第3話 死出の旅
「さて、必要なものは揃ったし、あとはシキの国についてだね」
船の上でテンがぐーっと伸びをした。ウィリディスヒエムス大陸を離れて別のユニバースに向かう船である。これから船はゲートを抜ける。ゲートを抜けた先ではロー・ユニバースを経由して別のハイ・ユニバースへ繋がるゲートを目指す予定となっていた。
船は海の上をゆったりと進んでいく。
ヒガンたちが出ているのは船の前方の甲板で、冷え冷えとした風が吹いてきていた。ハクが風に吹かれた髪を鬱陶しそうにかき上げ、寒さに顔を顰めている。
シキの国について調べるためには、もう少し情報が必要だというのが改めて三人が相談した結論だった。そして情報を集めるためには多くのユニバースへ行く必要があり、少し旅を伸ばして、予定とは違うユニバースへの船を押さえたのである。
この船は次のユニバースに到着した後、いくつかの世界を巡ってやがてミドルに戻る。
船の右前方に光の渦が見えてきた。中心へ向かうにつれて光の強さが強くなる、仄かに黄色い渦。それは海の水面に広がって水を飲み込み、渦潮を発生させている。
『まもなくゲートを通過します。乗客のみなさまは船室にお戻りください』
そうアナウンスが流れ、ヒガンたちは割り当てられた船室に退散した。
船室の窓からはちょうどゲートの方向が見えた。船は渦潮を避けながらその間を器用に縫って進んでいく。だんだんと光の渦が近くなっていき、眩しさに眼を細めた。
船は速度を緩め、位置を調整しているようであった。ゲートに入るのに安全な角度を探っているのだ、というのがテンの説明である。
『ゲートを通過いたします。揺れにご注意ください』
そうアナウンスが流れる。船は動き出す。ゲートにゆっくりと近づいていく。船の揺れが大きくなった。がくんと傾く。ハクが驚いて肩を震わせ、飛び上がった。
「大丈夫、渦に落ちていく形になるからな、傾くんだよ」
ヒガンはハクの肩を抱いてその体を支えてやる。
船の傾きは強くなる。窓から見える光もまた強くなる。船ががたがたと揺れ始めた。渦に捕まったのだ。ゲートがそこに広がっている。光の中に別の世界の姿が見える。
『ゲートを通過いたします』
その声と共に、ふっと浮遊感が訪れた。
浮遊感が収まると、船の揺れも収まっていた。光がいつの間にか背後に移動している。下に落ちるようにゲートを通過したのに、出てきたときには横になっている。そういう性質のものだったのだろう。
「ロー・ユニバースって、モンスターが棲んでいるんですよね?」
「そうだよ?」
「この辺りにもモンスターはいるんですか?」
好奇心を抑えきれないというようにハクが尋ねた。
「この辺りはいないんじゃないかな? モンスターが縄張りにしていないところのゲートを利用しているから、出会えないと思うよ」
「そうですか……」
「何を残念がっているんだ。出くわさないほうがいいに決まってるだろう。この船は最低限の護衛しか配置していないようだし」
「その分、安く遠くまで連れてってくれるのが魅力的だよね」
そんなことを話している時だった。
がたん、と船が揺れた。
「なんだ?」
ヒガンは首を傾げる。テンもまた不思議そうな顔をしていた。
「ここら辺じゃ、大きな渦はなかったと思うけど。ああでも他にもゲートがあって、それに引っかからないように慌てて方向を変えたのかも」
「ゲートがあるんですか? 抜けてきた以外にも?」
「そう、たくさんのゲートが発生しているユニバースなんだよ、ここは。そう言ってた。これから向かうゲート以外にもあって、それに足を取られないように慎重に進む必要があるんじゃないかな?」
テンの言葉を裏付けるように、窓の外からはゲートの光が入ってきている。眺めてみれば、確かに大小様々な光の渦があちこちに発生していた。海上に浮かんでいるもの、門のように待ち構えているもの、空に開いているもの、渦潮の形をしているものなどその数は十を超えそうだ。全部が全部、この船を飲み込めるほどの大きさというわけではなくて、船よりも小さいものがほとんどだった。その場合、ゲートに触れてもユニバースを移動してしまうことにはならない。ゲートの中を全てが通り抜けることが移動の条件なのである。だから、ここで違うゲートに引っかかった場合は、たちの悪い荒波にぶつかってしまったのと同じようなものだった。
がたん。
また船が揺れた。窪みに落ち込んだかのような揺れだった。やはり他のゲートの上を乗り越えていく必要があって、そのために揺れているのだろう。
そう納得しかけ、ヒガンは違和感を覚えた。
この船には人だけでなく多くの積み荷がある。それを崩し、傷つけてしまいかねないような航路を選ぶだろうか? できる限り避けようとするはずだし、そんな航路を開拓しているに違いない。だが、現実として船は大きく揺れている。何かがおかしい。
窓の外を見る。異変はないようだ。ゲートがあちこちに開いた空が見えている。
「ハク、ちょっとここで待ってろ。テン、ついてきてくれ」
ヒガンはテンを伴って船室を出た。
船はがたがたと揺れている。波にもまれているのとは到底思えない揺れ方だ。何かにぶつかっているかのような……。
狭い廊下の壁に手をついて倒れないように気をつけながら進んだ。
甲板のほうへ行くと怒鳴り声が聞こえてくる。
「そっちへ行ったぞ!」
「追い詰められるか?」
「いや、数が多すぎる!」
切迫感のあるそのやり取りに嫌な予感がした。
戸を開けて、ヒガンとテンは外に出た。ぐわりと船が持ち上がり、水面に船体を打ち付ける。海水が割れて大きく飛沫が上がった。
その白い波の向こうに、小山のような影が見えた。波飛沫が収まり、それは姿を現す。
「龍⁈」
ヒガンは驚きの声を上げた。テンが眼を丸くする。
そこにいたのは一匹の龍だった。長い体をくねらせて船を狙っている。つやつやと光る鱗は金色をしていて、ところどころが白い。眼もまた同じ金で、鬣が銀色の光を弾いている。小さな腕を前に構え、荒れ狂う海の中でバランスを取っているようだ。
ざぱりと水が割れた。そこからはまた別の龍が現れた。一匹、二匹、三匹……総勢五匹の龍が船を狙っている。
「あっ、ちょっと! 危ないですよ!」
甲板に出ていた者がヒガンたちに気がついて駆け寄ってきた。
「心配するな。船体警護資格は持ってる」
ヒガンは答え、その船員に尋ねる。
「龍の群れに出くわしたのか?」
「はい、そうです。この時期、この辺りにはいないはずなのに……。とりあえず、退かせます」
船員は安心させるように言ったが、見るからに戦況は良くない。甲板に出て武器を構えているのは獣人族だが、誰もが皆攻撃へと転じることができないでいる。
それもそうだろう。普通、龍の群れなんてものには出くわさない。龍が現れる時は一匹が多く、それとの戦い方を指導されるものだ。群れとの渡り合い方を知っている者がいないのだろう。
