第10話

「おい、みんな。夏休みはバーベキューしたか? とりあえず今学期も楽しもう!」

唐突で意味不明な担任の挨拶とともに、二学期が始まった。受験まで残り数ヶ月。クラスの空気は、とにかく重苦しい。みんなが目の前の現実に向き合い始めているのが、静かな緊張感となって漂っていた。

そんな中、私は最近強い視線を感じる。クラスではまた信二と隣の席だし、周囲は私たちの事情を知っているから、何か気を遣われているのだろう。けれど、信二は変わらず自然体で接してくれる。本当にいい人すぎるくらいだ。彼には心から幸せになってほしいと思う。

「で、さ。お前らどうするの?」

休み時間、松田君と須賀君、そしてバトミントン部の山口君や山岳部の猪俣君たちが、ゾロゾロと私たちの席までやってきた。

「何が?」

瑠璃が問い返すと、須賀君が大袈裟なジェスチャーで「花火大会だよ! 今週末の!」と訴えかけてくる。

正直、須賀君ってこんなノリの人だったっけ? 夏休みで何かがあったのかもしれない。

「特に行く予定はないかな」

瑠璃が肩をすくめると、須賀君は驚いたように「ええ! 山見さんがそれは意外だなぁ」と声を上げる。そして、すかさず信二のほうを向いた。

「で、そちらは?」

「俺は野球部の連中と行くよ」

信二の答えに、なぜか松田君が大きくリアクションを取る。

「そーかそーか。お前には大切なベースボールファミリーがいるもんなぁ! わりい、暇だったら俺たちと回らないかって誘おうと思っていた」

「そうなんか、すまんな!」

信二が軽く笑いながら答えると、松田君たちは笑いながら去っていった。

「あ、そういえば今週末、石和の花火大会だったね」

遅ればせながら、私はそんなイベントがあることを思い出す。

「マジで? 千沙ってそういうとこ適当よね」

「ごめん、ごめん。忘れていた!」

瑠璃が呆れたように笑うと、少し考えたあとでこう言った。

「私は吹部の子たちと行こうかな、千沙はどうするの?」

ちらっと信二を見てしまう。信二はその視線に気づき、苦笑いを浮かべながら言った。

「おい、こっち見るなよ(笑)。千沙、せっかくだし光を誘えば? なかなかいい思い出になると思うぜ?」

瑠璃が私に向き直って大きく頷く。その姿を見ながら、私は心の中で「ありがとう」と何度も繰り返していた。本当に、信二っていい奴だな。





 その日の午後、部活ではもう一度、表現やイメージの認識合わせが行われた。瑞希が仕切りつつ、私が書記をする。特にパートごとに再度曲について調べてきたことを共有し、曲の理解を深める作業が続いた。

正直、西関東の前にやるべきことではないかもしれない。でも、私たちが一つ上のステップにいくためには、これが必要だと思った。特にあの演奏を聴いた後だと。だからこそ、妥協せずにやりたかった。

けれど、明らかに三年生を中心に、集中力のムラがあるように感じていた。それを察したのか、土橋は三年生だけで一度ミーティングをするように指示し、朱雀会館2階の和室で、皆で座って話をすることになった。

「みんな、正直たるんでいると思う」

瑞希が仕切りながら、その上で指摘をする。

「県大会の後、甲子園もあり、その上で今となっている。もちろん上に行けたことは悲願であり、演奏自体もよくなってきている。けど、さらに良くしようっていう想いというか、姿勢が感じにくい」

いつもなら、瑞希の言うことに皆が納得して従ってきた。しかし今日は、ちょっと違うような気がした。明らかに空気感が違う。

その言葉が重く響く中で、和室の空気がぴんと張り詰めたような感覚を覚えた。

「ちょっといい?」

一人の部員が手を挙げながら、発言する。

「もちろん、そういう空気感は感じていたし、瑞希たちが必死にその空気感を変えようとしてくれているのは分かる。けどさ、これ以上何がいるの?」

しんと静まり返った和室に、その言葉が鋭く響いた。しかし、案外その意見に納得している人も多いようで、頷いている部員がちらほら見受けられた。

「私たち、もちろん今まで努力してきたし、頑張ってもきた。けどさ。もう良くない? 瑞希とかは音大行くかもしれないけど、ここにいる大半は国公立とか、私立の受験を控えている。正直、練習も大切だけど、それ以上に受験勉強の方を大切にしたい。これからの人生が掛かっているもん」

