1章3の2

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 葉梨館はなしやかたは一辺一ちょうほどの方形の館で、その門前には町が形成され、かつての栄華を物語る。遍照光寺へんしょうこうじはその葉梨館はなしやかたの西の奥、山裾に挟まれた所にあった。


 遍照光寺へんしょうこうじに着くと、志麻しまは使いの者とともに本堂に通された。

 対応に出てきたのは住職である恵進えしんで、志麻しまは小躍りしたいほど内心喜んだ。


 互いの紹介と時節の挨拶に続き、先に志麻しまの用事を済ませたいと使いの者が承然しょうぜんからの手紙を恵進えしんに渡した。


 恵進えしん恰幅かっぷくの良い四十過ぎの男で、大きい四角い顔と太い首、ゴツゴツした指が相まっていわおのような印象を与える。


 恵進えしんは手紙を読み終わると、んー、とうなり、しばらく黙りこくったのち口を開いた。


「あれらの書は拙僧の兄弟子が書かれたもので、申し訳ないが外に見せておりません。承然しょうぜん様からのご紹介ではありますが、拙僧の一存では決めかねます」


 断られてしまった。しかし、それも想定の内で完全否定ではないことがすくいだ。まだ翻意の機会はありそうだ。


「突然の訪問に無理なお願いをして申し訳ございません。わたくしはたびたびこの葉梨郷はなしごうを訪れています。また貴院に参ってもよろしいでしょうか」

「何をおっしゃるか、姫様よ。本院は今川いまがわ家と御家来衆の武運長久ぶうんちょうきゅうを祈願して建てられたもの。朝比奈あさひな家の姫様が本院にお越しになるのに、何の差し障りがございましょうや」


「ありがたいお言葉です。また寄らしていただきます」

「いつでもお待ちしております。本院には八幡宮はちまんぐうもございますれば、どうぞそちらにも足をお運びください」


 あっ、これは今から寺同士の話し合いをするので、部外者の私には席を外してほしいという事かな。


「はい、ではこれにて失礼して早速参拝したいと思います」


 そう言うと志麻しまは一礼して席を立った。


 本堂より出ると南の方角に鳥居とりいが見えた。すぐにそれが八幡宮はちまんぐうだと分かったので歩きはじめる。

 鳥居とりいの先には、朱色に塗られた建物に大きな注連縄しめなわが掛かっている。まことに立派なものである。

 参拝を済ませて鳥居とりいより出た。


 さて、遍照光寺へんしょうこうじを訪れる許可は得たがどうやって僧たちの信頼を勝ち取ろうか。

 恵進えしんと使いの者との相談も、まだしばらくは掛かるだろう。境内けいだいを散策しながら戦略を練ろうか。


 もと来た道を戻れば本堂に戻るが、途中で細い道が枝分かれしている。その道は寺の背にある山裾の方に続いている。


 何かあるのだろうか?


 志麻しま何気なにげなくそちらの方に歩みを進めた。

 細い道といえど、砂利が敷かれてしっかりと整えられている。なのでただ山に向かう道ではないだろう。


 二、三度曲がった道を抜けると少し広い空間に出て、四基の五輪塔ごりんとうと一基の無縫塔むほうとう志麻しまを待っていた。

 ここも砂利がきれいに整えられている。掃除もきちんと行き届いており、墓前には香花がささげられてある。


 誰のお墓であろうか。ここにあるからには今川いまがわ家の人間のはずだ。するとおのずと絞られる。


 ともかくも目を閉じ、念仏を唱えて祈った。


――南無大師なむだいし遍照金剛へんじょうこんごう


 唱え終え目を開けると、隣に一人の僧が立っていた。


 恵進えしんより何か言伝でもあって遣わされたのだろうか?