ヒガンが見ている中、龍の一匹が首を縮め、かと思うと突進してきた。水飛沫を上げて接近する龍に、獣人の一人が飛び掛かり、鼻面を剣で打ち返す。痛みを覚えたのか、龍が顔を背けて顰めた。だが、それで終わりではない。
別の一匹が攻撃を仕掛けてくる。それに対応している間にまた別の個体が突進する。と思ったら残った三匹が水を跳ね上げて視界を悪くする。
明らかにこれらの龍たちは群れでの狩りに慣れていた。これでは相手が悪い。
それでも引くわけにはいかない。獣人たちは船から飛び上がって龍に攻撃を繰り出す。船体に傷ができないように気をつけながら攻撃を躱し、いなし、龍をどうにか撃退できないかと探っている。
「テン、お前」
助力に行けるか、と尋ねようとした時だった。船が大きく揺れた。突然のことに耐えられず、ヒガンは地面に転がった。
「なんだ?」
どうにか上体を起こし、上を見上げる。
「大変です! 海中に龍反応! それもまた複数です!」
船内から悲鳴が聞こえた。
海中にはこれ以上に龍が待ち構えているというのである。先程の揺れはそれら龍による突進のせいだろう。
龍たちは本気でこの船を狩るつもりでいる。そして、海上に出ているものならともかく、海中にいる敵を退散させる方法を船のひとびとは持たない。
「ゲート内に緊急避難する! 総員、衝撃に備えろ!」
船長のものらしき声が聞こえた。船は方向を変える。事情を飲み込んだ獣人たちがさっと攻撃態勢を変更する。
これから船は目的とは違ったゲートを通るのだ。ゲートを抜けてまで追いかけてくる龍はほぼいない。縄張りがあるからだ。違うゲートを通るとなると大幅に旅程が変更になってしまうが、ここで沈没するよりはうんとましだという判断だろう。
獣人たちが龍をいなし、道を切り開く。船は大きく旋回し、三時の方向へと進路を変えた。
船は全速で進む。目指すは海上に開いているゲートである。この船が通り抜けられるかどうか、ぎりぎりだ。だが、賭けるしかない。
光の渦が近づいてくる。明らかに龍の勢いが減った。だが、諦めた様子はない。
今や後ろを追いかけてくる龍に向けて、獣人たちが矢を放っている。光の渦がすぐそこに迫る。ヒガンは船の突起を掴んだ。
がくんと衝撃があり、眼の前が真っ白になる。音が消える。匂いがなくなる。浮遊感。体が床に押し付けられる。
音が戻ってきた。荒れ狂う波の音が聞こえる。光が収まり、ヒガンはつぶっていた眼を開けた。
無事にゲートを抜けたようだ。少しほっとして背後を振り返る。
「ダメです! 奴らついてきています!」
悲鳴が上がった。ヒガンは愕然とした。龍たちはゲートを超えてまで船を追ってきていたのである。
「海中もか?」
「いえ、反応なし! 見えているだけです!」
どうやら数は減っているようだが、五匹の敵がいることに変わりはない。
どうやってもあれらの龍を倒さなければならないようだ。
「俺、手伝ってくるよ」
テンが言い、ヒガンのそばを離れた。
ヒガンは今更船室に戻ることもできず、戸に捕まって成り行きを見守る。テンが獣人たちに声を掛け、すらりと剣を抜いた。
海は荒れている。ごろごろと空が鳴った。辺りは暗くなっている。見上げれば空には雷雲が迫っているところだった。ぽつ、と飛沫が鼻を打つ。いやそれは雨だ。見る間に雨はざあざあ降りになり、甲板を大量の水が洗い流していく。
視界が悪い中、テンを仲間に迎えた獣人たちが武器を構えた。
突進してくる龍を打ち返し、その鼻面に一撃をくれる。傷ついた龍が弾かれたように身をくねらせ、その勢いを借りて攻撃した者は戻ってくる。
テンはというと、宙を飛んで龍と龍の間を駆け巡っていた。
テンは鳳凰だ。鳳凰の本性は鳥の姿をしている。それでテンには空を飛ぶ能力が備わっている。その力を使えば、思うように攻められない、背後に控えている龍を攻撃することができる。
龍が口を開けて船を狙う。その口の中に飛び込んでテンが切りつける。たまらず龍が口を開けてテンを吐き出す。テンは宙を蹴って眼を閉じた龍の頭を駆け上がると額に剣を一突きする。
痛みを感じたのか、龍が激しく頭を振った。テンはその動きでバランスを崩す。剣を引き抜いて龍から距離を取る。別の龍が近寄ってきたのに飛びついて同じように攻撃する。今度は龍の額ではなく喉元を切りつけた。テンの剣捌きでも傷がなかなかつかない。この龍はかなり硬い鱗を持っているようだ。
テンに攻撃された龍は皆体をくねらせて煩悶している。長い尾が水を叩き、飛沫が上がる。
獣人たちは船を狙う龍を何度も返り討ちにしていた。龍の攻撃がだんだん弱まってきている。もう少ししたら諦めるだろうか。
龍が襲う。それを退ける。テンが龍を切りつける。龍が暴れ、下がっていく。
嵐がやってきていた。それは船も龍も平等に襲う。打ち付ける雨が肌に痛く、視界は変わらず悪い。風が逆巻き、体が持っていかれそうになる。
龍が攻撃を止めた。全員が攻撃しあぐねているかのように首をもたげ、船を遠巻きに見つめる。獣人たちが甲板に戻ってくる。テンは今取り掛かっていた一匹に一閃を浴びせて、宙を飛んだ。
龍が痛みに身悶えて体をひねった。長い尾がぶおんと浮かぶ。それは龍の意思を超えて宙を舞い、テンの体を直撃した。
「テン!」
ヒガンは声を上げた。
テンはしたたかに背中を撃たれ、落下した。海に追突する寸前で踏ん張ってまた宙に飛び上がる。
そこを龍が狙った。船を沈められないことに苛立ってか、一匹でも獲物をしとめようと思ったのだろうか。口を開けてテンに迫る。
テンはどうにか剣を持ち上げてその攻撃を受け止めた。勢いを殺しきれずにテンの体が吹き飛ぶ。
別の龍に背中を打ち付けてテンは止まった。体勢を整えると船に背中を向けて龍を見据えながら少しずつ下がってくる。
雷がテンのすぐそばに落ちた。龍の眼の前を通った落雷が龍を怯ませる。テンは宙を駆け、甲板に戻ってくる。船に飛び乗る直前で力尽きたのか、手すりの内側に倒れ込み、床にべしゃりと潰れた。
ヒガンはテンに駆け寄った。
「またゲートを通過するぞ!」
船長の声が響く。船が揺れ、光の渦を目指す。
龍たちは船を振り返りながらも、元来たゲートへと戻っていく。
海上に浮かぶゲートに船は接近した。光が強くなる。眼の前が何も見えなくなる。テンに触れるかどうか、といったところでヒガンは手を止めた。思わず腕で眼を庇う。音が途切れる。雨が途切れる。雷が止む。浮遊感を感じ、すぐにそれは消え去る。
ゲートを抜けた。
ゲートの先には、一変して穏やかな海が待っていた。
拍子抜けするほどの好天が彼らを出迎える。空は青く澄んでいて、入道雲が水平線からもくもくと湧き出ている。カモメが船のそばを飛び、潮風が涼やかに打ち付ける。船を揺らす波は穏やかで、上下が少ない。
「テン?」
ヒガンは腕を下ろし、ようやくテンの肩に手を掛けた。先程からテンはぴくりとも動かない。
「テン、テン?」
声を掛けてもテンは反応しなかった。なんどか揺すり、ヒガンはぐっしょりと濡れた彼の体を転がした。テンが仰向けになる。