そのあまりにも正しい正論が、私の胸に刺さった。言いたいことは分かる、でもその言葉を突きつけられたら、もう何も言えない。私は悩んだ。口を閉じたままで。

その瞬間、瑞希がすかさず反論した。

「なら、何で県大会の後に引退しなかったの? もちろん勉強が大切なことも分かるし、みんなが難しい大学に受験することも知っている。けどさ、今部活動で、そして県の代表として西関東大会に出場するなら、真剣に、そしてできるところまで最高の演奏を目指すのが普通じゃないの? 土橋先生が言っていた通り、記念で出場するのなら、それは他の学校にも失礼だと思う」

瑞希の言葉が鋭く、そして感情的に響く。正論だと思うけど、強すぎて和室の空気がさらに重くなった。正論と正論がぶつかり合う、その火花が目に見えるようだった。

すると、違う部員がポツリと呟いた。

「それは、瑞希が誰よりも部活に思い入れがあるからでしょ。みんながみんな、他校も含めて、そうじゃない」

その一言が、瑞希を打ちのめしたかのように見えた。瑞希はすぐに何かを言い返そうとしたが、結局言葉が出てこなかったのか、黙ったまま和室から出ていってしまった。

その背中を見て、何となく私は彼女を追いかけた。気づけば、足が自然に動いていた。





「瑞希、ちょっと待って」

南校舎の家庭科室の奥に、ちょっとした裏庭がある。瑞希はそちらの方に走り、しばらくすると立ち止まった。

「あはは、本当にごめん」

瑞希は顔を見せず、追いかけてきた私に謝罪をした。

「ううん。謝る必要はないと思う」

私はあえて瑞希の表情を見ず、その上で話を聞くことにした。

「いや、自分でもいけないと思いつつ、感情的になっていた。ただ、正直みんなの言っている通りだと思う」

瑞希はポツポツと語り出した。その声が少し震えているのが、私の心に刺さった。

「正直、みんながそこまで求めていないことも知っている。だからさ、県大会の後も、あえて自分に言い聞かせてきた。このままでいいって。でもさ、やっぱり、そうだよね。あのプロの演奏を聴いてしまうと、もっとやっぱり、みんなでよくできるんじゃないかなって思ってしまって。これエゴだよね」

 今の瑞希は、いつもの彼女とは違い、どこか子どもっぽく、それでもそれがとてもいやらしく感じない。むしろ、何かがすごく素直で、胸が締め付けられるような気がした。

「私さ、元々福岡の高校から推薦もらっていた。けどね、あの中学三年の西関東大会での負けが、かなりショックでね。周りの意見を正論で潰して、その上で引っ張っていたから。相手が傷つくと分かっていても、あくまでも上を目指すためって自分で言い聞かせて、正当化させていった。けどそれって、相手もそうだけど、思った以上に自分自身を追い込んでしまっていたように思う。そしてこういうことが二度とあって欲しくないとも。

だからこそ、もう高望みできそうでない、ちょっと落ち着いて、自分の練習に集中できそうな学校を選ぶことにした。妥協でき、自分の演奏に集中できる方が楽だもんね。他の人がどうであれ、自分だけがってね。そういうことを踏まえて選んだのが、この学校だった」

瑞希の言葉が静かに、でも確かな力を持って響く。彼女の過去が見え隠れして、心にじわりと沁みてきた。

「でも入学して驚いたのは、吹部に千沙がいたこと。中学の大会で、とても印象に残っていたから。だから、私の中の心がちょっと動いた。この子がいるのなら、上を狙えるかなって」

