第20話

それから二人の距離はだんだんと縮まっていった。

村祭りまでの期間が短いこともあって、早く仕上げなければならないが、芳江は妥協をするつもりはなかった。

毎夜のように打ち合わせをして構想を練っていった。


扇子を取り入れた振付、要返しや扇子回しなども入れていく。

やるからには舞台の一つとして見ごたえのあるものでなければやる意味がない。


芳江はそう思っていた。

だいたい決めた振り付けを、家の空いている部屋を使い、正一に見せては構想を練る日々が始まる。


扇子を優雅に振るう芳江に見惚れながらも、正一はそのフリに音色をつけていく。

その音色は模索するように毎度変われど、どれも芳江の心情にあうものであった。


正一の出す美しい音色を聞けば、新しい構図も浮かび、良い流れが頭の中に次々と浮かんできていた。

そんな正一に芳江は惚れ直したように、うっとりと見つめながら踊っていた。


それは彼女にとって無意識な行動だったようで、正一が発した言葉によって自分が彼を見つめながら踊っていたことに気づかされる。


「綺麗だな・・・。芳江」



正一が素直に口にすれば、その気になった芳江が手を引き、夫婦の部屋へと誘い込むと同時に情事が始まる。


初めのうちは遠慮がちだった正一だが、芳江に誘われるがまま身を任せ、もとのような夫婦関係に戻りつつあった。


背中から抱きしめたり、うなじに顔を埋めたり、後ろから胸へと手を伸ばし、柔らかく手ごろなそれを優しく弄ったりもするようになった。

芳江は声は出さずとも、そのやり方に快感を覚える。


顔が見えない分、想像力が勝手に膨れ上がり、正一の色っぽい姿を頭の中で作り上げていくのだ。



どんな顔で私の中へと分け入っているのだろう?

いつか見ていた正一の艶っぽい顔つきを頭に描いていく。


冷たい印象の切れ目な猫目はかつてのように大きな黒目となって、息を切らせながら頬を赤くし、一心に自分へとその愛を注いでくれているのであろう。

鍛え上げられた肉体を惜しみなくさらけ出し、私の身体を欲してくれているのだろう。

惚れ惚れするような男前の正一が、——私の中心の秘部へと自身のいきり立つものを打ち付けている・・・・。


ある意味、目を合わせてするそのやり方より、身体は正直に反応して、何度も正一を締め上げていた。


”ゆきちゃん・・・ゆきちゃん”———同時にかつての呟きも頭の中に浮かんでしまうが、懸命に隅に追いやっては自身を高みへと誘なってゆく。



「・・・・・・・・・」


そんな芳江とは逆に、あまり声も出さずに締め上げる彼女に、正一は少し悲しくなる思いがあった。

女は自在に”そこ”を操れるらしい。いつか、遠い昔に関わった女から聞いたことがある。


自分との行為を早く終わらせたく、そうしているのだろう。

声を出さず、こちらを振り向いてくれない。

ならばそう言う事なのであろう。


もしくは頭の中に自分ではない誰かを想いうかべているのではないか?

かつての自分のように。


この頃の正一は、身代わりにされる側の気持ちを理解するようになっていた。

自分はなんて愚かなことをしてしまったのだろう?

