なるたる論 第二節

 私はあなたを愛している。この愛は当事者以外の誰にも代替できない言葉だろう。そして、普遍的だと信じられる言葉である。


 しかし、それは本当だろうか。もしも私がこの世に生まれていなかったら、もしもあなたと出会う前に死んでいたら、あなたは誰も愛さなかったのだろうか。


 それはあり得ない。私がたとえ存在しなくても、生命は続く。私とあなたの間でその愛は他の誰にも代替できない。だが生命を受け継ぐのは誰でもいい。男女が二人生き残ってさえいればいい。生命が続くにはそれだけで十分なのだ。


 古賀のり夫という少年が「なるたる」に登場する。彼の見た目は少女のようで、容姿も美しい。何も言われなければ、彼はただの美少女だろう。


 彼は一人の男に、鶴丸丈夫に恋をしているのだ。彼が恋する鶴丸丈夫は、さまざまな女と子供を作り、捨てるような男である。鶴丸はそう言う意味で誰一人、愛も恋もしていない。空虚に子を作り、空虚に子を捨てる。そう言う意味で彼には生命が見えていない。ただ、瞬間の快楽と飽きがその行動を支配している。


 のり夫は大きなコンプレックスを抱えている。自分が子供を産めいないことを彼は憎んでいるのだ。ここで先進的な多くの人たちが、のり夫の性自認は何かを問題視するだろう。そして同時に、彼の一人称は僕であるが、このことが性自認が男であることを意味するわけではないと、先進的な人たちは言うだろう。なぜなら先進的な人たちはすべての身体の問題を、個人的な精神の問題に変えようとしているからである。


 しかしどう足掻いても、身体は残存する。それを乗り越えようとしても、言葉でその場所を埋めても死は訪れ、誕生は到来する。私たちはそのような大きすぎる物語に何もできず立ちすくむしかないのだ。それは大きな龍を前にして、命乞いをするのに似ているだろう。


 のり夫は多分、女の身体を求めていたわけではない。そして、女の精神、女の自認を求めていたわけではない。彼の心を支配していたのは、生命の大きすぎる物語から流れ落ちたことへの不安であり、生命の中で身体の輪郭を持つことなのだろう。それは幾千もの死と生が積み重なった目的のない流れのなかで、初めて明確になるものであり、命の形なのだ。

 

 のり夫が求めていたのは、女と呼ばれるものではない。それはジェンダーでも、解剖学的な特徴でもない。交わって子を育み、痛みを持って出産し無限の愛を注ぐという母の輪郭、その確かさを彼は求め、それになろうとしたのだ


 しかしそれも現代においては、社会によって作られた幻想でしかないのかも知れない。だから私は自分の生を選択可能であり、選び取った生も再び選択可能である。もうそれしか私たちに残されていないのだ。

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