第七章 嫉妬

第21話

「本当にいかないのかい?」


麻井実は冬物のコートを羽織りながら、再度妻である幸恵に問いていた。

今日は芳江が嫁いでいった村の秋祭りの日。

息子の剛がよちよちと歩き出してから、毎年一家で行っているというのに、今年に限って幸恵はいかないと言い出した。


「前から言ってたじゃない。お友達と俳句クラブに行くって」

「そんなの、毎週やっているんだろ?今度でいいじゃないか」

「———もう約束してしまったのよ、しつこいわね!」

「しつこいって・・・そんな言い方ないだろう?剛だって君と行くことを楽しみにしていたのに」


実は自分一人で剛を見なければならないことに嫌気がさして、息子の名前をだしていた。


芳江が舞台に立って踊るらしいと義父である義和が幸恵の前で言ったとたんこれだ。

妹を毛嫌いしている妻は、それを聞いたとたん、いかないと言い出し、他に予定まで組んでしまった。


明日には姪たちも祭りに参加し、村を練り歩くというのに。


「芳江ちゃんは踊らないって言っただろ?子供らに教えただけって。お義父さんの聞き間違いだって説明したじゃないか」

「それが尚更なのよ。そんなもの、見たくもない。剛を連れて行ってちょうだい。私は仕事が忙しいのよ」


何を言っても意見を曲げない幸恵は、実家である大野旅館へ出勤するための支度を止めない。


「パパ、早くいこう」

麻井実は息子に押されるようにして家を出される。

「おっとっとっと、じゃあ、僕たちだけで行ってくるよ!」

「——————ええ」


なんだかんだ言っても夫は芳江が住む村へ行った。

普段息子と過ごすことを嫌がるくせに、そんなにまでして妹に会いたいらしい。



幸恵は、行こうと思えば行けないこともなかったが、今年だけはどうしても行きたくはなかった。

妹の立場が羨ましくてしょうがなかったのだ。


たまに職場に顔を出したと思えば、父である義和は女の孫が可愛いのか喜んで出迎える。

毎日連れてくとはいえ、剛との対応とは全く違うことが気に障っていた。


夫の正一は映画スターのように格好がいいし、二人の子供たちは天使のように綺麗な顔立ちをしている。

おまけに、工藤家の男たちは面倒見がいいらしく、いつもお世話をしてもらっていると幸せそうに笑うのだ。


それが本当に、気に入らないのだ。


またそんな光景を目の当たりにするのも、幸恵の目に毒だった。

村を出て街に帰ってから言い表せない負の感情に襲われるのだ。


ましてや今年は、村の人々が芳江を頼って、子供たちに踊りまで考えて指導したらしい。

あの芳江のことである

舞踊に関しては、実の母である女将でさえ、芳江の方が上手だからと客人の前で踊らせていたのだ。


いい評価しかないことは目に見えている。

幕が閉じた途端、会場中から芳江を称える言葉が行きかうのであろう。

そんな状況下に幸恵は身を置きたくはなかった。










夜八時。


まだまだ旅館は忙しい時間であるというのに、幸恵は早々と仕事を切り上げて、約束していた友人の芙三ふみと市民公民館前でおちあっていた。

芙美とは小学部の時からの同級生で長い付き合いになる。

と言っても芙美の方はあまり幸恵を好きではなかった。

何となく、彼女と一緒に居ると嫌な思いばかりをしてきたからだ。

それでも今日は気晴らしに俳句クラブについてきたいと頼まれた。

やっと自分が上の立場になれることに、芙美は少しだけ浮きだっていた。


「今日はごめんね。急に無理言って」


「ううん、むしろ大歓迎よ。最近は人数が減ってしまってね。若い人がごっそりと居なくなってしまったの。ほら、エレキとかが流行りだしたでしょ?みんなもっぱらあっちの方へと夢中になってるらしいわ」

「そうなの、流行っているものね」


入ってすぐの玄関先で帰って行く女の子たちとすれ違う。

その子らを不審そうに見つめていた芙美は、彼女らに声をかけていた。


「あら?どうしたの?———急にお休みになったのかしら?」

「いいえ・・・、あの、急用を…ね?」

「うん、そうですの、ねえ?」

「ええ、さっき偶然にも一緒に”ああ!”っとなりましたの」


三人そろって急用だなんておかしなはなしだ。

芙三は思い当たる節があってそれ以上追求せず、その子らに背中を向けて公民館へと入っていった。


「お知り合い?」

「ええ、同じクラブの子たちよ。————動機が不純なのよ」

「動機?」

「今日はね、若い子に人気の殿方がお休みなの。唯一残ってる若い女の子たちはその方狙いなのよ」

「へぇ~、由緒正しい歴史があるクラブなのでしょう?そんなこともあるのね」

「そうよ!不純よ!———ここから何度も道新賞も出ているというのに、先輩方々に顔向けできないわ!」


そうやってぷんすか怒っている芙三の心情は、幸恵には手に取るように分かっている。


”本当はあなたも気があるくせに。自分の見た目が良くないから僻んでいるんだわ”

幸恵は心の中で彼女のことをいつものように卑下していた。

小さな頃からこの子を自分の横に並べて、言い寄ってくる男が自分の方へと関心を寄せてくる様子を見せつけていた。


———まあ、その男のほとんどが、どうしようもない男たちだったのだが、芙美が好きそうな男を選んでは、目の前でその男と恋話をして見せつけたものだった。


その中で実と出会ったのだ。実と芙美は同じ職場であった。

芙美が顔を赤らめて実をみていたのを見逃さなかった幸恵は、実を紹介してと芙美に頼み込んだことから関係が始まった。


”実さんに求婚された”


そう報告した時の芙美の沈んだ顔が、幸恵を今までにない光悦な思いにさせていた。

憂さ晴らしのようにも見えるが、度を過ぎるくらいの何かが混じる。


”傷つけばいい、もっと傷つけばいいんだ。———あんたが愛おしそうに見る男なんか、全部奪ってやる”


その思いに執着する幸恵は、普通ではない。

普通ではないのに、本人にはその自覚がなかった。


今度はどんな男に思いを寄せたのだろう?

幸恵はその人気がある殿方のことが気にかかった。


最近は夫の実とも随分とそういうことはしていない。

自分の性欲発散の為にも、その男に目星をつけてみようと思ったのだ。

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