1章2の4

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 この国に来てから初めて食事をした。白くてドロッとした食べ物である。この国にもかゆはあるんだな、と思った。

 食べてみて驚いたことがある。この国のかゆの食べ心地は重いのだ。王国のかゆはもっとサラサラ食べられたものだ。


 とは言え、食べなければ体は回復しない。がんばって食を進めたけれど、おわんに一杯で限界だった。


 明くる日の朝もかゆを食べた。見た目は前日のかゆと変わらなかったけれど、口に運んでみたら全然違う。パクパク食べられた。

 食が進むようになにか工夫してくれたのだと思うと感謝の心で一杯になる。


 ここの人たちの変わった服装や変わった部屋に最初は驚き、戸惑とまどいもしたけれど、心根から優しい人たちなのだと分かる。きっとこの国は平和で豊かなのだろう。そう思えた。


 食事を終え部屋で一人になったとき、一つの決心をした。そう、魔封じを破るのである。

 なかなかに勇気のいる。何といっても魔封じを破ろうとすれば激痛が走るのだ。


 魔法使いは自分の中にいくつもの魔法回路と呼ばれるものを持っている。魔法使いが最初に教育されることは、使えるかどうかに関わらず基本的な魔法回路を自身の中に作ることだ。そのそれぞれの魔法回路に魔力を流すことによって、いろいろな魔法を発動し得るのだ。


 魔封じは、その魔法回路が格納されている領域への通り道である魔力回廊に設置された関門のようなものだ。魔封じは一種の呪いでそれを破壊しないことには他の魔法回路に魔力が流れず、魔法使いは魔法が使えない。また、魔封じは呪われた魔法使いが魔法を使おうとすると、魔力回廊に流れ込む魔力をエネルギー源に術者に激痛を与える効果もある。


 この魔封じを破るには二つに一つ。魔封じの呪いが耐えられないほどの魔力を注いで魔封じの呪いを破壊するか、外から他の魔法使いに解呪してもらうかだ。


 他に魔法使いが見当たらない以上、自力で破壊するしかない。


 意を決め、魔力回廊に魔力を注いてみる。

 その瞬間、脳天に雷撃を受けたような痛みが全身をめぐった。とてもではないけれど、耐えられない。


 はぁ、痛すぎる。


 落胆は大きい。回復魔法さえ使えれば、この重傷であろうとも瞬く間に治せる。


 回復魔法には二種類ある。自分にかけるものと、他人にかけるものだ。


 自分にかける回復魔法は効果てきめん。剣で切られようが矢で射られようが、魔法を発動する隙さえあれば倒されることはない。魔法使いが強い理由である。


 一方、他人にかける回復魔法は効果が非常に悪い。みずからの魔力を生命エネルギーに変換しそれを他者に与える。その際、大量のロスが発生するのだ。消費魔力の割に回復量が少ない。


 それでも魔法使いによる治療はニーズが高かった。もちろん魔法使いは数が少ないし、軍に所属しているので誰でも呼べる訳ではない。王侯貴族かある程度裕福な者のみが依頼できたのである。


 今のところ魔法使いが来る気配はないので僕は自力で回復するしかない。


 いや、魔法使いが来るのであれば回復魔法ではなく、魔封じを解いてもらった方がよいか。


 と、そんなことを考えていたとき、木の引戸が開きぞろぞろと四人が入ってきた。少女に丸顔の女、老人の男、髪をった男、だ。


 今までの観察から少女がヒメと呼ばれ、丸顔の女がオケイで、老人の男がジュウベイ、髪をった男がジライという名前だと予想している。そしてオケイとジュウベイはヒメの配下だろう。ジライとヒメの関係はよくわからない。


 何を始めるのかと眺めていると、ヒメが紙と筆を取り出して何やら文字を書き始めた。


 まず、縦書きであることに驚かされる。僕はそのように書く言葉を知らない。この時点で読めないだろうことはわかっていた。見せられた文字は画数の少ない丸みを帯びた軽やかな感じのする文字であった。


 仕方ないので首を横に振る。


 と、首を横に振った後で気づいたのだけれど、この国と王国では身振りが表す意味が違うかもしれない。


 そろりとヒメに目をやった。けれど、もう次の紙にまた文字を書き始めている。

 伝わったかと少し不安になる。


 次に見せられた文字は先ほどのものよりも画数が多く複雑であった。もちろん読めない。


 それでも違う種類の文字になったのだから、首を横に振る身振りの意味は同じであったのだろう。

 また首を横に振って、読めないと伝えた。


――ん、僕が文字を書いてみればいいんじゃないか。紙と筆をもらうには、……身振りで伝わるかも知らない。


 重い手を持ち上げ文字を書く身振りをしてみた。


 するとすぐにヒメが感づいて紙と筆を渡してくれた。ヒメは勘が良いようだ。助かる。


 僕は文字が書ける。いや、ヒメがスラスラ書いた後に言うのは何だけど、王国では文字を書けるのは一種のステータスで、それだけで高い身分の者だとわかる。僕の両親は字を書けないけれど、僕は魔法使いとして王都に連れて行かれた時に習ったのだ。


 僕は気を抜くと重力に負けてしまいそうな腕を何とか動かして王国の文字であるアトロス文字で『ありがとう、ここはどこですか?』と書いた。


 僕の書いた文字を見て四人は何やら話し始めたが、しばらくすると沈黙してしまった。

 いや、わかっていた。全く見たことのない文字を見せられた時点で、王国の文字も通じないことを。

 ただ、一縷いちるの望みをかけて試したかっただけなのだ。


 ……。


 あれ? 沈黙するにも長すぎはしないか。まずかったかな。僕が文字を書いたの。


 どうしたものかと考えていると視界の隅でひらひらと何か動いている。

 ヒメが僕を呼んでいるようだ。


 何だろうと、視線を向けるとヒメは自分の胸を指して、「シマ、シマ」と言っている。


 『シマ』とは何だろう?


 そう僕が頭を悩ませている間にヒメは、オケイ、ジュウベイ、ジライを指してその名前を呼んでいる。そして僕の方を指して僕に何か求めている。

 余計わからなくなってしまった。ヒメは『ヒメ』ではなかったのだろうか?


 二巡目が始まった。が、頭が混乱の最中だ。


 ヒメは『ヒメ』でなく『シマ』……。だけど、みんなヒメを『シマ』でなく『ヒメ』と呼ぶ。なぜだ?


 でもそれを置いておいても、この場面では僕の名前を聞いているような。普通に考えれば。けれど、違う事を尋ねられているのなら、間違った答えをしたら後々困ったことにならないか?


 すでに三巡目が終わりになり、僕が指されている。


――えい、ままよ。混乱したらその時だ。


「セイ」


 意を決して答えたのに思ったよりも小さい声になってしまった。


 それでも皆に十分聞こえたようだ。一気に場の雰囲気が明るくなったのが感じられる。たぶん、名前を尋ねられていたで合っていたのだろう。「セイ、セイ」と何度も呼びかけられる。


 皆はまた話し始めたが、相変わらずヒメは『ヒメ』と呼ばれている。

 そこで気づいた。『ヒメ』は愛称なんだろう。本名が『シマ』。だけどみんな本名ではよばず愛称の『ヒメ』で呼ぶ。そうなれば、全て話はわかる。


 取りえずではあるが、名前の交換ができてホッとした。ヒメ、オケイ、ジュウベイ、ジライ。この四人が命の恩人だ。


 僕はこの恩をどうすれば返せるだろうか。

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