第2話
「で、これでこうなります。以上で授業は終わりです。挨拶は結構です」
数学の先生の淡々とした声がチャイムとともに響き、黒板には最後の公式が残ったまま、生徒たちは一斉に教科書を閉じる。
授業が終わり、ようやく昼休み。けれど今日はのんびり昼休みを楽しむ余裕なんてない。6月に入り、学園祭の準備が本格化してきたからだ。
私たちの学校の学園祭『朱雀祭』は2日間にわたる一大イベント。1日目は県民ホールでクラスや部活の出し物を披露し、2日目は校内で模擬店や展示が行われる。今年もそれらに向け、縦割りチームでの準備が忙しく、学年を超えた後輩たちとの連携がカギとなる。
「よし、クラス委員は揃ったな! みんなで行くぞ~!」
クラス委員長、松田君の元気な声が響き、彼を先頭に、バレー部の長谷さん、剣道部の須賀君、信二、そして私、計五人が後輩クラスの教室がある南校舎へ向かう。
「相変わらず元気だよな、松田は」
信二が横でぼそりと呟く。確かに彼の明るさはちょっと異常……いや、元気すぎるかもしれない。でも、ムードメーカーがいると助かるし、クラス全体がまとまるからありがたい。そんなことを考えていると、前から一人の生徒が歩いてきた。背が高く、目を引く存在感。
「あれ? 工藤じゃん。どうしたの? 北館に用事?」
信二が自然と声をかけると、その生徒が微笑みながら答えた。
「三浦先輩、お疲れ様です。ちょっと職員室に用があって」
近くで見ると、端正な顔立ちが際立つ。間違いなくイケメンだ。バレー部の長谷さんが小声で「結構イケメンじゃない?」と耳打ちしてきた。私は迷わず頷く。
工藤君がふと顔をこちらに向け、視線が一瞬交わる。微かに見せたその笑顔が、どこか大人びている。
「そうなんだ。じゃあ、何か頑張れよ」
「何をですか(笑)。了解です」
工藤君は少し笑って職員室に向かっていった。その後ろ姿を、長谷さんは視線で追い続け、しばらく立ち止まっていた。これ、完全に惚れたな。
「いい後輩君だね。あんな子、野球部にいたっけ?」
「おう、すげえいい奴だよ。工藤光。転校生で親の仕事の都合で越してきたんだ。でも、すぐにチームにも馴染んで、ピッチングも悪くないし、高野連のルール上、公式戦にも出られるから助かる」
信二がちょっと誇らしげに話すその言葉から、工藤君が野球部でも評価されていることが伝わる。なるほど、転校生だったんだ。
「投手が増えてよかった~」
信二はそう言いながら、足早に松田君たちの後ろを追いかけていった。
「ナイスボール!」
外角低めにズバッと決まったストレート。信二は軽快な声を響かせながら、ミットから取り出したボールを軽やかにピッチャーの東仁へ返す。心の中では密かに感嘆していた。いい球だ。調子が良さそうだな、と。
「一旦このくらいでいいや」
東がグラブを外しながらそう言うと、信二も頷き、2人は並んでブルペンからグラウンドの方へ向かって歩き出した。
「東、今日はボールキレッキレじゃん」
「今日はって何だよ(笑)。まあ、そうだな。調子は悪くない」
東仁。第二甲府高校野球部のエースは独特のフォームが特徴だ。左腕のサブマリン投法。見る者を驚かせるその投げ方は、打者にとっても厄介で、制球も安定している。
だが、そんな彼も昨年までは控え投手だった。なぜなら、チームの絶対的エース、大気がいたからだ。正直、大気が入学した頃は東には追いつけていなかった。だが、すぐに対応し、エースの座をもぎ取った。
しかしその大気が突然亡くなり、今は東がエースナンバーを背負い、チームを引っ張っている。責任を一身に担うプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、彼はそれを明るい性格で覆い隠していた。