その言葉に、私もどこか胸が高鳴った。瑞希が私のことをそんなふうに思ってくれていたなんて、少し照れくさい気持ちもあったけれど、どこか誇らしさを感じた。

「正直私は不器用だからさ、どう千沙と距離を詰めていいのか分からなくて、だから強引にソロコンの伴奏者になってもらった。その練習、楽しかったな。ここまで真剣に取り組んで、意見を言い合えて、面白かった。意外に千沙って強引で意見を譲らないし」

瑞希が語るその時の情熱が、私にも確かに伝わってきた。あの時、私たちが一緒に練習したことが、こんなにも彼女にとって意味のあることだったのだと、改めて感じた。

「だからこそ、やはり段々と情熱が燃え出した。けど、2年生のコンクールの出来事とか、また千沙自身が落ち込んでしまった時期があったとか。私自身の力では何もすることができず、さらにやはり熱意を持ってやったら失敗すると知ってしまった」

その言葉に、瑞希の葛藤がにじみ出ている。熱意を持つことが必ずしも成功に繋がらないこと、そしてその現実に直面した彼女の苦しみが痛いほど伝わってきた。

「けどさ、そうは言っても、やはり諦められない。プロの演奏もそうだけど、あの甲子園で吹いた千沙のソロが印象的で、また私の情熱が燃え出した」

瑞希のその言葉が、私の中に新たな火を灯した。あの日、甲子園で吹いた私のソロが彼女を動かしたんだと思うと、何だか嬉しくて、胸が熱くなった。

「みんなの気持ちはわかっている。みんな大学受験がある。念願の上の大会に行けたのも分かる、けど、高校3年生って二度とない。このメンバーでできるのもこれで最後。だからこそ、やっぱり前を向いて頑張りたい。」

その決意を聞いたとき、私は何も言えなくなった。瑞希の思いが、私の心に深く刻まれた。どんなに辛くても、どんなに難しくても、最後まで全力で走り抜ける。それが私たちの青春だと、瑞希の言葉が教えてくれた。





俺はお祭りが好きだ。よく「キャンプの火を見ると落ち着く」なんていう奴がいるけど、俺は真逆。火を見ると、なぜか血が騒ぐタイプだ。だから必然的に、お祭りも好きになる。だって、あんなの火だらけじゃないか。提灯の明かり、屋台の鉄板から上がる炎、それだけでテンションが上がる。

しかしまあ、これほどの混雑だとは思わなかった。

石和温泉駅は人で溢れ返り、まるで波に飲まれそうな気分だ。千沙との集合時間にはまだ余裕がある。俺は駅の片隅でぼんやりと黄昏れていた。

 その時、ふと人混みの中に見覚えのある顔を見つけた。

(あれ……りんと田中雪じゃないか?)

二人は談笑しながら、お祭り会場の方へ進んでいく。まさか、りんの野郎が田中雪と? 驚いた。よくやるな、あいつ。だが、これをはじめが見たら……。うん、確実に発狂するな。

そんなことを考えていたら、後ろから妙に気色悪い声が聞こえた。

「だぁーれだぁ~」

振り返るまでもなく分かる。ゴツゴツした手が肩に乗る感触で確信した。

「……はじめ、お前面倒くさい」

「何よ~、私のこと待っていたんでしょ?」

仕方が無く振り向くと、案の定はじめがニヤニヤしている。さらにその後ろには信二や東さん、野球部の連中が揃っていた。

「はい、だりぃ」

俺が気だるそうに呟くと、なぜかはじめが嬉しそうに笑う。やっぱりこいつ、きもい。

「ほら、はじめ。もうやめとけって」

信二がため息混じりに制止する。

「え~、リア充をぶっ潰すのが人生の楽しみなのに~」

はじめがぶつぶつ言っていると、信二が一言で黙らせた。

「りんご飴、奢ってやる」

「え、嘘! 本当に?」

「うん。東が」

「俺かよ」

 信二は宥めながら、そこから引率の先生のように、野球部連中を会場へ連れて行った。その様子を見て、思わず笑いそうになる。信二って本当にいい奴だな。一家に一台欲しいとはこのことだ。

