第3話 親の本質
そんな時代において、
「父親が生きてきた時代が、どんなものだったのか?」
というものであった。
もちろん、父親も、その父親、すなわち、
「おじいさん」
から育てられたわけで、
「その教育方針がどういうものだったのか?」
というのは、正直分かるわけはない。
しいていれば、
「青年期が、戦時中くらいだったのではないか?」
ということが想像つく。
ということは、
「軍隊に入隊して、派兵された経験を持っているのではないか?」
と考えられるのだった。
その頃の日本は、今とまったく違う時代であり、
「主権は天皇」
「国家に自由はほとんど存在せず。政府も挙国一致」
さらには、
「軍部が暴走する時代だった」
といえるだろう。
軍部の暴走というのは、そもそもが、
「天皇による統帥権」
というものがあり、憲法の条文に、
「天皇は、陸海軍を統帥す」
というものがあるのだった。
つまりは、
「陸海軍というのは、天皇直轄である」
ということであり、
「天皇の命令で動くもの」
ということであり、さらに、
「それ以外の、命令は一切聞かなくてもいい」
ということになるのだ。
だから、
「政府や、総理大臣と言えども、軍に口出しはできないし、また機密保護の観点から、軍の作戦を、政府やそれ以外に、漏らすことはできない」
ということになるのだ。
それが、
「大日本帝国」
というもので、この大日本帝国は、
「立憲君主国だ」
ということになるのだ。
だから、戦争において国民は、
「日本国は神の国であり、それが、天皇陛下になる」
ということであった。
死を前にした時、ほとんどの兵士は、
「天皇陛下万歳」
といって、命を断っていた。
しかも、
「武器を持たない一般市民」
ですら、追い詰められれば、
「玉砕」
という形で、
「何も持たず、敵の銃弾の前に立ちふさがる」
という、文字通りの、
「捨て身戦法」
であった。
これは、戦法などと呼ばれるものではない。
「戦陣訓」
と呼ばれたものを、
「戦時に対して、相手に追い詰められた時」
のことを訓示としている内容に、
「生きて両州の辱めを受けず」
ということで、
「捕虜になるくらいであれば、自ら命を断つ」
ということが、
「国民の戦時の心がけ」
ということで、軍から発令されたものだった。
というのは、
「確かに。捕虜になると何をされるか分からない」
ということで、特に敵国である、相手国に対して、
「鬼畜米英」
などと呼び、
「もし、捕虜などになれば、拷問を受けて、さらに、人体実験に使われたり、虐待の限りを尽くされて、最後には、ごみのように殺される」
ということを頭の中に植え付けられれば、
「いざという時には、自らで命を断つしかない」
ということになるだろう。
それが、
「大日本帝国。臣民の義務である」
というかのようなものであった。
確かに、あの時代は、
「世界のどこででも、戦争をしていたわけで、どこにも、逃げ場はない」
ということであった。
だったら、
「日本国民として潔く死に服す」
と考えるのが、当然であろう。
特に、
「親と同等か、それ以上の存在」
ということで、
「天皇陛下がおあせられる」
ということになるのだから、ある意味、
「あの時代とすれば、当たり前のことだったのではないだろうか?」
ともいえる。
確かに、今では、
「戦争というものを放棄した民主国家の日本」
ということなので、
「80年近くも戦争から遠ざかっている」
ということで、
「平和ボケした国民」
ということで、今の時代であれな、
「他の国から攻められれば、あっという間に占領されるかも知れない」
というほどになっているのかも知れない。
確かに、武器などはあるだろうが、実際の戦争になると、
「自衛隊で大丈夫だろうか?」
というのが頭をよぎる。
何といっても、戦後ここまで憲法が改正されたことがないわけなので、
「憲法下の下に、何とか存在している自衛隊」
というのが、いつも、問題になるということも分からなくもないといえるだろう。
そもそも、
「自衛隊というのは、予期していなかった戦後五年後に起こった、朝鮮戦争に対応するために、やむを得ず置かれた隊だった」
ということである。
その間に、
「安保闘争」
であったり、
「非核三原則」
の問題、
「ベトナム戦争」
や、それ以降に起こった戦争などで、絶えず問題になっているといえるだろう。
昭和においての、大変革といえば、やはり、
「大東亜戦争」
であろう。
それまでは、元々、幕府が開国してから、明治政府ができ、幕府が結んだ、
「不平等条約撤廃」
ということを目的として、
「富国強兵」
「殖産興業」
というものをスローガンとすることで、
「世界の大国」
への道を歩んできたが、
「国防」
という意味で、資源が乏しい、
あるいは、食糧問題などの大きな問題が巻き起こったことから、どうしても、
「戦争への道」
というのは、避けられなかった。
そもそも、
「明治の戦争」
というものだって、
「勝ち目のない戦争」
ということで、開戦論が、かなり別れていたということであるが、それも、
「外交面」
と、
「軍の士気」
などによって、何とか、
「理論上の勝利」
というものを納めることができた。
これも、
「偶然」
という言葉で言えるのかも知れないほど、危険な状態だったといってもいいわけで、本当であれば、
「大東亜戦争の時には、その日露戦争の勝利」
というものを教訓として、検証しなければいけなかったのだろう。
もちろん、何度も検証を行い、
「机上演習」
というものを重ねていくことで、作戦を立てたはずなのだ。
その結論として、