 それにしても、いつからそこにいたのか全く気が付かなかった。


冬青そよごでございます。恵進えしんさまから何かありましょうか?」


 『冬青そよご』とは志麻しまの通り名で、自室から見える庭に植えられた冬青そよごの樹に因む。


「ほう、これはなことよ」


 僧はそう言うとまっすぐ志麻しまを正視した。

 切れ長の目にすっと通った鼻筋、キリリと薄い唇。こういうのを美形と言うのだろう。坊主頭ぼうずあたまであるが駿府すんぷの町でもこれほどの者を見たことがない。


「あの、何かおかしなことでもありましたでしょうか」


 何とか美貌にまれかけたのを振り払い返事をした。


「いや、何でもない。そちは朝比奈あさひなの姫、か」

「は、はい」


 私を「姫様」ではなく「姫」と呼ぶからには、少なくとも今川いまがわの重臣層の出身かそれにるいする、またはそれ以上の家の出身なのであろう。しかし、そうであればうわさくらい志麻しまの耳に入ってもよさそうなものだ。寺は戦国の世において情報がまじわるところであり、決して武家と遠い存在ではない。このような僧がここにいるとは聞いたことがない。


範氏のりうじ公と氏家いえうじ公だ」


 今川いまがわ範氏のりうじは二代目の当主、今川いまがわ氏家いえうじは三代目だ。


範氏のりうじ公は遍照光寺へんしょうこうじ開基かいきでしたね。先ほど恵進えしんさまより聞きました」

「うむ、姫は学問がしたいか?」


 承然しょうぜんの手紙にこの旨が書かれていたのかもしれない。それを恵進えしんから聞いたのだろう。


「わたくしは未熟者ですから、まだまだ学ばなければなりません」

「師が欲しいと」


「わたくしには必要です」

「そして、内には大いなる願望があると」


 承然しょうぜんの手紙には軍師を目指すと、そこまで書かれていたのか。未熟者がだいそれた願望をいだく者よと思われそうで、顔が赤くなる。


「はい、仰る通りでございます」


 志麻しまにはそう答えるしかなかった。何の実績もない小娘が今川いまがわの軍師になりたいと言えば、噴飯ものだろう。しかし、知られてしまった以上、うそは付けない。


「笑わないで下さいませ」


「なに、笑わぬ。姫は軍師になって何を成す」

今川いまがわ家……、いえ、日ノ本ひのもとに太平をもたらします」


「戦いの無い世を作る、と?」

「その通りにございます」


「しかし、そのためには戦いが必要だが」

「はい。結果的に最も流血が少ない道を探します」


今川いまがわ家が天下を取れぬことで太平の世が作れるのであれば、如何いかにする」

「太平を取ります」


 志麻しまは即座に答えた。


「それと同時に今川いまがわが滅ぶようなことにはさせません」


「それでも今川いまがわが一番ではないと申しておる。今川いまがわに対する忠義にもとらぬか?」

「もとります。されど太平は譲れません」


「なるほど、よくわかった。恵進えしんも頭が固い」

「えっ」


 恵進えしんを当然のごとく呼び捨てにしている。目の前の僧は実質的に恵進えしんよりも上の立場だったのか。


「ところで姫は雪斎せっさいのようになりたいと考えている、か」


 うぅ。承然しょうぜんさまはそこまで手紙に書かれていたか。


「その通りでございます」


「姫は雪斎せっさいを何と心得る」

今川いまがわ家の偉大な軍師にして、お味方の窮地の数々をすくった賢者にございます」


「左様か。まぁこれはどうにかなろう。今言うても仕方あるまい」


 それはどういうことか聞こうとした志麻しまに僧は言い放つ。


「それ、長慶寺ちょうけいじの使いの者が本堂からもう出てくる、行きや」


 有無を言わさぬ勢いに促されて志麻しまは一礼した後、もと来た細い砂利道を戻っていった。するとたして使いの者が本堂より出てくるところであった。


 本当に不思議な人だ。顔の美形もさることながら、その所作、たたずまいまでもが美しい。誰かに似ているような気がするが誰であろう。


 そんなことを考えていたら今更に気付いた。相手の名を教えてもらっていない。

 長慶寺ちょうけいじへの帰り道、使いの者に美形の僧について聞いて見たが知らなかった。志麻しまはモヤモヤした気持ちで長慶寺ちょうけいじに戻ったのであった。


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