そんなことを考えていると、後ろから優しい声が聞こえた。

「待った?」

 振り返ると、そこには千沙が立っていた。





 夜が深まり、会場はますます熱気を帯びていた。浴衣姿の人々がひらひらと風に揺れる様子は、どこか風情があって素敵だ。だけど、俺も千沙も制服だ。部活終わりにそのまま直行したからだ。田中雪は家が甲府駅の近くだし、きっと着替えてから来たんだろうな。そんなことを考えていると、千沙が横で小さくつぶやいた。

「浴衣で来て欲しかった?」

 うーん、これ、答えに困るな。欲しかったと言えば、それもまたがっついていて気持ち悪い。逆に欲しくないと言えば、強がっているように思われて、馬鹿にされそうだ。女の子のこういう質問って、最高にうまい武器だと思う。だから、俺は正直に言った。

「うん。でも、それより、二人で来られたことが嬉しい」

 千沙は少し照れたように「そう」と言い、でもその表情に嫌な感じは全くなかった。安心して、思わず口元が緩んだ。

「それより、大気、何か私にちょうだいよ」

 突然の要求に驚いた。俺が首をかしげると、千沙はちょっと意地悪く笑った。

「唐突だな。食べ物がいい?」

「ううん。記念に残る物がいい」

 記念……あぁ、なるほどな。そんなことを思っていると、二人で射的の屋台にたどり着いた。

「へい、らっしゃい!」

 威勢の良い声が飛んできて、思わず笑いそうになる。寿司屋みたいだなと思っていると、周りには子どもたちが並んで、的を狙っては苦戦している。みんなが狙っているのは、あのゲーム機。あんなの倒せるわけがないだろうと思う。

 500円を払って、球と玩具の銃をもらう。球は5発か。

「千沙、何が欲しい?」

「んー、あのアヒル」

「アヒル?」

 一見、ただのアヒルの玩具のように見えるが、近くの看板に「アヒルを倒すと、スペシャルプレゼントもあるよ!」と書いてある。

あれか。俺は「おっけい」と言って、銃を構えた。

特にこういうものに詳しいわけではないけど、やっぱり負けたくはない。集中し、狙いを定める。

 第一射目。アヒルをかすめて外れる。

「はい~お兄ちゃんざんねーん。がんばれ!」

 屋台のお兄さんのうるさい声が耳に入る。ささやき戦術かよ。千沙は後ろで黙って見守っている。これはただの射的じゃない、何か特別な緊張感がある。

 気を取り直し、次の球を装填して構える。

だが、第一射で気づいたことがある。この銃は微妙にシュート気味に弾が変化する。これを理解すれば、きっと狙いを定めやすいはずだ。

 第二射目。アヒルの胴体に当たったが、アヒルはびくとも動かない。まさか、こんなに固いのか? 瞬時に屋台のお兄さんに目をやると、ニヤニヤしながら「ざんねーん」と言ってきた。こいつ、やりやがったな。

 その瞬間、アヒルに当たったことを見ていた千沙と周りの子どもたちから、落胆の声が漏れる。残りはあと3発。ここで負けたら、完全に面目が立たない。

男として、負けられない戦いがここにある。

俺は深呼吸をして、気持ちを引き締める。大丈夫、まだカウントに余裕はある。相手の意図を読み取って、狙いを定める。それだけだ。今まで学んだ野球の経験がここで活かされる。

 第三射目。アヒルの頭を狙い、弾を放つ。少しだけアヒルが揺れる。ああ、もう少しで落ちる。瞬間的に屋台のお兄さんを見ると、表情が変わった。こいつ、焦り出したな。

 その時、千沙と周りの子どもたち、通行人からも声援が上がる。

「頑張れ! 頑張れ!」

その声が、俺の背中を押す。俺はもう一度深呼吸をして、戦いに挑む。

 第四射目。アヒルが揺れたが、ギリギリ踏ん張り、落ちない。粘り強いアヒルだ。俺は思わずその強さに驚愕する。その時、屋台のお兄さんが口を開いた。

「今なら、狙う物を変えてもいいよ」

 正直迷った。もっと確実に狙える物も他にある。何もプレゼントできないより、確実の方がいいのではないか。そう一瞬迷うと、後ろから「頑張れ!」と千沙の声が背中を押す。周りの子どもたちや観客も一緒に応援してくれる。俺は気づいた。みんなの期待を背負って逃げようとしていた自分が、どれだけ愚かだったか。