「このピッチングの調子で大会までいけるといいけどな」
「おい、簡単に言うなって(笑)。けどまあ、なんか忙しいよな、最近。大会の準備に、学園祭の準備、そして受験勉強まで……高校生って本当、休まる暇がないよな」
「それは確かに」
信二は笑いながら答えた。確かに高校生ってやることが多い。それなのにたった3年間しか時間が無い。今は人生100年時代とか言うのだから、正直10年くらい、高校生をゆっくりやりたい。
そんなやりとりを交わしているうちに、東がふと足を止め、何かを見つめていることに気づいた。
「どうした?」
「いや……工藤って、本当にすごいなと思って」
東の視線の先には、グラウンドの隅でキャッチボールをしている工藤光の姿があった。
「5月に転校してきたばかりなのにさ。もうチームに完全に馴染んでいる。しかも練習メニューだってきっちりこなしているし」
東の言葉に信二も頷いた。工藤光。5月に転校してきたばかりの2年生だ。短い期間でチームに溶け込み、その投球はすでに貫禄もある。加えて彼の人柄も大きな要因だろう。常に爽やかな笑顔を絶やさず、誰に対しても誠実に接する姿は、上級生である信二たちにも好感を持たれていた。
「確かに。俺も最初はどうなるか心配だったけど、完璧だな。こんな短期間でここまでやれるなんて、ちょっと驚きだよ」
「だろ? でもさ……」
東は何か言いかけて、言葉を濁す。その顔はいつもの明るい表情とは違い、どこか曇っている。
「なんだよ。気になることでもあるのか?」
信二が問いかけると、東はしばらく沈黙し、それから小さな声でこう言った。
「……なんか、工藤の笑顔、時々嘘っぽく見える時があるんだよな」
その一言に、信二は少し驚いた。工藤の笑顔はどこからどう見ても完璧だ。偽りのようには見えない。それを「嘘っぽい」と感じる東の直感に、信二は戸惑いつつ、しかし自分自身にも自覚があった。
「嘘っぽいって……具体的には?」
「うーん、なんて言うか……違和感ってやつかな。うまく言えないけど、何か隠している感じがするんだよ」
信二は黙った。彼は転校生でありながら、野球部の中核にすぐ溶け込み、練習でも文句のつけようがないほどに努力している。しかし、あまりにも完璧過ぎて、逆に変であった。異常と言っていいくらいだろう。
東の言葉が頭の中に引っかかりながらも、信二は軽く肩を叩いて言った。
「まあ、気にしすぎじゃないか? とりあえず、今は目の前の大会と学園祭に集中だ」
東は何も言わずに頷いたが、まだ納得しきれていない様子だった。信二も内心、それを感じ取っていた。
グラウンドでは、夕陽が工藤の背中を赤く染めている。遠くで笑い声が聞こえ、平和な日常が続いているように見えるが、その背後にある何かを感じているのは、東だけではないのかもしれない。
信二は一瞬だけ工藤の背中に目を向け、そして深く息をついて気持ちを切り替えた。
「さあ、戻るぞ。紅白戦だ」
学園祭1週間前、学校全体が忙しさに包まれていた。
今年の3年1組、2年1組、1年1組、通称『ザ・1くみーず』は、これまでにない戦略で優勝を目指すことを決めた。その戦略とは、徹底したブランド戦略だ。学年ごとにコンセプトを分け、ホラーで丸ごと一色にして攻めることにしたのだ。
1年生の出店は和風のお化け屋敷、2年生は『スリラー』のダンス、そして3年生の出店は洋風のお化け屋敷という具合に、テーマは「ホラー」一本。
反対意見も多かったが、松田君が一声「俺を信じろ!」と叫び、須賀君が「僕の尊敬するエキサイティングハイパークリエイターの西さんの本によると……」と熱弁を振るった。
担任の先生も、最初は反対するかと思ったが、意外にもホラー映画を持参してきたことから、実は彼もホラー映画好きだったことが判明。そのおかげで、もう誰も反対する気すら起きなかった。