「最初に、相手に奇襲をかけ、相手の出鼻をくじいたことで、しょせんにおいて、連戦連勝を繰り返し、そして、最後には、ちょうどいいところで、講和に持ち込む」
ということである。
何といっても、日本の戦力で、
「相手国の首都や、主要都市を爆撃して、占領する」
などということができるわけはない。
中国に対してでさえ、なかなか攻め込めないではないか。
「当時の中国とアメリカの国力を考えれば、そんなことができるわけないことくらい、分かりそうなものだ」
ということである。
そして、実際に、
「陸軍による、マレー上陸作戦」
「海軍による、ハワイ真珠湾攻撃」
に成功した。
日本の目的は、インドネシアにある、有力な油田の占領であった。
ここに最重要な作戦としていたのだ。
「マレー上陸作戦」
「シンガポール占領」
そして、
「油田の確保」
というのはうまくいった。
「当初は、その油田から、だいぶの備蓄が生まれるはずの石油を日本に運んでいたのであったが、アメリカが、今度は、タンカーを集中的に攻撃し、石油が日本に届かなくなる」
ということになると、結局、
「日本は、本来の作戦であった」
講和条約を結ぶことに専念しなければいけなかったものができなくなったのだ。
一番の失敗としては、
「国内の声を反映できない」
ということではないだろうか。
というのは、
「日本が、当初、勝ちすぎた」
ということである。
その頃の大本営発表には間違いはなかっただろう。
「これ以上ない」
という形で勝利を収めているのだから、何を、
「発表をごまかす必要がある」
というのだろうか。
つまり、
「帝国海軍は、大勝利をおさめ」
ということが、事実である以上。国民は狂喜乱舞、そして、マスゴミも煽るというわけである。
しかも国民は、戦争前夜から、
「食料も配給制」
というくらいに、貧しい暮らしを強いられ、
「欲しがりません勝つまでは」
と言われていたのである、
実際に戦争になり、勝ち進んでいけば、
「普通の暮らしが送れる」
ということになるだろう。
そして、勝っている状態で、誰が、
「和平交渉」
などということで満足するというのだろう。
かつての、日露戦争で、
「戦争継続ができるだけの国力がない」
ということを知らない国民は、日本の事情として、
「賠償金を得られない」
ということでも、仕方がないいということを分かっていなかったので、
「講和条約に向かった外務大臣の家や、日比谷公会堂を焼き討ちにする」
という暴挙に出たのである。
その民衆の暴動で。一時、
「帝都は、治安の維持ができかねる」
という状態になったことで、
「大日本帝国初となる、戒厳令の発布」
ということになったのである。
この戒厳令というのは、今までの日本で、
「三回しかなかった」
一度目は、この時の、
「日比谷公会堂焼き討ち」
という、市民の暴動からの治安維持であり、次は、大正時代末期に起こった、
」関東大審査」
という
「自然災害」
からであった。
そして最後には、
「226事件」
という、
「軍事クーデター」
という名の、
「陸軍の一部将校による派閥争いに端を発した反乱」
というものだった。
それぞれに理由は違うが、
「戒厳司令官」
というものを中心に、
「治安維持が保たれた」
ということであった。
だが、結局、大東亜戦争では、当初の予定の、和平交渉というものができず、
「結局、破滅の一歩手前」
というところで、天皇の裁可によって、
「無条件降伏」
ということになったのだ。
「原爆投下」
が、一番の理由と言われているが、これは難しい解釈だ。
本当は、
「和平交渉を水面下で進めていた相手であるソ連」
が、不可侵条約を破り、満州に攻め込んできたことが、一番の原因であろう。
しかし、
「原爆投下が一番の原因」
と言えない事情が、日本にはあるのかも知れない。
というのは、
「アメリカが、原爆という、非人道的な兵器を使ったのは、戦争を早く終わらせて、アメリカ兵の犠牲をなるべく少なくしたい」
ということからだというのが、アメリカの主張である。
確かに、アメリカは日本本土に向かっていたが、それまでに失った犠牲もハンパではなかっただろう。
日本を攻撃すればするほど、
「玉砕戦法」
であったり、
「人間魚雷」
であったり、
「カミカゼ特攻隊」
と言われる、
「捨て身の攻撃」
を仕掛けてくるからであった。
アメリカとしては、
「無差別爆撃をしてでも。戦争を終わらせたい」
と思っていたのだから、それは当たり前のことかも知れない。
しかし原爆使用ということには、いろいろ言われている。
「何もそこまでする必要はなかったのではないか?」
ということで、
「その後の世界情勢として、東西冷戦が見えていたことで、ソ連を警戒する意味での使用」
ということ、
そして、
「その破壊力は、実験でだけでは測れない」
ということでの、
「人体実験説」
というのも、根深く残っているではないか?
だから、
「原爆使用は間違いだ」
という唯一の被爆国である日本からすれば、
「原爆投下が無条件降伏を受諾する一番の理由」
ということにしてしまえば、それは、
「戦争を早く終わらせたい」
というアメリカの主張である。
「欺瞞」
というものを受け入れることになるわけだ。
だから、本来であれば、日本は、
「原爆によって、日本は無条件降伏した」
という図式にしてはいけないのではないだろうか?
そんなことを口にするのであれば、それは、
「よほど歴史を知らない」
ということであり、外国の人間からすれば、
「非国民ではないか?」
と言われかねないだろう。
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