第2話


 トロイはその日、王都の工房やアトリエを回っていた。事前通告を行わず、日を跨がず数日で終わらせることになっていた。交代制で捜査部隊を組み、何度も訪問は出来ないことなので、四部隊構成で王都を回り続けるが、必ずトロイかフェルディナントのどちらかが必ず部隊を指揮を執ることになっている。

 ヴェネツィアにおいて、竜騎兵団は守備隊として街の人々の信頼を得ているが、他国の人間への信頼などは何かあれば容易く覆ってしまう。止むを得ない捜査であり、公正であると、思わせなければならない。少しの失態も許されなかった。

 アトリエの場所は事前に確認しているため、捜査はスムーズに行われた。

 これには街を熟知しているネーリの助言があったので、小さいアトリエすら、取り零さずに捜査が出来た。

 早朝、トロイが部隊を率いて、昼頃フェルディナントに指揮を変わった。小休憩を挟んで夕方から再びトロイが指揮を執り、夕暮れの街中に捜査に出る。


 ある、アトリエだった。


 ヴェネツィアには様々なアトリエや工房があった。店や教会に隣接していたり、間借りをしているようなものも多い。帳簿などを、後日返却を約束して押収し、軽く調書を取る。

 誰に絵をよく依頼されるか、過去の購買者などについてだ。

 シャルタナの名は出さず、情報を集める。元々は警邏隊に賄賂を贈り、私兵団のように使っている有力貴族との繋がりを調べているので、貴族全般について話を聞いた。

 大概のアトリエではそうだが、フェルディナントは、ネーリの助言から、造船所付近のアトリエは特に細心の注意を払うようにと指示を出した。それで言えば、そのアトリエは極めて普通のアトリエだったと言える。特に入り組んだ場所にあるわけでもなく、建物の間借りでもなく、一階は画廊になっていて、奥と二階にアトリエがあった。絵の販売も行っていて、定期的にオークションなども行っているため、貴族も出入りしているという。

立派なアトリエで、所属している画家も大きく、とても陰謀などに関わっていなそうな感じだった。

 唯一当てはまるのが「造船所の側である」ということくらいである。

 殺人事件の捜査で、犯人がアトリエに出入りしている可能性があるというと、店の主人はアトリエ内を見せてくれた。夕暮れの明かりがさし込む中、二人の画家が絵を描いていた。どちらも若い。話を聞くと、プロではなく、プロの助手をしながら勉強しているらしい。

「このアトリエから何人かは、王宮に絵を飾るほどの画家が出ましたから。ヴェネト出身の若い画家を育てたいのです」

 にこやかに店の主人がそう言ったので、「学びの場まで用意するなど素晴らしいですね」とトロイは社交辞令を言っておいた。そうしながらも、細かく調べている部下達を見ながら、ここは違うとは思うけれど、造船所の側のアトリエだったため、トロイも少しも油断せず、部屋を見回していた。棚には、小瓶がずらりと揃っている。こういうものは今日たくさん見た。どのアトリエにもある光景だ。しかし貧しいアトリエもあるので、ここはやはり流行っているらしく、色とりどりの薬品やら素材やらが入った小瓶が揃っており、いかにも立派だ。

 ネーリがいたら、何かこれに感じたのだろうか、と思ったが、生憎トロイはそこまでのことが分からないのが残念である。だが、ネーリが「立派なアトリエの棚」に見える、と言っていたのを妙に思い出した。もしかしたら何かの勘が働いたのかもしれない。知り合いに画家がいるのだが、こういったものを調合して色を作ることを知らず、驚きました、などといかにも芸術の初心者を装って、時間稼ぎに話していると、部下が帳簿や顧客一覧表を持って来た。

「こちらは出入り業者の一覧、贔屓にして下さるお客様の一覧表です」

「ではこちらはお預かりします」

 ふと、出て行こうと画廊を通った時、飾ってある絵に何気なく目が入った。色んな絵が掛けられているけど、あまりトロイの目を引くものはなかった。

(やはり、ネーリ様は素晴らしい画家なのだ)

 ネーリならスケッチ一枚でも、芸術にあまり造詣の無い自分のような人間ですら、凄い絵だ、と思わせるものを描いて来る。彼の絵には巧いだけではなく、何かこちらの心に訴えかける、もしくは惹き付ける「意図」のようなものがあった。ここに飾られている絵はいかにも値が張りそうな感じだが、それでもその「意図」がトロイには全く分からなかった。美しい風景画、肖像画だが、それだけだ。美しいのが分かっても、感動まではしない。そういう感覚を、ネーリの絵を見るようになって理解してしまった。こんなものを高価な金を払って買っている奴の気が知れない、密かにそんな風に思った時だった。


