2章1の2

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 僕がたすけられてから三十日が過ぎようとしていた。だからが経ったのだ。


 その間も、毎日のように魔封じ回路が破れないかとあれこれ試してみたけれど、激痛と脂汗を生むだけで終わっている。魔法による超回復はできず、体の回復は自然に任せるままである。今は自力で体を起こして座れるまでに回復した。やっとここまでなったかと思うとともに、回復の遅さに苛立ちを覚える。


 つい先日、もと居た屋敷から今の屋敷に移ってきた。馬に乗って半日ほどの山を越え川を渡る道のりで、昔であれば大したことのないものが、ここまで体にこたえるのかと情けなくなった。


 その一方で、一つ確信したことがある。馬に乗って見た家々に比べ、今いる屋敷は大きく立派だ。そしてこの屋敷はヒメの家で間違いないだろう。やはりヒメは社会的な地位のある家の人間であった。


 部屋から庭が見える。冬でも深い緑を絶やさない松が一本植えられていて、その周囲は大きな岩が不規則に並んでいる。その大きな岩々の表面にはこけが覆いつくしていて、その明るい緑が美しい。松の隣には石灯籠いしどうろうが一基えられている。夜に火を灯せばさぞ幻想的であろう。それらの手前側には白い砂利がきれいに敷かれ、平たい石が飛び石のように配置されている。

 セイにとっては故国で見たことのないスタイルの庭であったけれど、どことなく心休まる気がしてずっと見ていていられる。


 静かである。


 風はいで陽は暖かく空は澄んでいる。


 つい前まで剣と魔法、狂気と恐怖、血と肉で彩られる戦場にいて、味方を逃がすために殿をしていた。味方を逃がすために最後まで陣地を守り、自分が逃げ出すチャンスを失い生け捕りにされてしまった。その後に待っていたのが架刑かけいの上での火炙ひあぶりであった。


 王国の出来事がまるで夢のような気がしてきて不思議だ。火傷やけどの怪我さえなければそう思い込んでしまったかもしれない。それほどこの国は静かで落ち着きがある。道すがら見た農村や町の人たちの顔も皆一様に明るく、活気があった。


 そう言う平和な国で僕はすくわれたのだ。そう、すくわれた。ヒメ、オケイ、ジュウベイ、ジライは僕の命の恩人だと改めて思う。

 特にヒメには感謝しないといけない。言葉が分からなくとも彼女が主導して僕をすくってくれたことは雰囲気からして分かる。


 小鳥が庭に飛んできて石灯籠いしどうろうの上に止まった。少し緑がかった黄色で頭は茶色、肩と胸に茶色がしまのように入り込む。


 小鳥が、ピーヒャララピー、ピーヒャララララピーとさえずる。こんなことがひどくいとおしい。

 小鳥がカクカクと首を振ってしきりに辺りを見回している。きれいな色をしているからオスかな。たいていこういうきれいな色をした鳥は、メスの気を引くために鮮やかな色をしていると、聞いたことがある。近くにメスもいるのだろうか。


 また、ピーヒャララピー、ピーヒャララララピーと小鳥がさえずった。そんなことに平穏を感じるようになったのは一度生死を彷徨さまよったからだろう。


 不意に故郷の家にあるクチナシの木を思い出した。あの木にも小鳥がよく止まりさえずっていた。当時はありふれたことで何も思わなかったけれど、あのときが如何いかに平穏だったか。今にして思う。


 その木も故郷の家も今はもうない。帝国に全て焼き尽くされてしまった。


――僕はこんなところにいていいのだろうか?


 今もまだ仲間たちは帝国と戦っているだろう。殺された仲間、守れなかった村人たち、焼かれた町々を思えば、ここでただ外を見て寝ていられない。


 とは言うものの、体は思うにならず、言葉も判らず、帰るための道すらも判らない。八方ふさがりだ。


 庭の小鳥が飛び立った。もう視界にはいない。


 のどかな陽気に故郷のことを忘れていた自分を恥じた。

 どうして忘れられていたのだろう。自分がひどく薄情な人間に思えてくる。


 その時、廊下の方からヒメの声がした。


 すぐに引戸が開かれヒメが入ってくる。何か僕に言って庭に面した引戸をを閉じた。


 もうすぐ風が出てくるのだろう。この土地は夕方になると風が吹いてくる。風の音が部屋の中でも聞こえるのでここでそう言うものだと分かっていた。


 もう一度、ヒメは僕に向かって何か言った。


 内容は分からないが無理に笑顔を作って返した。いくら顔が包帯でぐるぐる巻きであっても、こういうものは伝わるものだ。あまり心配をかけたくない。


 さらに一言、ヒメは言うと部屋を出て行った。


 ヒメも皆もこの国の人たちは本当にいい人ばかりだ。平和がそうさせているのかもしれない。感謝をする一方、平和で平穏なこの国と戦乱で荒れている故国の対比は、僕を何とも言えない苦しい気持ちにさせていた。


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