2章2の5

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 昨日はわたし、にいさま、母上、母さまの四人でセイを囲んだ。今日はわたし、にいさま、御屋形おやかた様の三人だ。


 竹丸たけまる亀吉かめきちは部屋の前まで来たが、我らはこちらにて、と廊下に控えている。本当によくできた子たちだ。


「と、言うことか」

 一連の経緯いきさつを聞く間、扇をパチパチと開けては閉めていた氏真うじざねはポツリとつぶやいた。


「しかし、言葉が通じぬとは難儀よのう」

「なに、食うに困ったらうちの奉公人ほうこうにんにでもすればよかろう」


「うむ、それはそれでよいのう。じゃが、問題は誰がセイにこのようなむごたらしい仕打ちをしたのだろうかのう」


「町衆、村の者の犯罪であれば奉行に任せればよいが、地侍同士の喧嘩けんかならば大事と言うことか」

「そうだのう」


「すると御家法ごかほうに違反した可能性があると。喧嘩けんかの条文はいくつだったか……」

「八条から十一条だのう」


「あのう……、御家法ごかほうというと……」

 志麻しまは恐る恐る口を挟んだ。


「あぁ、仮名目録かなもくろくのことだのう。そうか、姫は読んだことがなかろう。限られた者しか読めぬからのう」

「はい、読んだことはありませんわ」


 今川いまがわ仮名目録かなもくろく氏真うじざねの祖父、氏親うじちかが妻である寿桂尼じゅけいにの補佐を受けて晩年に発布した分国法である。それに義元よしもとが条文を追加して今に至る。


「姫ならよかろう。おばばさまのところに写しがあるゆえ、訪ねて見せてもらうがよい。わしからも伝えておく」

「ありがとうございます」


「ところで姫よ、そなた兵法を学んでおるそうだのう」

「はい……。でもどこからそれを?」


「そのおばばさまじゃよ。仰っておったのう」

寿桂尼じゅけいにさまが!?」


 と、言うことは、母上から寿桂尼じゅけいにさまに伝わったのだろう。母上から見ると寿桂尼じゅけいにさまは叔母に当たる。私から見れば義理の大叔母だ。ちなみに氏真うじざね泰朝やすとも志麻しま兄妹とは、はとこの間柄になる。


「おばばさまはさらに仰ってのう。石頭で堅物の出来の悪い朝比奈あさひなの当主を数年のうちに廃して、姫が当主になるとか」


五郎ごろう!」

 青筋を立てた泰朝やすともを見て氏真うじざねはカラカラ笑う。


「これだからうつけ・・・は」

 泰朝やすともあきれたようにぼやいた。


尾張おわりの大うつけ・・・とわし、どちらがよりうつけ・・・かのう?」

尾張おわりの大うつけ・・・尾張おわりを平定したぞ」


「お主はわしの方がうつけ・・・だと申したいのかのう」

「そう陰口をたたかれぬよう、しっかししろと言うことだ」


「つまらん答えだのう」


 泰朝やすともは大きくうなだれて、はぁ、と聞こえるほどのため息をついた。


「話を戻そう。喧嘩けんかの可能性はどのくらいなのだ?」


「姫、セイを見つけた場所は朝日山あさひやま城の近くなのであろう」

「はい、近くの小さな峠ですわ」


「で、あれば、岡部おかべが気づかぬわけがないのう。気づけばわしに知らせるだろうが、それもない。岡部おかべ自身が当事者ということもまずなかろうて」


「ええ、岡部おかべ殿に喧嘩けんかを売れる家は限られるし、そんな家が動けばすぐにうわさが広まる」

「そうであろうのう」


「では、取るに足らぬ家同士の喧嘩けんかか」

「そうであるかもしれんのう。じゃが、そうだとするとセイが話してくれぬ限り真相は分らぬかもしれんのう」


 にいさまは、んー、とうなってしまった。志麻しまにも解決法がわからない。


「ここですべてが分かるとも思うておらぬ。わしの方で調べさせてみようかのう」

「あぁ、それしかないな。五郎ごろう、頼んだぞ」

「うむ、頼まれた。では遠江とおとうみの近況はどうじゃ? 堀越ほりこしの者たちは元気にしておるかのう?」


「あっ、私は席を外した方がよいわね」


 立ち上がりかけた志麻しませいして泰朝やすともが口を開いた。

「我らが移ろう。五郎ごろう、広間に来てもらおうか。床の間付きだぞ」


「庭は見えるかのう?」

「あぁ、親父殿が作った庭が見える」

「さようか、では行くかのう」


 二人だって出ていく姿を志麻しまは見送った。


 それにしても面と向かって御屋形おやかた様に「うつけ・・・」と言ってしまうなんて。今日は驚くことばかりだ。


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