テンは眼を開けていた。だが、その瞳には何も映っていなかった。虚ろな眼が宙を見据えている。ぎょっとした。ヒガンは慌ててテンの首筋に指を触れさせた。脈がない。絶命している。
おそらく打ちどころが悪かったのだろう。龍の尾に叩かれた時に頭でも強打したのかもしれない。どうにか船まで戻ってきたが、そこで息絶えたのだ。
ヒガンがテンから手を離すと、タイミング良くテンの体から炎が上がった。その炎は濡れたテンの体を乾かしていく。安心してヒガンはテンのそばを離れた。どういうことだかさっぱりわかっていない船員たちに事情を説明する。テンは炎が収まった時に復活するのだと聞いて、船員たちは安心したように去っていった。
ヒガンは一人、テンの復活を待つ。炎がどんどん大きくなる。今やテンの全身を炎が覆っていた。
「……」
待つ。じっと待つ。だが、なかなかテンは起き上がらない。一分待ち、二分待ち、三分待ち、それでもテンは復活しない。
何かがおかしい、とヒガンは思った。
「ヒガンさん!」
ハクの声が聞こえた。ヒガンは振り返る。ハクが船内から出てくるところだった。ヒガンたちに駆け寄ってくる。
「ずっと帰って来なかったから……! 大丈夫ですか?」
「ああ、俺はな。でもテンの様子がおかしい」
「テンさんが?」
ハクがテンの横に膝をついた。燃え盛る炎を見つめてさっと表情を強張らせる。
「テンさん、また死んじゃったんですか?」
「ああ、龍に打たれてな」
「でも、すぐに復活しますよね?」
「そのはずなんだが……」
ヒガンはテンにいざり寄る。炎の中に手を差し伸べてテンの首筋に触れた。まだ脈がない。これはなんでもおかしい。
ヒガンは焦った。テンがこんなにも復活に時間を要したことはない。テンの復活力はヒガンのそれよりも強くて、ヒガンの何倍もの速さで回復することができるのだ。
だが今テンは死んだままだ。復活する気配もない。
「テン、どうしたんだ?」
呟いて、はっとした。炎が弱い。テンが復活する時はもっと勢いよく燃え盛っていたはずだ。だが今は空気が足りていない炎のように色も悪いし勢いもない。
「テンさん、どうしたんですか?」
「力が弱まっている?」
「それは、どういう」
「復活させるだけの炎の力がないんだ。……まさか」
「どうしたんですか?」
「これまで、俺とテンが同時に何度も復活を繰り返したことはなかった。でもここ最近は頻繁に俺たちは死んだり怪我をしたりして、炎を消費している。だから、力が弱まっているんじゃ……?」
テンが死にがちなのはいつものことだ。テンは採取に出かけるといつも最低二回は死んで帰ってきていた。だが、それで困ったことになったことはない。
しかし、ここのところは事情が違った。テンだけでなくヒガンも死ぬことがあり、そんなヒガンのためにテンは自分の炎を分け与えていたのだ。鳳凰は身の内に炎を宿す。その炎が弱まれば復活するための力も弱まる。
ヒガンはテンに口づけをしてみた。自分の中の炎を移せばいいのではないかと思ったのだ。だが、その方法はわからない。念じてみたけれどもやり方を知らない以上、どうしようもなかった。
ヒガンの焦りは大きくなった。
テンは燃える炎の中、冷たい体を陽光にさらしている。だんだんとテンの体の温度が下がっていくのを感じる。体が強張ってきているのも。
このままテンが復活しなかったら。ちらりとそんなことが頭をよぎり、ヒガンは首を振った。
まだそうと決まったわけではない。
鳳凰だって、番いが同時に死を迎えることもあったはず。そうなった時の対処法が伝わっているはずなのだ。何か手があるはず。そう思ったがいい考えは思い付かない。いや、というよりも、ヒガンの思考は今や空回りしていた。考えているつもりでも、うまく筋道を立てて考えることができていない。考えをまとめることができていない。
(どうする、どうすれば?)
そればかりをぐるぐると回っている。
今、ヒガンは不死身の体になってはじめて、死を怖いと感じていた。
不死身になってからは死は身近なものであり、テンが死のうが自分が死のうが、なんとも思っていなかった。死んだところで何事もなかったかのように復活するのだから当然だ。
だが今、テンは復活しない。それが恐ろしい。
テンとは長い時間をともにしてきた。相棒を失うかもしれない、という恐怖がヒガンへ迫っていた。
「ヒガンさん、ヒガンさん!」
ハクが叫ぶように呼び掛けている。ヒガンはテンの首筋に手を当てたまま、固まってしまっていたらしい。
「どうするんですか?」
ハクは混乱しているようだった。同じようにヒガンも混乱していた。
頭が空回り、ようやく一つ案を思いつく。
「そうだ、火だ。炎を足せばいいはず。ハク、荷物を持ってきてくれ」
ヒガンの言葉を受けてハクが走った。船内に戻った彼はすぐに荷物を持って帰ってくる。ヒガンは荷物の中から、これまでに採取したものを取り出した。
テンが復活しない原因は炎の弱さだと考えて、復活力を回復させる方法を試せばいいのではないかと思ったのだ。数十年に一度、鳳凰は炎の中にその身を投げ入れる。特別な炎の中で死と復活をすることによって、内側に湛えている炎を強めるのである。
ヒガンは採取したものを広げた。
甘い香りを振りまく花びら。焔苔の内側にくすぶっている雷をもとにした火種。オパール化した薪。それから緑に輝く火山灰。
ヒガンはまず火山灰をテンの体の周りに撒いた。体を囲むように楕円を作り、残りをテンの体に掛ける。その上から花びらを散らした。花びらはテンの体から出ている炎に触れるとちりちりと燃えていった。
花びらの数枚を手に持ち、そこに火種を近づける。火が花びらに燃え移り、白い炎を上げた。同時に煙も立ち、焦げ臭くも豊かな香りが広がる。ヒガンはそれをテンの炎の中に落とし入れた。
ぼうっとテンの炎が大きくなる。離れたところにいたハクが思わず後ずさるほどだった。今やヒガンの背丈ほども炎を上げて燃え盛り、ヒガンの顔を照らしだしている。
ヒガンは薪を取り出すと炎の中にくべた。薪に炎が移り、ぱちぱちと火花が爆ぜる。
炎はテンの体を焼き尽くしていく。テンの体が灰へ変化する。それはまさしく、この方法を取った時の反応に違いない。
だが、灰になるばかりでちっとも再生しない。通常なら灰になったところから復活して綺麗な体が現れると言うのに、テンは燃えていくだけだ。
「これで、大丈夫なんですか?」
おずおずとハクが尋ねてくるのにヒガンは答えられなかった。
「炎の威力がまだ足りないのかもしれない」
それだけを言って、薪を足す。ぱちぱちと火が爆ぜる。炎はさらに激しく燃える。
しばらくテンを観察した。だが、待ってみたところで状況は変わらない。
ぎり、とヒガンは爪で床をひっかいた。あまりに強い力を込めたので甲板に傷が残る。
(他……、何か他に方法は……)
ヒガンは焦った頭で考える。
