1章2の1

 2


 大きな瞳が僕を見つめている。


 その眼差まなざしはどこか優しい。

 ここは天国なのかもしれない、と僕は思った。

 行くのならば地獄とばかり思っていたけれど、どうやら違うらしい。


 意識が朦朧もうろうとしていて頭が空回りし、それ以上考えられない。


 いつからこうして瞳を見返していたのか、ついさっきからのようにも思えるし、ずっとこうしていたかのようにも思える。


 まぶたが重い。本当に重い。


 どこかで声がしている。けれど遠すぎて何を言っているのかわからない。


 まぶたを閉じると意識は混濁の中に消えて行った。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 次に僕が目覚めたとき、そこに瞳はなかった。


 見えるのは天井に張られた板。所々に節がある。

 節が三つまとまると不思議と人の顔に見えてくる。もしかするとその節を見て優しい瞳だと感じたのかもしれない。


 何か少しがっかりした。


 体は重くて動かない。仕方がないので目を動かして周りを見回す。

 正面に天井、右に柔らかい光を通す引戸、左には壁と木の引戸が見えた。頭と足の方向は見えない。


 息を吸い込むといい香りがする。夏の若草を思わせる清涼感のある香りだ。

 どこかで香をいているのだろう。

 体から力が抜けて落ち着くのが分かる。香りを楽しんでいると左の木の引戸が動いた。


 誰かが入ってきた気配がする。


 少女だ。


 年の頃は僕と同じ十四、五といったところ。愛嬌あいきょうのある顔立ちにかすかに赤みを帯びた黒髪が印象的だ。

 その少女が僕の顔をのぞき込んだ。目が合う。


「#P$%&*!」


 少女がうれしそうに声を上げたけれど、何と言ったのか全く聞き取れない。


 どこか故国とは違う土地に今いるのだろう。


 見慣れない部屋の作りでうすうす感づいていた。右手の光を通す引戸。格子状こうしじょうの木枠に紙が貼られているようだ。そのようなものは王国でも帝国でも見たことがない。


 何を言っているのかわからないと少女に応えようとしたけれど、声が出なかった。

 少女は何か気付いたのか部屋を出いて行った。


 僕はひどく衰弱しているのだな。


 しばらくすると、三十前後の丸顔の女とともに少女は戻ってきた。手にしている盆には水差しが見える。

 僕はそのとき自分がものすごく喉が渇いていることに気づいた。


 丸顔の女が上半身を少し起こしてくれた。


 自分の胸と腕が見える。

 そこで初めて手当てがされていることに気づいた。

 あの炎であればかなり火傷やけどを負ったであろう。

 きれいに包帯が巻かれている。


 少女が水差しから底の浅い杯に飲み物を移し、僕の口元にそっと差し出した。

 口に含むと何とも言えない甘さが口に広がる。今まで飲んだどのような飲み物よりも甘い。


 もっと欲しいと必死に目で訴えた。少女の手が水差しに動いた。

 やった、伝わった。

 もう一杯、もう一杯と何度も飲んだ。干からびた大地が水を吸うように何杯でも飲める気がした。


 少女は丸顔の女と二、三、言葉をわした。


 気にせずさらにもう一杯と、目で訴えたが今度はダメらしい。

 少女は杯を脇に置くとまた何か語り掛けてきた。


 やはり今度も何を言っているのかわからない。


「言葉がわからないんだ」


 今度は声が出た。先ほど飲んだ飲み物のおかげだろう。


 しかしこちらの言葉も通じなかったようだ。二人は顔を見合わせている。


 丸顔の女にまた寝かされて、少女から何か言葉をかけられた。

 たぶん、休めということだと思う。言葉は分からないけれど抑揚から感じ取れる。


 うなづいてまぶたを閉じた。


 この二人は敵ではない。僕は生き残ったのだ。

 安堵あんどから涙が出そうになるが、自分は泣いてはいけない気がした。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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