その準備に追われる日々の中で、放課後の時間がどんどん潰れていった。個人練習の時間も削られたため、朝、始発で自主練習をすることにした。
早朝の甲府駅は、何度訪れても心地よい。少し暑さを感じるが、空は清々しく、どこか特別な気分になる。
甲府駅南口のエスカレーターを降りると、ひんやりとした朝の空気が肌に触れた。信玄公の像が静かに街を見守る中、その傍らにある駐輪場へと足を向ける。
薄明の静けさに包まれながら、自転車のロックを外す。そのわずかな金属音さえ、街の眠りを邪魔してしまいそうなほど静かだった。
ペダルを踏み出すと、少しずつ目覚め始める街並みが流れていく。車はまばらで、歩行者の姿もほとんどない。道路も、空も、まるで自分だけのために用意された特別な舞台のようだった。
甲府駅から西へ向かい、気象台東の交差点を左に曲がると、目の前にアルプス通りが広がる。整然とした直線の先に見える橋。私は気持ちの整理ができたと思っている。しかし、こうして新荒川橋を渡ろうとすると、どうしても大気のことを思い出す。それは事故という意味でもあり、出会った場所という良い意味でもある。
大気は、入学前から既に有名な存在だった。山梨東南東シニアでその名を轟かせ、県外の有名校からもスカウトが殺到。
しかし、彼はすべてのスカウトを断り、第二甲府高校へ進学した。その理由は、信二と一緒に甲子園を目指すことを決めていたからだという。「公立校で競合を倒す方が面白い」とのことだが、どうやら、筋肉バカが主人公である、とある野球漫画に影響されていたらしい。
その自信が実を結び、夏の大会ではすぐにレギュラー入りし、県大会の決勝まで進出。私が1年生の時は20年ぶりのベスト8進出でも盛り上がったが、大気たちは甲子園まであと一歩まで行ってしまった。その成功の裏には、大気と信二の名バッテリーに加え、3年生の打線の噛み合いがあった。
ちなみに、私自身、その活躍を間近で見ていた。吹奏楽部で応援歌を担当していたからだ。特に大気の応援歌『必殺仕事人』では、トランペットのソロ部分を吹いていた。正直なところ、井上先輩が吹くのを疲れたと嫌がっていたため、代わりに私がその役を引き受けたのだ。
しかし、演奏しているうちに、疲れが溜まっていく感覚はあったものの、なぜかそれ以上に楽しいという気持ちが湧き上がってきた。それが不思議なことに、今でも鮮明に記憶に残っている。だから、野球応援には楽しい思い出がたくさんあるのだと思う。
しかし、その夏には苦しい思い出もある。2年生の夏のコンクールで、西関東大会に進めなかったことが大きな挫折だった。難度の高いグレード6の曲を演奏し、「二高は絶対上に行く」と観客も納得していた。
でも、結果は予想外。表彰式の瞬間、会場がざわついたのを今でも鮮明に覚えている。その悔しさは消えず、あの裏切られたような手応えを今でも思い出す。
音楽の世界は、審査員の好みや傾向でも大きく変わる。最近では、難しい曲よりも、どれだけ丁寧に簡単な曲を演奏する方が、好印象を持たれる。多少その影響もあるかもしれないが、そもそも難易度が高くても、完璧を目指さないといけない。その悔しさが、私を次に進ませた。
冬のアンサンブルコンテストでは絶対にリベンジしようと決め、始発で練習に通うことにした。周りからは「千沙、何か焦っている?」と笑われたけれど、瑞希と瑠璃が応援してくれたため、私はただ突き進んだ。もう残りは一年半しかない。あの瞬間を悔やみたくなかったから、時間を無駄にはできなかった。
そんな10月のある日。季節外れの台風が山梨を直撃し、暴風雨となった。
親には止められたが、もう甲府駅に着いてしまったし、私はカッパを着て学校に向かった。