テンの炎とは違う光がすぐ横に現れた。驚いてヒガンは顔を上げる。
ゲートのような光の渦がヒガンの隣に発生していた。
「これは、ゲート?」
「いや違う。こんなにいきなりゲートは現れるもんじゃない。でも、じゃあ?」
ヒガンとハクが見守る中、光の渦は大きくなっていく。
人が一人通れるかどうかといったほどの大きさにまで成長した。
さらに見守っていると、光の渦の向こう側にどこかの風景が映る。風景が揺れて、人の影が現れた。二人分ある影は風景の中からこちらへ近づいてきているようだ。影の手が光の渦の端を掴んだ。かと思うと、まるで入り口を跨ぐかのようにひょいっと光の渦を超えてくる。
「テンさーん、ヒガンさーん、ちょっとお伝えしたいことがー」
この場の雰囲気にそぐわない、間延びした声が聞こえた。
光の渦を抜けてきたのは、レイレイだった。ヒガンとハクはぽかんと彼女を見つめる。
「あれ、ミドルじゃないですね? そろそろ戻る頃かと思ってましたのに。ここは……どこですか?」
レイレイは首を傾げる。そんな彼女の後ろからまた違う声が聞こえた。
「レイレイ、早く出てくれ。私がつかえている」
「おや、これは失礼しましたぁ」
レイレイが横にずれる。レイレイの後ろから姿を現したのはレオナルドだった。予想外のことにまたもやヒガンはぽかんとする。
レオナルドは腕に嵌めていた腕輪を何度かさすった。そうすると光の渦が小さくなっていく。瞬きを繰り返している間に光の渦は消え去った。
「お前、それは?」
ようやくヒガンが声を出した。
「ああ、レオナルドさんの道具なんですよぉ。なんでも、ユニバースを自由に行き来することができるんですって」
「だから私の……まあいいか。それよりレイレイ、言うことがあったんだろう」
「そうでしたぁ。テンさんにちょいと忠告を……って、あれ、まさか手遅れです?」
レイレイは燃えているテンの姿を見つけ、困ったように指を頬につけた。
「手遅れ、って、お前はこうなることをわかっていたのか?」
ヒガンは尋ねる。レイレイが頷いた。
「はいー。テンさんの炎が弱まっているようなので、お気を付けをと言いに来たのですが、この様子だと間に合わなかったみたいですねぇ」
「どうすればいい?」
がっとヒガンはレイレイの腕を掴んだ。きゃあ、とレイレイが可愛らしく悲鳴を上げる。
「どうすればテンの炎は元に戻る?」
ヒガンの必死な様子にレイレイはきょとんとしていたが、やがてポンと手を打った。
「テンさんを復活させる方法ですね? それなら心当たりがあります。鳳凰の一族から聞いた話があるので」
レイレイはヒガンの手を離させると、一歩下がった。両手を組んで話し始める。
「本当なら金一袋じゃ買えないくらいの情報なんですけれど。でもアタシもお友達が死にっぱなしってのは気分が良くありませんからねぇ。……鳳凰の一族は聖別した炎を浴びることでその不死力を蘇らせる。不死力の元となっているのは身に宿る炎で、それが弱まれば蘇る力も弱まる」
ここまではヒガンが考えたのと同じことだった。
「鳳凰は番いである。炎が弱まった時、息を吹きかけて火を強められるのは番いのみ。その身に宿る炎を与えるか、もしくは刺激してやればいい」
「炎を与えるというのは、どうするんだ?」
ヒガンの問いにレイレイは首を竦めた。
「さあ? アタシは鳳凰じゃないのでわかりません。でもまだ策はありますよ。炎が与えられないなら、刺激してやればいいんです」
「刺激?」
「精神を揺さぶればいいんだそうですよ。精神に働きかけて、眼を覚まさせるんです。鳳凰の復活が遅れている時は、ちょーっとぼうっとして彼岸に留まっているからだというんです。だから、お迎えに行ってあげるんだとか」
「迎え?」
「番いならできるそうですよ。何、難しく考えることはありません。ちょおっとびっくりさせてあげれば、その反動で炎が復活してテンさんも復活! そういう話らしいですからね」
ヒガンは考え込んだ。
精神に触れる、という言葉は聞いたことがないし、やり方だって当然わからない。だが、鳳凰の番いにならできる、という点がポイントなのだろう。番いだからこそできること、何かあるだろうか?
「そうだ、炎」
ヒガンは炎に触れた。テンの体から出ている炎は生身の人間を襲うこともあるけれど、テン以外を焼き尽くさない。だが、ヒガンの体にだけは移ってくることがある。これが何かのとっかかりにならないだろうか。
「レイレイ、迎えに行く、と言っていたよな?」
「はい、確かに言いました」
ヒガンは顎に手を掛けた。
レイレイの言葉をそのまま受け取るのであれば、テンは今彼岸へと向かっているところなのだ。そこから引き返すのに時間が掛かっている。
死んで復活する時、眼の前が真っ暗になって違う景色が見えることがある。あれは彼岸なのだろう。鳳凰の一族は、そしてその番いは、復活の際に彼岸に立ち寄り、すぐに戻ってきているのだ。
であれば、テンを彼岸に迎えに行けばいい。どうやって? ヒガンも死ねばいいのだろうか。だが、死んでヒガンもまた復活できないという状況になるかもしれない。安全な方法は……。
考えていたヒガンだったが、立ち上がった。自分の体に火山灰を掛け、花びらを纏わせる。薪を手にし、テンの炎に向かった。
「ヒガンさん、何をするつもりですか?」
困惑したハクが尋ねる。ヒガンは振り返った。
「今から、テンを呼びに行ってくる。テンの炎に焼かれて、戻ってくる」
「炎に焼かれて?」
「この炎は、回復させる時に使う炎と一緒だ。テンの奴を目覚めさせたら、ついでに回復もできて一石二鳥だろうし、それに、これが多分正しい方法なんだ」
番いと同じ炎の中に身を投じること。それにより、ヒガンはテンと同じ状況になる。すなわち、ヒガンの復活力とテンの復活力が均等になり、どちらか片方だけが復活したり、どちらも復活できないということを免れる。均等になった復活力のもとで両方が死ねば、二人ともが彼岸の景色を見る余裕が生まれる。つまり、彼岸に留まっているテンを探すことができる。そして、復活力を回復させる炎の中にいるため、この世に戻ってくる命綱を握っていられる、ということだ。
「正しい判断でしょうね」
とレイレイが請け負った。
ヒガンはゆっくりとテンの炎に近寄っていく。テンの炎がヒガンの体に燃え移った。
肌を撫でる温かさに心がホッとする。テンが復活しなくて焦っていた心が解きほぐされていくようだった。
一歩、二歩、と歩を進める。炎はますます大きくなっていく。
全身を炎で覆われているというのに、視界は明瞭だった。横たわるテンの体の残りが見えていた。
ヒガンは薪を足元に置くと、テンのそばに片膝をついた。燃え残っていた顔にそっと手を添える。開けられたままの瞼を閉じてやると、そこにそっと口づけを落とした。
テンの炎が体の中に入り込む。体の内側から温められていく。花の香りが鼻孔をくすぐり、ぱちぱちと燃える火花の音が耳を楽しませる。