「俺はもう逃げない」

 心に誓い、アヒルの対角線上に立つ。瞬時に狙いを決め、最後の弾を放った。

 第五射目。クロスファイヤーをアヒルに浴びせる。そこがおそらく一番響きそうだと思ったから。すると、結果は付いてくる。

「やった!」

アヒルが見事に倒れる。周りから歓声が上がり、千沙も笑顔を見せてくれた。俺は勝ったんだ。





「さっきの、恥ずかしかったね」

 千沙は隣で笑っている。俺はなんとなく、まだ中二病が根治できていないんじゃないかと思い、心配になった。

「けどさ、スペシャルプレゼント、微妙じゃない?」

「そうかな?」

 アヒルを倒した後、お兄さんは不機嫌そうに「この中から好きな物を一つ選びな」と言いながら、スペシャルプレゼントの箱を差し出してきた。

その中身は、明らかに子ども向けの玩具ばかりで、正直、ちょっとがっかりした。

「けど、本当にそれで良かったの?」

「うん!」

 千沙が選んだのは、ハート型のピンク色の指輪。宝石が薄いピンク色で、明らかに子どもっぽかったけど、千沙は嬉しそうにその指輪を手に取った。その笑顔が見られて、なんだかホッとした。彼女が喜んでくれたならそれでいいやと思う。

 その後、俺たちは食べ物を買って花火会場に向かった。会場の土手にはたくさんの人々が集まり、賑やかなざわめきが響いていた。でも、俺たちは元々場所を予約していたから、場所取りの心配もなく、時間が来るまで静かに話していた。

「もうすぐだね」

「うん」

 周りの喧騒が耳に入っていたが、俺は目の前の千沙に夢中だった。それだからだろうか、今更、違和感に気が付く。

「あれ? 今日何か泣いた?」

 千沙は驚いた様子で、手で目を隠した。

「え、え、何でいきなり?」

 その様子から、きっと何かあったのか、すぐに察しがついた。そのまま黙って見守っていると、千沙自身も観念したようで、ゆっくり最近あったことを話してくれた。

 俺はそれを聞きながら、千沙が苦しんでいることに気が付けなかった自分に腹が立ちつつも、今は千沙のために何かをしたい。その一心で話を聞くことにした。





 今日の部活動には、3年生の数人が来なかった。理由は塾だと言っていたが、おそらくあの日の出来事が原因だろうと、誰もが察していた。

3年生の微妙な気まずさは、そのまま1年生や2年生にも伝わり、部全体に重苦しい空気を漂わせていた。

ただ、良いこともあった。瑞希の意見に賛同する人も少なくなく、瑠璃をはじめ、何人かは積極的に動き、部の雰囲気を変えようと行動してくれた。それでも、全体としては不安が残る。このまま何人か欠けた状態で西関東大会に出るなんて、絶対に嫌だ。そんな強い思いが胸に渦巻いていた。

正直この時どうすればいいか、とても悩んだ。だからこそ大気にも相談したかったが、大気すら、いつ記憶が消えてしまうのか分からない状況。よって大気と触れ合う時間は、楽しいように過ごしたい。今日の部活もあまりにも悲しさで泣いてしまったが、それを隠して、お祭りを楽しもうと考えていた。

しかし、やはり大気は大気だ。そのことに気が付いて、すぐに寄り添ってくれる。そのことが何よりも嬉しかった。

「俺が思うには、まだ可能性あると思う」

その一言に、私は驚きつつも、つい耳を傾けた。

「正直さ、俺だってよくぶつかることあるぜ。昨日なんて、矢木と大喧嘩したばっかり(笑)。あいつさ、いやいや投手やっているから、ずっと拗ねているんだよ。でもさ、東さんも引退したし、そろそろ本気でやろうぜって声かけたんだ」