暴風の中、頭の中には「どうやって上手く吹けるか」それだけがあった。しかし、新荒川橋を渡ると、風がさらに強くなり、自転車が進まなくなった。その時、初めてラインのバイブレーションに気づく。見てみると、学校から休校の通知だった。
「今さらかよ」とイラっと思った。そして、練習できないなら帰ろうと思い、方向転換しようとした。その時だった。同じようにカッパを着た人物が後ろから近づいてくることに気が付いた。
「あの、すみません」
暴風の中でも、その声がはっきりと耳に入った。
「あ、はい」
「今日、学校休みだって聞いたんですが、何しているんですか?」
「いや、練習に来ただけですけど」
その言葉から、相手が同じ学校の生徒だとすぐに分かった。
「え、今日練習していいんですか?」
「いや、きっとダメだと思いますけど」
「じゃあ、何で来たんですか?」
「休校の連絡前に来ただけです」
「それって、めちゃくちゃバカですね」
少しイラっとした私は、思わず反論してしまった。
「何ですか? あなたこそ何で来たの?」
「……。休校の連絡前に来ただけですけど」
その瞬間、二人とも吹き出してしまった。
せっかく学校の近くまで来たので、二人で学校へ向かい、正面玄関で雨宿りをした。そこで初めて、相手が輿水大気だと気づいた。それから毎朝、大気と顔を合わせるようになった。
私が早く学校に着いて練習していると、大気は悔しそうにしていた。逆に、大気が先に来ると、「遅いっすね」とからかいながら敷地内をランニングしていった。そのやり取りが楽しくて、少しずつ距離が縮まった。そして一か月後、大気が突然言った。
「先輩に会うのが、今一番の楽しみです。これからもずっと、会い続けていいですか?」
その不器用な告白に、私は少し驚きながらも、心の中で温かいものを感じた。
しかし、今は違う。
私は信号の点滅に気づく。意識が少し遠くに向かっていたことを感じる。千沙はもう橋を渡り、駄菓子屋の前を通り、校門に向かっている。まだ朝早い校内には用務員さんしかおらず、静まり返った校舎が佇んでいる。その空虚さが、どこか寂しさを感じさせる。
「あの場所には、大気はもういない」
学校のスターがいなくなった事実は、校舎にまで寂しさを刻み込んでいるように思える。
私は朱雀会館の鍵を開け、譜面台を運びながら、ふと思う。私は心の整理ができたと思っていたけれど、どこかに大気の影が残っている気がして、それを探しているのかもしれない。そしてまた、そんな時だった。
「おはようございます!」
突然の声に、驚いて振り返ると、そこにはユニフォーム姿の野球部の子が立っていた。忘れるはずがない。信二の後輩、工藤光だ。
「お、おはよう。早いのね」
驚きながらも、千沙はなんとか平静を保とうとした。けれど、びっくりした。まさか、こんな朝に会うなんて。
「まあ、ルーティンですので」
工藤は、前会った時のように、さわやかな笑顔を浮かべている。しかし、その笑顔が、なんだか少しモヤっとしたものに感じられるのは、きっと気のせいだろう。
「そうなんだ、頑張ってね!」
千沙は思わず早口で言ってしまった。何か、この場を早く切り上げたくてたまらなかった。しかし、その瞬間、工藤の表情がほんの一瞬だけ、寂しそうに見えた。それが、視線を外した瞬間にはもう元通りの笑顔に戻っている。気のせいだろうか? 心の中に小さな違和感が残る。
「先輩もペットの練習、頑張ってください!」
その一言が、まるで意図的に軽やかに響いた。そして工藤はすぐに足取りを戻し、走り去っていった。
千沙はその背中を見送りながら、心の中で疑問が膨らむ。
「どうして、私がペットを吹いていることを知っているのだろう?」