ヒガンの全身をゆっくりと炎が覆っていく。テンに触れているところからヒガンの体が崩れ始めた。燃え、灰になり、テンの体の灰と混じり合う。
そうするにつれてテンの炎がますます体の中に溶け込んでく。ヒガンの中に燃えていた炎がテンのものと触れた。途端それらは混じり合い、さらに大きな炎となって火柱を上げる。
それだけの勢いがあっても、炎はちっとも熱くない。安心させるような温かさだけを感じていた。
ヒガンの髪が炎の渦に扇がれて逆巻く。体がぼろぼろと崩れていく。視界がだんだんと暗くなる。ぼやけていく。
ヒガンは背後を振り返った。レイレイ、レオナルド、そして心配そうな顔をしたハク。
安心させるようにヒガンは頷いた。つもりだったのだが、果たしてそれはできていたのだろうか。
「ちょっと行ってくる」
そう言い残し、ヒガンはテンを連れ戻しに彼岸へと旅立った。
ヒガンが気がついた時、辺りは暗闇だった。眼が慣れるまでヒガンは動かずにそこでじっとしている。瞼を閉じて呼吸を数える。一分ほどして眼を開けた。
「……!」
ヒガンは眼を丸くした。
ヒガンがいるのはやはり暗闇の中だったが、漆黒とは違った。
辺りには光が浮いている。漂っている。点滅している。いくつもの、様々な色をした光がヒガンの周りを取り囲んでいた。
ヒガンは光に手を伸ばす。指先に光が触れた。硬い感触がある。光は手の中にすんなりと入ってきたかと思うと、ぱんと弾けた。
光が広がった。眩しさに眼を閉じたヒガンが瞼を開けると、辺りの光景はまた変わっていた。
足元には道が続いている。それは曲がりくねりながら下へ下へと向かっている。
道には光が落ちている。身を屈めてよくよく観察すれば、それは光の球が地面に埋もれているのだった。水滴のような小さな、そして大きな光の球が半分ほど地上に顔を出している。ヒガンが触れると光は明滅し、その点滅は隣にあるものに移っていく。
気がつけば、道に落ちている光は一定の間隔で明滅し、まるで道を示すかのように波を作っていた。すう、すう、と光っては消え、おいでおいでと手招きをしているかのようにも見える。宙を漂う光もまた同じ間隔で点滅していた。その様は蛍のようにも見えた。
ぽとり、とヒガンの懐から何かが落ちた。拾い上げれば、それは炎が端についた薪だった。オパールが溶けながら炎を揺らしている。その炎の揺らめきもまた、周囲の光の点滅によく似た周期となっていた。
道を降りて行けばいいのだろう。そう悟ってヒガンは歩き出す。ぽう、ぽう、と光がヒガンを招いた。
歩いているうちに、ヒガンがいるものとは別にも道があることに気がついた。少し離れたところに異なる地面があり、それもまた曲がりくねりながら下へと向かっている。光がばらばらに動いているものもあれば、ヒガンの道のように一定の周期で明滅しているものもある。一定の周期になっている道には、ゆらゆらと揺れる光が別にあって、その光のそばには人影が見えた。
きっと、とヒガンは考える。
これは彼岸へ至る道だ。それを降りているのは、彼岸へ向かうひとびとなのだ。死んだものは皆一度はここを通るのだ。
ヒガンはふと足を止めて後ろを振り返った。ヒガンが通ったところは光の明滅がなくなり、ぼんやりとだけ光っている。他の道を見てみれば、人が通ったところは暗くなっている。この違いはなんだろう。鳳凰は死の旅から蘇る。だから、まだ道案内が必要ということだろうか。
ヒガンたちは死んで復活する時に、知らずしらずの間にこの道を辿り、そして戻っていったのに違いない。
ヒガンは顔を戻し、また道を辿っていった。
しばらく進むとどこからか水の音が聞こえてきた。さらさらと何かをかき分けて流れている水のようだ。ひょうひょうと風が吹くような音もする。障害物を吹き過ぎていく風の音だ。
風はヒガンの体をも撫でていく。ヒガンは手で覆いを作って、炎が消えないようにした。
溶けたオパールがぽたぽたと垂れ、道に落ちて僅かに光を放っている。よくよく見れば、ヒガンが辿る道には蝋のように溶けて固まったオパールの雫が染みついていて、それが点々と続いているのだった。
ヒガンは歩く。歩く、歩く。
ぐわりと曲がった道に沿って歩く。直線に沿って歩く。光はヒガンを誘う。こっちだよと教えてくれる。
道は不思議と一本道だった。分かれ道などない。疲れることを知らず、ヒガンは歩き続けた。
時折立ち止まり、上を見上げる。建物十階分は下がってきたところだろうか、その位置から見てみれば、天井に当たる部分に光が揺らめいているのが見えた。
それはゲートによく似ていた。光の渦が天井に張り付いてこちらを見下ろしているのである。光の渦からは黒い道がいくつも伸びていて、それの一つがヒガンが歩いているものに繋がっているようだった。
光に招かれるままに歩いていくと、水の音が強くなった。急な坂を通り抜け、道が少しずつ平坦になっていく。さらに水の音が強くなる。植物をかき分けて流れているかのような、さらさらとした音が聞こえている。
一際暗い場所を通り、ヒガンは先へと急いだ。道は、水の音が聞こえてくるほうへと続いている。この道に沿って行けば、どこかでテンを見つけることができるのだろう。
炎が揺らめき、ヒガンの影を落とす。
さらさら、さらさら、水が流れる。地面を明滅する光が弱くなり始めた。いや、宙を照らしている光のほうが強くなっている分、地面のものは弱まっているように思えるのだ。
左右に伸びている別の道が、同じところを目指して伸びているのがわかる。炎が揺れて、ぽたりと溶けたオパールが落ちる。その光がヒガンの足元の地面に吸い込まれ、固まった。
それからさらにしばらく進む。
かつん、と足に硬いものが当たった。ヒガンは立ち止まり、炎を翳してそれを見る。
剣だった。見たことのある剣だ。それは、テンのものだった。
剣はむき身のまま落ちていた。ヒガンはどこかに鞘が落ちてはいないかときょろきょろと辺りを見回した。だが、一本道にはそれらしきものはない。
どうして剣だけが落ちているのだろうか。跨ぎ越して進むのも気が引けて、ヒガンは剣を手に取った。
柄を握って立ち上がると、片手に持っていた炎が大きく揺れた。ヒガンの視線がそちらに移る。炎はヒガンの手を離れてゆらゆらと揺れながら宙を漂っていった。ヒガンが見守る中、炎は剣の先に触れた。途端、ぼうっと炎が大きく広がった。何よりも強い光が辺りを照らし出した。漂うもの、地面に落ちたもの、それらの光を消し飛ばすほどの光量だった。天井にある光の渦も霞むほどだった。
炎は剣の全体を覆うように燃え広がっていった。広がるにつれて光は弱まっていくが、それでもヒガンの顔を照らし出すには十分だった。炎は何色にも色を変える。赤、橙、黄、桃、緑、青、紫、白。炎はやがてヒガンの手に到達した。ヒガンの腕を通って全身に燃え移る。
温かさがヒガンを覆った。ちょうどそれは、死出の旅を始めた時、テンの炎に覆われた時と同じような感触だった。