大気は真剣だが、どこか楽しげに語り出した。

「そしたら、案の定キレてさ。『お前に俺の気持ちが分かるか』って。まあ、それも一理あってさ。矢木はもともと守備が好きで、外野手の方が得意だったんだよ。でも、チーム事情で無理やりポジション変えられて、しょうがないから受け入れた。それで頑張ろうと思っていた矢先、転校生の俺がピッチャーとして来てさ。そいつに活躍の場を奪われる形になったんだ」

大気は少し笑いながら話を続ける。

「もちろん、今年の夏は死んだ大気、つまり俺のために必死だったから、何も思わなかったらしい。でも、その役目が終わった今、ふと考えちゃうんだろうな。『俺はなんで投手やっているんだろう』って。で、そんな矢木に転校生の俺が『しっかりやろうぜ』とか言ったら、そりゃキレるよな」

そう言って、大気は「分かる、分かる」とうなずきながら笑っていた。その姿が、どこか力を抜いてくれるようだった。

「それでどうなったの?」

私は少し不安を抱えながら恐る恐る聞いてみた。

「え? そこからは簡単だよ。一緒に監督のところ行って、三人で話し合った。最初は矢木、一人で行くのを嫌がっていたけどさ、俺が『一緒に行こう』って言ったら、しぶしぶ同意してさ」

大気は軽く肩をすくめながら続ける。

「そしたら、監督も矢木の悩みに全然気づいてなかったって謝ってさ。で、これからの方向性を一緒に考えたんだ。矢木本人がどう思っているかは知らないけど、正直あいつ、めちゃくちゃいい球持っているんだよな。それで、今後は投手と外野手の二刀流でやることになったんだ。冬のトレーニングで両方磨く感じ。もちろん一年生のピッチャーも育ってきているけど、まだまだ経験不足だからさ。矢木には予備の投手をしつつ、本来好きだった外野手の道も探ってもらおうって話になったわけ」

大気の話を聞きながら、「そういうものか」とぼんやり思う私。そのぽかんとした表情を見たのか、大気はクスッと笑いながら補足した。

「だからさ、千沙たちだって大丈夫だって。本音で話すことで、道が開けることもある。要は、前に進む勇気だよ。それだけでいいんじゃない?」

その言葉に、私は小さくうなずいた。前に進む勇気。それがきっと、今の私たちに一番必要なことなんだと感じた。





夜空に大きな音が響き渡り、花火が咲いた。大気はその音に反応して顔を上げ、夜空を見つめた。色とりどりの光が空一面に広がり、儚く消えていく。その横顔を見ていると、胸の奥がじんと熱くなる。

大気がこうして隣にいてくれること、それが何より嬉しかった。どんな時も寄り添い、支えになってくれる。本当に、かけがえのない存在だ。

でも、どうしても気になってしまう。あの日記に書かれていたこと。おそらく、大気が記憶を失うことは避けられないんだろう。

あの後、私はいろいろ調べた。同じような事例はあるけれど、どれも最後にはその「前世の記憶」を失ってしまっている。だから、いつかは大気もいなくなるのだと覚悟している。

だからこそ、今を大切にしたい。青春だってきっと同じだ。何かを得るためには何かを犠牲にする。それに気づかないまま、私たちは夢中で走り続けているんだ。

私は吹奏楽部に全力を注いでいるし、大気は野球に没頭している。そのことで他にできるはずだったことを諦めているかもしれない。でも、それを後悔したくない。この選択が間違っていたとは、絶対に思いたくない。

瑞希の意見に賛成することだって、誰かの反発を招くかもしれない。でも、それで得られるものもきっとあるはずだ。だから、私は迷わず前に進みたい。やらずに後悔するより、やって後悔したいと思うから。

「花火、綺麗だね」

 あとどれくらい、一緒にいられるか分からない大気。だからこそ、ここも勇気を持って、思いっきり楽しみたい。

私は大気が振り向く瞬間、した。

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