わざとらしく名前を間違えやがって。そんなふうに思ったのかもしれない。が、すぐに呼吸を整え、余計な思考を洗い流した。

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