温かさがゆっくりと全身に染み渡っていく。炎が色を薄めていく。眩しさにずっと眼を細めていたヒガンだったが、視界に炎とは別のものが映り始めた。
なんだろう、とヒガンは瞬きをする。それは、剣から立ち上る炎の中に映し出される幻影で、炎を通じてヒガンにも伝わってきているのだった。
ざああ、と音がした。強く打ち付ける雨の音だ。ごろごろと雷が鳴っている。海が悪天候に割れて船に押し寄せる。水飛沫が顔に掛かる。眼に塩辛い水が入り、ヒガンは思わず顔を拭った。手を下ろした時、それが自分のものではないことに気がついた。手には剣、腰に鞘。剣を握った手はテンのものである。今、ヒガンの意識はテンの体と重なっている幽体のようになっているのだった。
テンはぽんと宙を蹴る。その動作に伴って体が持ち上がる。顔に打ち付ける雨が酷くなる。テンは肩を使って頬を流れる水を拭った。
テンが睨み据える先には龍がいた。一匹ではなく複数だ。龍がこちらを狙っている。その龍に向かってテンは剣を掲げる。
テンは龍に飛び掛かった。龍へ切りつけ、一歩退く。龍の攻撃を躱し、また次の攻撃へ。
これは、あの時の記憶だ。ヒガンは悟った。
テンが目覚めなくなる前のこと。そのテンの記憶をヒガンは追体験している。
記憶の中で、テンは何度も龍と渡り合っていた。龍を退けて船に戻ろうとする。
どん、と衝撃が背中に走り、ヒガンは驚いた。テンの体が傾く。龍の尾を背中に受けたのだ。テンの意識が朦朧とする。だが、テンは力を振り絞って宙を飛んだ。どうにか船に帰り着く。
ヒガンの顔が見えた。それを見てテンはふっと柔らかく笑んだ。安堵が胸に広がった。それを境にテンの意識は途切れた。
瞬きをすると、暗闇の中にいた。宙と地面に光が移ろっている暗闇だ。
「ここ、どこ?」
テンは呟いた。その声が暗闇の中に広がっていき、掠れてきていく。
ぼうっとしていると、体のすぐ横に光が現れた。顔を向ければ、それは花の匂いをさせたオパールの薪で、炎がともっていた。テンはしゃがみ込み、それを拾った。その拍子に欠片が落ちて地面の上で炎を上げ続けた。
落ちた欠片には眼もくれず、テンは炎を片手に歩き始めた。
暗い道はどこかへと繋がっているようだった。とにかくこの道は辿るべきものだ、とテンは知っていた。本能的なものだった。
テンはただ黙々と歩いていく。途中で光が体のそばを通りすぎた。それは、隣接した道を歩いている別の人が掲げた光だったが、テンはそれらに注意を払わなかった。
少しいくと、水の音が聞こえた。その方向を目指すのだ、とテンは思った。水の音がしてくる場所へと向かう。だんだん駆け足になる。走っていった拍子にテンの手から剣が落ちたが、テンはそれに気がつかなかった。
すう、と景色が遠ざかった。そこでテンの記憶は途切れた。
元の暗闇に戻り、ヒガンは瞬きをした。
剣と腕を包んでいた炎は鎮まっている。手の中にある剣は記憶の中のテンが落としていったものだ。テンもこの道を辿って、彼岸を目指しているのだろう。ではヒガンはこのまま道を進めばいいのだ。
ヒガンは剣を片手に持ったまま、ほとんど燃えてしまったオパールを手のひらに載せて再び歩き始めた。手のひらのオパールは熱くなく、ただゆらゆらと揺れていた。
暗闇がだんだんと晴れていく。それは、霧が晴れていく様に似ていた。水の音がさらに大きくなる。今ではそれは、広い川の音だとわかるほどだった。ヒガンは足を速め、先を急いだ。
それからどれほど歩いただろう。はっと気がついたヒガンは足を止めた。眼の前の暗闇が、帳を上げるように晴れた。ほんのりとした光が地面から浮かび上がってきた。
彼岸花が咲いていた。辺り一面が彼岸花に覆われていた。いつの間にか、ヒガンは彼岸花の群生の中に足を踏み入れているのだった。
赤の彼岸花がそよそよと揺らいでいる。その周りを白の彼岸花が取り囲む。彼岸花はまるで宝石でできたものかガラス細工のように繊細な見た目をしていた。生花にあるはずのしなやかさに欠けていて、しかし変わらずに美しかった。緑の葉や茎もまた透き通った作りになっていて、そこについた露でさえもガラスでできたかのように透明な輝きを放っていた。
彼岸花はその中央に炎を宿している。花弁が丸まった箇所に、人が大切なものを抱え込むかのように炎をともしている。赤の炎と白の炎と。ちろちろと光が揺れ、それに合わせて彼岸花の細い糸のような花弁がそよいだ。
中心にある炎は火花を舞い上げる。火花がすうと弧を引いて輝き、消えていく様は、もう一つの彼岸花が咲いたかのように思えた。
風が吹きすさぶ。すかすかとしたほの寒い風だ。それは彼岸花をしならせ、頭を垂れさせる。炎の粉が舞った。多くの彼岸花が宙に浮かび、散っていった。星の瞬きよりも儚い灯火。火の粉の一つがヒガンの肌を舐めて消えていく。
彼岸花は赤のものと白のものとが交互に帯のように分かれて咲いていた。赤の花が揺れれば、少し遅れて白の波ができる。揺れてぶつかり合った彼岸花はちろちろと音を立てているようだったが、川のせせらぎのほうが大きくてほとんど聞こえない。
静かな土地だった。川のせせらぎと彼岸花の立てる音以外には何も聞こえない。ヒガンの他に誰かがいるような様子もなかった。人気がなく、生気のない土地だった。ただ美しいばかりの光景だった。
冷たいものが足元をくすぐった。視線を落とすと、水が流れていた。彼岸花の群れの中を川が横切るように流れているのである。川の流れはごくごく穏やかで、ヒガンの足を取ることはなかった。
屈んで見てみれば、水はうんと透き通っていた。川底の地面は土ではなくオパールでできている。オパールの欠片が砂のように集まっているのだ。それ以外にもペリドットの灰が溜まっている箇所もある。
ヒガンは手を水の中に差し入れた。足に触れている時はそうと感じないのに、掬ってみると冷たい水だった。手のひらから零れ落ちていく水滴が、宝石のように固まってきらきらと光を弾いた。
ヒガンの持っていた炎が傾き、水の中に落ちた。じゅう、と音を立てて消えるかと思えば、水に浮かんだまま燃えている。水の流れに乗ってちょっと移動したかと思えば、ヒガンの足に引っかかり動きを止めた。
炎をそこに置いたまま、ヒガンは顔を上げた。炎の光がなくなって辺りには暗闇が差し迫っていた。彼岸花だけがぼんやりと輝いている。
彼岸花の景色の向こう側に何かがあるのが見えた。黒く、暗い。あれは……川だ。彼岸花を浸している水がもっと深く底を抉って川を作っているのだった。
遠くて良くは見えないが、対岸にも彼岸花が咲いているのがなんとなくわかった。足元と同じような光がこんもりとできあがっていたからだ。ただ、その色は違っていた。赤と白ではなく、青をしていた。対岸には青い彼岸花が咲いて、青の炎を揺らしているのだろう。
足元の水が通り過ぎていく。ヒガンはあちこちを見回した。
やはり、ヒガン以外に人の姿はない。テンはいったいどこにいるのだろうか。