その疑問が、じわじわと不安として心に広がる。まるで何かを知っているかのようなその言葉。千沙はふと立ち尽くす。まさか、ただの偶然だろうか? でも、どうしてだろう。そんな小さな疑問が、今は大きな波のように心を揺さぶる。
そして楽器を部室から運び出し、最初の音出しで、何となくあの応援歌のソロを吹いてみた。
「こちらは洋風お化け屋敷ですよ~! 皆様いかがですか~?」
学園祭は順調に進んでいたが、午前中の『ザ・1くみーず』は、かなりやばかった。
問題は、校内にお化け屋敷が二つもあったこと。そもそもお化け屋敷なんて、そこまで需要が高くない。その結果、縦割り同士で客を奪い合う事態が発生してしまった。
マーケティング用語で言うところの『カニバリゼーション』。須賀君の立てた戦略は失敗し、普段ポジティブな松田君でさえ「ジーザス!」と肩を落とす始末。
でも、そんな窮地を救ったのは、頼れる我らの信二のアイデア。「お客様にお化け役を体験してもらう」という発想が大ヒットして、結果的にV字回復! 今では何とか順調に進んでいる。
だが、問題はここからだった。
「お疲れ様! 橘さん、休憩してきていいよ」とクラスメイトの伊藤君に言われ、ぽっかりと時間が空いてしまった。瑠璃も、違うクラスの瑞希も忙しそうだし、さてどうしよう……。
ふと思いついた。せっかくだから、パートの後輩たちのお店を覗いてみるのもいいかも。
学園祭で賑わう校舎を横目に、私は南校舎へと足を向けていた。華やかな装飾が施された廊下には、笑い声や楽しげな会話が響き渡り、まるで校舎そのものが元気を発しているかのようだった。そして、ふと目に留まったのは2年2組の「占いの館」だった。
占いか…。ちょっと気になる。好奇心が湧いてきて、足を速める。
「あー! 千沙先輩、来てくれたんですね~!」
「もちろん。約束だもん」
田中雪が、嬉しそうに私の手を引いて館の中へと案内してくれる。雪ちゃんは、トランペットパートの後輩で、瑠璃とはまた違ったタイプの明るさを持っている。彼女は本当に裏表がなく、何をするにも全力で、感情がそのまま顔に出るタイプ。小柄で可愛らしい外見に、誰とでもすぐに打ち解ける性格で、周りの人にすごく好かれている。まさに天真爛漫という言葉がぴったりな子だ。
私はこういう彼女が欲しいなと思いつつ、雪ちゃんに引きずられるようにして館の中へ進んだ。彼女と一緒だと、なんだか自然と気持ちが和んで、つい笑顔がこぼれてしまう。
「お! 雪、お客さん連れてきたのか。さすがだな!」
雪を見た二人の男子と、勢いよくハイタッチを交わす。
「あ、先輩。この二人はりん君と、はじめ君です。二人とも野球部なんですよ!」
「ちーっす。はじめまして!」
りん君と、はじめ君が揃って坊主頭を下げる。その姿がなんだか、少し照れくさくて、つい笑ってしまった。
「ありがとう(笑)。私は……、」
「いや、キャプテンの彼女さんですよね? 知っています。やはり、かわいいっすね!」
りん君がからかうように言うと、また笑いがこみ上げた。
「もう! 私の先輩になんてこと言うの!」
「ほんとそれ。りん、調子乗りすぎだぞ」
「うむうむ、自覚はあります(笑)」
なんだろう、この三人。絶妙に噛み合っていないのに、やけに楽しい。うん、いい。すごく青春っぽい。このノリ、嫌いじゃない。
「でー、さあさあ、かわいい、かわいい後輩たちよ、誰が私を占ってくれるのかな?」
「あー、そうっすね。はじめ、誰がいい?」
「光にやらせようぜ。おい、光!」
その声に反応して、視線を向けると、あの後輩、工藤光がそこにいた。
「え、俺?」
「お前、意外に女性とのコミュニケーション苦手だろ? これから占い役のシフトだし、先輩で練習しとけよ」
「ちょっと待てーーー! 私の先輩をなんだと思っていんの!!!!!」
