第2話 ディート共和国

 ディート共和国は赤海しゃっかいに突き出したL字状の半島を中心にぺルラ島やベッコ島から成る国である。古くはハイフルール帝国の中心部として栄え、現在は美食と芸術の最先端として広く認知されている。

 美食の中心地が首都オッソだとすれば、芸術の中心地は旧市街の多く残る湾岸の都市サングエであろう。

 このサングエで1カ月前、一人の天才が見いだされた。名を『ステラ』。

 名の通り星のように現れた画家は今や時の人だ。ポスター会社も、商品のパッケージイラストも、新聞の風刺画も、こぞって『ステラの絵』を求めた。当たり前だが、一人に仕事が集中すれば二番手になる者も生活のために筆を折る者も現れる。

 ニコロはどちらを選ぶべきか、決めあぐねている。


『挑戦を続ける限り、人は負けない』


 大通りのショウウィンドウに飾られたポスターの文字が視界にちらつく。以前、ニコロのお得意様だった服飾店は流行を逃すまいとステラの絵を求めた。標語を彩る絵だけが変わったポスターはニコロの心を更に毛羽立たせる。

 1カ月前まで『天才』の呼び名をほしいままにしていたのはニコロだった。

 誰もがニコロを天才と呼び、麒麟児と賞賛していた。いまやニコロにもニコロの絵にも、注がれる眼差しは憐憫と嘲笑しか含まれない。天才であれかしと振舞っていたニコロの姿勢は、天才故に許される言動から井の中の蛙の滑稽さに様変わりした。


『本当はステラさんにお願いしたかったんだけどねぇ』

『君の絵じゃ流行遅れなんだ。せめてステラみたいな絵でお願いするよ』

『君、天才なんだろ? じゃあステラみたいにできるよね』


 自分の絵が求められない状況で絵を描き続けることは苦痛だった。

 だが、画家はつぶしがきかない。生活のためには描き続けるほかない。


「何か、買って帰るとしよう!」


 大通りはどこも冬越し祭ドルミーレ・オルソの準備で賑わっている。道端に立ち並ぶ木製小屋スピーガはオーナメントや電飾で鮮やかに飾り付けられており、ニコロは思わずポケットに手を入れた。手帳にスケッチを残そうと思った。

 手にごわついた現実が触れる。浮足立っていた気分が一気に沈み、手をコートのポケットに突っこんだまま俯く。止まりかけていた足を、雪の中を歩くような速度で動かし始める。


『挑戦を続ける限り、人は負けない』


 ショウウィンドウのポスターの文字がやたらと脳裏に浮かぶ。


(いつまでも、つま先立ちじゃ、いられんだろう)


 地にしっかり足を付けないと、人間は生きていけない。

 つま先立ちで手が届く範囲には限りがある。妻子を抱えた身で、いつまでも食えない仕事を続けていくことはできない。


(潮時だ)


 目に鮮やかな灯りを見上げながら息を吐く。

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