ヒガンは炎を掬い上げると胸に抱え、剣を携えて彼岸花の中を歩き始めた。
ガラスでできた彼岸花は足に触れるとくすぐったかった。りんりんと音を立てて楽を奏でているようだ。ヒガンの足が水を引き上げ、払っていく音がせせらぎよりも大きく聞えてくる。
ヒガンはその辺りを彷徨った。時折、遠く川のほうに光が揺らめくことがあった。立ち止まってみてみれば、人が川を渡っているのだった。光を体にまとわりつかせながらざぶざぶと川に入っていく者もいれば、船を渡してもらっている者もいる。皆、一様に川岸を目指しているのだった。
あれがあの世だろう。ヒガンはそう思った。川の向こうはこことは違う世界だ。彼岸花が咲いているけれど、ここはまだ彼岸には達していない。であれば、テンはこの辺りにいるはずなのだが。どこかに落ちているのだろうか。それとも寝ているのだろうか。彼岸花の背は高い。この中で横たわっているのだとしたら、そう簡単には発見できないだろう。
なかなかテンの姿は見つからなかった。それでもヒガンは苛立つこともなく彼の姿を探した。手の中の炎が時折揺らめいて、ヒガンの顔を撫でた。美しい光が広がる彼岸花の中、手の中の炎がもっとも温かみを持っていた。
ヒガンが持つ剣の切っ先が彼岸花に触れた。触れたところから彼岸花が切り落とされて、ヒガンの足元に流れてきた。ヒガンにじゃれつくようにその花はくるくると舞っている。足で押しやろうとしても離れないので、仕方なくヒガンはそれを掬い取ることにした。
剣を脇に抱えて、開いた手で彼岸花を取り上げる。顔の高さに持ち上げれば、彼岸花は内側からぽんと爆ぜて炎に包まれ、端から灰になって消えてしまった。その灰がヒガンの顔に吹きつけた。ヒガンに触れたところから灰は内側の熱を取り戻し、ぽうと光をともす。その灰が集まって再び炎に戻るのはいくらも時間が掛からなかった。
ヒガンは瞬きをせずにそれを受け入れていた。不思議と嫌な感じはしなかったからだ。それよりも、これを受け入れるべきだという確信めいたものがあった。
炎はヒガンを包み込む。そしてヒガンの体に吸収されていく。
眼の前に何かの光景が広がった。ここではないどこか。街並みだ。翡翠の屋根瓦が波のように続く、港町だった。
そこをヒガンは知っていた。懐かしい気持ちが押し寄せてくる。そこはかつて、ヒガンがテンと出会った場所。ヒガンが初めて命を落とした場所だった。
ヒガンの意識が溶け出して、当時の自分と重なっていく。ヒガンはそれに身を任せた。
その当時のヒガンは若かった。ハクと同じくらいの少年だった。ミドルで生まれたヒガンは外の世界に憧れを抱き、知り合いの船員に頼み込んで船に乗せてもらった。
初めて行くユニバースへの船旅は大変だった。ヒガンは船の仕事もよくわからないながらこき使われ、くるくるとよく働いた。ヒガンは比較的物覚えの良いほうだったので、一つ目のゲートを通る頃には、雑用なら一通りこなせるくらいにはなっていた。
初めて訪れたユニバースは、翡翠色をした世界だった。それはウィリディスヒエムス大陸の一端にあって、雪は降らないまでも凍えるような冷たい風が吹きすさぶ世界だった。
ヒガンが訪れた街にテンはいた。彼はヒガンと同じくらいの年代に見えた。テンは旅をしているのだと言った。護衛として乗る船を替えながらユニバースを渡り歩いているのだと。ヒガンはその話に憧れた。船の仕事の合間にはテンに会いに行き、話を聞いた。
一年中春の国、夏の国、秋の国、色が様々な国、灰色しかない世界。テンが語る話はどれも面白く、ヒガンは胸をわくわくさせたものだ。
滞在の間に、ヒガンとテンは親しくなり、テンはヒガンが世話になっている船に乗ることが決まった。
出航の日の朝にそれは起こった。ヒガンたちの船が、ロー・ユニバースから迷い込んできた龍によって襲われたのである。
あちこちと接しているミドルを除いて、ユニバースの大陸の近くまで龍がやってくることは少ない。それで十分な設備がなく、龍を追い払うのには人員が必要となった。
テンはそれに駆り出され、ヒガンは船の上で炎を消していた。運ばれてくる水の入ったバケツを火に開けては空のものを返す。それを繰り返した。
あまりにも必死になっていたものだから、ヒガンは気がつかなかった。龍が迫っていることに。テンたちの包囲をすり抜けた龍が、上がる火の粉に惹かれてやってきていたのだった。
ヒガンが気がついた時には遅かった。なす術もなくヒガンはなぎ倒され、鋭い牙が体を引き裂いた。
痛みを感じる間もなかった。ただ、焼けるような熱さだけを知覚した。
そして、ヒガンは死んだ。
死んだヒガンは、死の世界への旅をしていた。今と同じように。そして、彼岸花の光景を見て、綺麗だと思って足を止めたのだ。
彼岸花に見とれて、どれくらいぼうっとしていたのだろうか。ふと人の気配を感じて顔を上げると、そこにはテンが立っていた。
(ああ、そうだ)
テンは肩からざっくりと大きな傷を作っていて、血に塗れていた。
(それが、美しかったんだ)
テンは傷など気にも留めない様子で、ヒガンに笑顔を向けて手を差し伸べた。
「迎えに来たよ。戻ろう」
とそれだけ言って。
(お前の体を流れている血が、お前の命を感じさせる温かな笑顔が、何よりも美しいと思ったんだ)
ヒガンはテンの手を取った。
そうしてヒガンは復活した。不死身の体を得て。
景色が遠ざかっていく。炎が弱まり、元の彼岸花の光景が視界に広がった。ヒガンは燃え尽きて何も乗っていない手で顔を覆った。
「そうだ、思い出した」
ヒガンは、テンに惹かれて自ら生き返ることを望んだことを。
不死身の体を得て一生死ぬことができないと悟った時、ヒガンは荒れた。人間であったヒガンには、不死は過ぎたものだった。受け止めることが難しいものだった。それでテンにはしばらくの間、辛くあたったこともあった。塞ぎがちになり、ミドルに戻ってからは二度とユニバースへ出かけることはなかった。
死んでも死ねない体を疎んじていた。死んでも続いていく人生を諦めていた。だが、それは全て、ヒガンが命に惹かれた結果のことだったのだ。
あの時、迎えに来たテンを見た時。テンの体を流れる血潮だけが、死後の世界で温かさを放っていた。死後の世界にはあり得ない、命の温かさだった。地球に、ユニバースに、ヒガンが生きていた世界にありふれている美しさだった。それを見て、ヒガンは死後の世界の光景よりなにより美しいと感じたのだ。
テンの血潮を、生きとし生けるものに共通する命の輝きを、ヒガンは愛していた。それをもう一度この眼で見たいと思った。だからこそ、テンと一緒になることを選んだ。その選択で自分の運命がどうなるのか、その時のヒガンははんとなく悟っていたのだ。生き返ってからは忘れてしまっていたけれど。
ヒガンは改めて周囲を見回した。