「ううん、いいよ、雪ちゃん。ありがとう。せっかくだし、イケメン君にやってもらおうかしら」
「おい光、先輩かわいいけど、三浦先輩の彼女だからな。手出すなよ(笑)」
「ちょっと!!」
雪ちゃんがりん君とはじめ君を軽く叩きながら、三人で笑い合い、そのまま去っていく。その後ろ姿を見送っていると、なんだか自分が歳をとったような気がして、ちょっと切なくなった。でも、そんなことを思いながらも、私は工藤光の前に座った。
「こういう機会で話すのは初めてだね。工藤君って呼んでいいかな?」
ちょっとだけ勇気を出して話しかけてみる。あれ、なんだろう。返ってきた反応は、予想以上に微妙だった。
「ええ、まあ……」
工藤君が視線を外しながら、短く答える。その視線の避け方、あまりにも冷たく感じて、心の中に引っかかりが残る。以前、朝に偶然会った時には、あんなに爽やかな作り笑いを見せてくれたのに。あの時とは何かが違う。やっぱり、あの会話の切り方でまだ気にしているのかな? なんとなく、彼が抱えている感情が、わからなくて怖くなる。
「で、さあ、何の占いをしてくれるの?」
それでも、どうにか会話を続けようと、私は問いかけてみる。工藤君はしばらく黙り込む。微妙な沈黙が長く感じられて、その間に心臓がますます速くなる。何か悪いこと言っちゃったのかな、と考えていると、急に彼の表情が変わった。顔を上げた工藤君が、まるで何かを決意したかのように、勢いよく声を張る。
「よし!」
その姿に、ちょっと驚いてしまう。あまりにも唐突で、そんな風に必死に振舞う工藤君を見て、なぜかとても可愛く感じてしまう自分がいる。
「このアプリ占い、おすすめですよ」
「え、アプリ占いもあるの? しかも有名なやつじゃん。これで占いの館なのね……」
「すみません、不慣れなもので」
「ううん、不慣れというか、ツッコミどころは他にもあるけど。まあ、別にいいのよ。じゃあまずは生年月日を記入だね」
「そうですね、先輩は1999年生まれですよね?」
「あら、よくご存じで」
「いや、年齢が一つしか違わないので」
「なるほどね~。じゃあ誕生月は分かるかな?」
「4月ですよね。そして16日生まれ」
「え? なんで分かるの? ちょっと怖いかも」
「いや、三浦先輩のスマホのロックが『0416』ですから」
「……あ~なるほどねえ。よく見ている。そういえばピッチャーだっけ?」
「はい、たまに三浦先輩にも受けてもらっています」
「そうなんだ。どう、信二は。いい先輩?」
「そうですね。たまにドSを発揮しますが、ピッチャーの闘争心を煽る配球をしてくれるので、有難いです」
「煽られた方が好きなんだ(笑)。ちょっと意外だね」
「そう見えますか?」
「うん、ハキハキしているけど、わりと冷静そうだし」
「まあ、そうですね。逆に先輩にとって、三浦先輩ってどんな人ですか?」
「え? 普通に彼氏だけど」
その瞬間、工藤君の視線が揺れた気がした。彼が何かを考えているのがわからない。でもその目が、私の心を奇妙にざわつかせる。
「本当に好きなんですか?」
その唐突な質問に、私は一瞬、息を飲んだ。工藤君は静かに私を見つめている。無言のまま、目と目が絡み合う。彼の瞳はどこか寂しげで、でも少し挑むような光を秘めている。
どうしてこんなことを聞くんだろう? 何かを期待しているのか? それとも、冗談? でもその目を見ていると、心臓がうっかり高鳴り始める。
「冗談です(笑)。見てください。占いに、『本当に好きな人がすぐに現れる』って出ていますよ」
その瞬間、工藤君の唇にふっと笑みが浮かんだ。何か、その笑顔、ずるいな。そう心の中で思った。
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