「……。オークションに出入りする顧客の一覧表はありますか?」


「そういったものは……」

「では、オークションで実際買い上げられた物と、買い上げた顧客の情報はありますね?」

 主人の表情が曇ったのが分かった。

「……申し訳ありません、当方といたしましては……、恐れながら貴族様なども出入りしておられます故、我々の許から出た情報で、そちら様にご迷惑が掛かっては」

「公正なるオークションを催されてるのならば、何も気に悩まれることもないと思いますが」

 トロイは微笑む。

「それはそうなのですが、我々と致しましても……こういったことは……信用が第一ですので……」

「ご主人。これはアトリエの公正な運営を調べる監査ではないのです。殺人事件の捜査です。ヴェネツィアの街に徘徊する【仮面の男】の話を貴方もご存じのはず。彼が何人警邏隊を殺害したか、我々は妃殿下よりヴェネツィアの街の守護を命じられ、これまでにも捜査し、情報を集めて来ました。殺害された人数と、方法を、一覧表にしてお渡しいたしましょうか? そうすれば、一刻も早く王都ヴェネツィアに平穏をもたらしたいと願う我々のお気持ちが、貴方にもお分かりいただけるでしょう。

 ヴェネツィアにあるアトリエ、工房、例外なく帳簿や顧客情報は預からせていただいています。街中の本部ではなく、神聖ローマ帝国駐屯地に持ち帰り、きちんと保管して後日お返しいたしますよ。我が駐屯地には勇敢で聡明な竜が三十頭あまり揃っています。悪人が忍び込んで大切な資料を奪う気も、無くすと思いますがね」

「そ、そ、そういうわけではございませんが」

「オークション関係の資料はどちらに?」

「その……棚の引き出しに」

「どうも」

 トロイは部下に合図を送り、自分でも引き出しの中の資料をパラパラと捲って調べた。

 何か当てがあるというわけではなかったが、何か分かることがあれば、その程度である。

 いくつか、見覚えのある貴族の名はあった。だからといって彼らが黒ではないと思うが、やはりかなり貴族がオークションには絡んでいるらしい。シャルタナの名がないか、特にそれを気にしたが、この短時間では見つけられなそうだ。

「ではこちらは預からせていただいてもよろしいですか?」

「……店から持ち出さねばなりませんでしょうか? 出来れば、こちらで、見ていただければ」

「それならば持ち帰って見ても同じ事でしょう」

「は、はあ。そうでありますね」


 ――と、その時だった。


 シャルタナの名を探して顧客の名が書かれたページを読み飛ばしていたトロイの手が、あるところで止まった。

「……これはオークションの記録と仰った?」

「どれでしょうか?」

 店の主人が覗き込む。

「この資料です」

「オークションの開催日と、場所と、お買い上げになられた美術品に、お客様のお名前も。

高価なものなどは、代理買いをなさることや、本名を名乗られないこともございますが、別に怪しい取引では……」

「分かっています。竜騎兵団は神聖ローマ帝国では宮廷にも出入りを許された騎士たちです。宮廷画家が関わるような、高価な取引や、貴族の方々との付き合いもございます。常識は理解しておりますよ」

 トロイが安心させるような親し気な笑みを見せると、主人は明らかにほっとしたような顔を浮かべた。

「ではこの数冊の資料をお借りします。数日以内に必ずお返しいたしますので。ヴェネト王妃、セルピナ様に信任を受けている神聖ローマ帝国竜騎兵団を信頼していただき、感謝いたします」

 複雑な表情をまだしている店の主人を無視して、トロイは店を出た。

 こういう時に王妃の名を使わずいつ使うという感じである。王妃から信任を受けた守護職だと強調すれば、ヴェネトの民は文句はないだろう。せいぜい有効活用させてもらうべきだ。

「一度守備隊本部に戻る」

 まだこのあと、回る予定があったのだが、トロイはそう言った。部下はこのあとの予定はいいのか、などということは何も言わなかった。トロイが何かを掴んだ空気を、鋭く彼らも感じ取ったのだ。彼らは画廊を振り返った。窓から店の主人が、心配そうな表情で見ている。

 オークションの顧客の名前だと、彼は言った。トロイはその中に、見覚えのある名を見つけたのだ。シャルタナではない。

【ネーリ・バルネチア】

 その名前である。

 ネーリが高価なものを、オークションで競り落としたとは考えられなかったが、本人に聞けばすぐに真偽は分かる。もし、そんなのは知らないとネーリが言えば、この資料はでたらめか、何か別の意味があるのかもしれない。それも、ネーリに見せたら彼だけが気付く何かがあるかもしれないから、まずは本部にいるフェルディナントに資料の詳細を報告しようと思ったのだ。これがついに、大きな手掛かりになるかもしれない。トロイは期待していた。



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