一面の彼岸花。作り物のようなそれはただただ美しい。こんなに研ぎ澄まされた美しさを持つものをヒガンは知らない。見たことがない。だが、今のヒガンは心からこの風景を受け入れることはできなかった。ヴェールベル大陸の咲き誇るような赤、生き生きとした植物。アルベスタース大陸の燦燦とした日照りの白、炎を内に灯す苔。カエラトゥムヌスの抜けるような青空、宝石で作られた世界。ウィリディスヒエムスの厳しい寒さを表す冷徹な緑、しんしんと降る雪と凍える風。それらのほうが彼岸花よりも何倍も美しい。
それは、それらの光景には命があるからだ。命あるものがそれを燃やして生きる様が現れているからだ。
この死後の世界はヒガンが愛したものではない。ヒガンが焦がれたものではない。ヒガンがいるべき場所ではない。
命の温かさに、世界の美しさに、眩さに未だ惹かれているヒガンは、ここにいるべきではない。そう強く感じる。
生き返りたい、とヒガンは思った。不死の体を得てから初めてのことだった。彼岸へ渡ることなくこの死後の世界を抜けて、命ある世界に戻りたい。
そして、ただ戻るだけではだめだ。テンも一緒でなければ。なぜならば、テンがヒガンに命の美しさを感じさせた初めてのひとだったから。
「テンと一緒に、命ある世界に戻りたい」
ヒガンは口に出してそう言った。
ヒガンの言葉を聞いたのか、足元の彼岸花が激しく揺れた。それは、変えるための道を示しているかのようだった。ヒガンが行くべき場所を示しているかのようだった。
ヒガンは花の流れに沿って歩き始めた。赤色の彼岸花を通り過ぎると白のものに出くわす。白が途切れたと思ったら赤がまた広がり始める。ヒガンの抱えた剣の切っ先に触れた花がぽとりと落ちて、水に浮かんだ。次々と浮かんだそれらはほんのりと火をともし、ヒガンの足元を流れていった。
彼岸花をかき分けて歩き続け、とうとうヒガンはテンを見つけた。彼は白の彼岸花に囲まれていた。白に近い髪をした彼は、彼岸花の中に溶け込んでしまうようだった。ガラス細工の白彼岸花。それをかき分けてテンは座り込んでいる。彼の周りを落ちた彼岸花の花が取り囲み、ぽうっと灯りとなって彼を照らしていた。暗闇の中、彼岸花が浮き上がっている。テンの顔は下から照らされて、死人さながらの血色のなさになっていた。ちりちりと彼岸花がこすれ合って音を立てる。遠くの川では誰かが彼岸へと渡っている光が見える。対してテンはじっと動かない。こちらに横顔を見せて座っているままだ。
ヒガンが近寄っていくまで、テンは顔を上げることもしなかった。ヒガンが隣に立ち、剣を差し出してようやく、テンは身動ぎをした。
「テン」
ヒガンが声を掛けると、テンはゆっくりとヒガンを振り仰いだ。その拍子に、テンの眼の前から何かが去っていったような気がした。白いものが視界を横切ったのだ。なんだろうと一瞬ヒガンはそれを追い、すぐに彼岸花だろうと思い直す。テンが座っていたほうは下流となっていて、流れていた彼岸花が通り過ぎ去っていったのだろう。
「こんなところで何してるんだ」
ヒガンはテンの顔を見返して言った。テンがにっこりと笑みを作る。
「ちょっとね。話してた」
「?」
「それに、迷っちゃったから。どうすれば戻れるのか、道標が小さくてわからなくなっちゃった。だから待ってたんだよ、ヒガンを。じっとしてたら迎えにきてくれるかなって思ったから」
「俺が迎えに来なかったらどうするつもりだったんだ。お前が急に復活しなくなって、こっちは大変だったんだぞ」
ヒガンは文句を言う。
「レオナルドがレイレイを連れてきてくれなかったら、どうなってたと思うんだ」
「え、二人が来たの?」
「ああ、わざわざ船までな」
「ええ、どうやって?」
「レオナルドが、ユニバース間を移動する道具を持っていたらしい。って、それは今はいいんだよ。復活してから本人に直接、思う存分聞いたらいい」
「その時には帰っちゃってそうだけどなあ」
「こういうことが起こるんだってわかってたなら、最初から言っとけ」
「忘れてた、ごめんね」
「それで済むと思うのか?」
「じゃあどうしたら許してくれるの?」
「まずは剣をしまって、さっさと立ち上がることが必要だな」
「ああ、そういえば剣がないなって思ってたんだ。落としてきちゃってたのか。ヒガンが拾ってくれてよかったよ。まあ、俺と一緒の死出の旅路になるだろうから、ヒガンしか後を通る人はいないんだけど」
「仮にもこれで食ってる奴が、剣を落としていくんじゃない」
「それは確かに~」
テンが笑い、剣を受け取った。ゆっくりと立ち上がる。彼の体から水が滴って零れ落ちた。水滴が彼岸花を叩いて音を立てる。
「じゃあ、帰ろうか。道はわかる?」
「なんとなくは」
「ここに来る時、火は焚いてくれた?」
「ああ。それでも復活しないから、わざわざここまでやってきたんだよ」
「ヒガンの持っているのは何?」
「道に落ちてた残り火だ」
「それがきっと道を教えてくれるよ。そうだよね?」
テンがヒガンの手の中に語りかけた。途端に炎が大きくなる。彼岸花の輝きを霞ませてしまうほどの強さで炎は輝く。
「これは命の火だから。命だったものを燃やして作る火が、鳳凰を導いてくれるんだよ」
テンは言い、ヒガンの手の中から炎を取り出した。両手で掬うように持ち、ふうっと息を吹きかける。火の粉が舞い、水に落ちて、煌々とそれぞれが燃え始めた。テンは手の中に残っていたものに口づけをする。そしてそのままそれを飲み込んだ。ふう、と息をつく。テンが指さした方向には、炎が列をなして道を作っている。この炎を辿っていけば元の世界に戻れるのだろう。
ヒガンとテンはごく当たり前のように手を繫いで炎の道案内に従って歩いていった。水をかき分け、彼岸花を跨ぎ越し、やがて川から上がる。足の下にしっかりとした地面を感じるようになった。
きらきらと水の雫を垂らしながら二人は斜面を登っていく。地面に埋め込まれた光は今や点々と落ちた炎に霞んでいて何も見えない。
長い長い死出の道をさかのぼっていく。上へ上へと進むにつれて、繫いだ手に伝わる温度が高くなっていく。ちらりと隣を見れば、テンの頬が上気して、命を感じさせる色をしていた。吹き下ろす風は冴え冴えと冷たく、しかしそれにヒガンとテンは怯えることはない。しっかりとした足取りで進んでいく。
道を登り切ると、眼の前に光の渦が現れた。ゲートによく似た渦だ。二人でちょうど抜けられるほどの大きさがある。ヒガンとテンは一緒にその渦に足を踏み入れた。
はっと気がついた時、視界には青い空が広がっていた。光を浴びて瞳孔が縮まり、耳が潮の音を捉える。つんと海の香りが鼻をつき、肌を温かな風が撫でていく。温かな熱が手のひらから伝わってくる。繫いだ手のほうを見れば、テンが笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
ヒガンは生き返ったのだ。
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