命に置いていかれる なるたる論

時川雪絵

なるたる論 第一節

 まずこの評論を始めるためには、漫画「なるたる」のラストシーンを確認しなければならない。

 

 主人公である玉依シイナは人類が死にたえた地球に、それを引き起こした少女と共に生き残る。シイナとその少女は妊娠していて、二人で女の子と男の子を出産する。物語はその二人が新しい世代を生み出すことを暗示して幕を下ろす。


 そのような再生の時に、描かれたシイナの眼差しはどこか空虚だ。彼女は海の向こうを見つめている。物語の序盤では、シイナは夏休みに里帰りして、海で泳ぎ、波と戯れていたのに、今はもう、その頃の思いを忘れてしまったらしい。

 

 シイナにとって、海は自分自身を包み込む、優しさのようなものだったのだろう。母と疎遠の彼女にとって、海はそのような母の愛を体験させてくれたはず。


 海は裏切らない。すべてを包み込み、すべての生命の根源として、そこにあるだけなのだ。


 「マレビト」という折口信夫が発見した概念がある。マレビトは二つの特性を持っている。一つは海の向こうや山の奥から到来するという点。もう一つは私たちにとって、マレビトは先祖である点。


 マレビトはただの旅行者ではない。先祖の記憶を背負い、境界の向こうから現れる。古代人が山の深い森に、途方もない海の彼方に向けたその気持ちは、郷愁でもあり、新しい生命の可能性への期待でもある。


 古代の閉鎖されたコミュニティーにおいて、旅行者は新しい生命の種子をばら撒くため生命的であり、マレビトとして先祖を、記憶を背負っているのだ。


 最後にシイナが海に向けた眼差しは、そのような新たな生命への愛情と死んでいった仲間たちへの郷愁を宿している。だから海と戯れていたあの頃にはなかった考えが彼女の心を掴んで離さない。もう生命は目の前に満ちていない。それは海の彼方で郷愁と同居して、もうその到来を待つことしか出来ないのだ。


 ラストシーンでは彼女たちから生まれた男の子と女の子が夜の海を前に口づけをしている。それは新たな生命の予感であり、未来の死の予告でもあるのだ。

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