あろうことか、雪路の名前まで呟きながら抱いたこともあったのだ。

過去の自分を殴りつけたい気分であった。


「ごめんな、終わったよ」

「・・・・・・どうして謝るの?」

「だって、後継ぎの為…だろ?———んだから誘ってくれてんだべ?」


『そうじゃないわ、あなたを愛してるからよ。あなたと心を一つにしたかったの』


正一はどこかでそういってくれることを期待して、そんな言葉を芳江に問いかける。


「—————そうですね…。後継ぎの為ですよ…」


そんな正一の心情を理解できない芳江は、気持ちを隠してそんな言葉を呟く。

芳江もまた、期待して絶望するのが怖いがために、素直な気持ちを言い出せなかった。


元のように夫婦の部屋で過ごす時間が増えたといえ、元のように心の距離が縮まることがない。


二人ともお互いの気持ちを明確にすることが怖かったのだ。








「んん?難むんずがしいな?こうが?」

「クスクス、うん、そうです」

「何笑ってんだって、姉さん。おら真剣なんだど?」

「わかってます。のみ込み早くて助かるよ」


二人で練り上げた振りが男子用、女子用と共に出来上がった。

芳江一人でどちらも教えることは大変だろうと、男子用を守也が覚え、子供たちに教えてくれると買って出てくれたのだ。

その為に、空き部屋での夫婦水入らずな時間は終わりを告げてしまい、守也も加わって三人で過ごすことになるのだった。


「う~~ん、初めの方覚えてるがな?兄貴、また頭から伴奏頼む」

「————おお」


正一が笛を吹き出せば、真面目な顔に切り替えた守也が凛々しい顔つきで扇子を振りながら踊りだす。

守也はのみ込みがはやく記憶力が良いのか次々と振りを覚えていく。


それはこの事に限らず、どの分野でも同じである。

自身の悪いとこを見つけることが早く、それについて素直に聞き正す能力に長けているのだ。


それは正一がそばにいて、いつも思うことでもあった。


そういう姿勢がより芳江へ好印象を与えているのだろう。


芳江はとても優しい顔つきで守也のたどたどしい舞踊を見守っていた。



「こっから、どう足を運んでくんだ?なんか姉さんに比べれば動きががさつで、みっともないわ」

「こう、扇子をひらひらさせて、そちらに目がいっている間に、こうしてスーっと体の重心をずらせていけば綺麗にみえるのよ」

「おお!凄いな、流石だわ!——なあ、兄貴」


「————ああ、そんだな…」


「なんだべ、そっけねえ返事だな。兄貴照れてんだわ、なあ姉さん」


「もう、守也君。真面目にやらないと怒るわよ」

「なんだや、姉さんも照れてんだ?んなめんこい顔して赤くしてよ」

「もう!本当に怒るんだからね!」

「そんな顔して怒っても怖くないわい」


守也はこの頃、内向的な性格から脱却を図るように同じ年ごろの青年部たちや子供たちに接している。


普段、自分の世界に籠るような男が、人付き合いを怠けずに積極的にしている姿に違和感を持つ正一だが、それほど芳江の側に居て支えてやりたいのだろうという答えに行き着く。



正一は自分の中でそう答えを出したうえで、目の前でほほ笑み合う二人を眺めていた。



自分にはしてくれないくだけた言葉遣い。

それに母のように優しく見守る視線は、守也へと惜しみなく注がれている。


そんな弟が羨ましくて仕方ない正一は、またもや寂しい気持ちになっていくのだった。










村に唯一ある舞台がある公民館が、祭りの余興会場になるため、練習もそこで行われることとなった。

子供らと伴奏を加えた練習が進められると、正一も自分で考えた篠笛や締太鼓のパートを青年部に教えていく。


守也も熱を入れて男の子たちを指導していた。



やっとのことで個々の志気が上がってきた。

皆がこの村おこしみたいなものを成功させようと大人たちは皆必死だった。


子供たちはその気迫に負けて泣き出してしまうが、ひと泣きして落ち着くとまた稽古に戻ってくる。



子供もまた、たくさんの希望者の中から選ばれた一部の子たちで編成されている。

その意地があるのか、練習がきつくとも辞めると言い出す子はいなかった。


完璧に考えたつもりでも、通しでやってみると問題点も見えてくる。

それをいち早く見つけ、芳江に相談に行くのは大概守也の役であった。



「姉さん、ここよ、こういう風に変えたらどうだべ?んだら、次の子らと入れ替えの時スムーズにいくんでないが?」

「うん・・・、そうね、そうしましょう」


正一は、若い青年部に笛や太鼓を指導する一方で、何度か話し合いをする二人を視界の隅に見る。

すこしの時間が出来て、夫の特権とばかりに芳江のところへと行こうと思っても、雪路の妹や弟に阻まれてそれもままならなかった。


結局はそのまま行列のお囃子まで指導することになり、芳江の側へと行くことは出来ずじまいで練習が終わったが、守也と芳江は子供たちを家に送っていくので、正一は

砂浜につけてある船へと一人で向かった。


明日の漁に備えて準備をするためである。


夕方にするはずだった後片付けをするためにオイルが入っていたペ―ル缶をバケツ代わりにし、海水を汲んで船の甲板に溜まった砂を流す。


”正一さん、私が汲んでくるから、そのまま船の上に居てください”


自分がこうやって誰もいなくなった砂浜で後片付けをしていると、雪路がよく気にかけて来てくれたものだった。

だが、今は自分ひとりでやらなければならない。


何度も水を汲んでは船の甲板を洗い流す。


今頃は子供たちを送り届けて家に着くころか。


そう思うも帰ることはせずに砂の無くなった甲板を何度も何度も洗い流していた。







正一が船の準備を終えて風呂に入るころには皆が寝静まったようにシンとしていた。

ある意味、正一はこうなることを望んでいた。




夫婦の部屋に行けば、当たり前のように芳江はいない。

それは想定内であった。


子供たちは正則と寝ているはず。


では芳江はまた鍵付きの部屋で寝ているのだろう。

夫なのだから、そちらへと行っても変なことはない。

でも、いざノブを回そうと握った時に、鍵がかかっていて回らなかったらと思うと気が引ける。


『あなたの側にはいたくありません』


そういわれた気持ちになってしまうからだ。


この部屋に来ないということは、そう言う事でもあるのだろう。

だからあえて、嘉男の部屋にいるだろう妻に顔を出すことはないまま部屋に入っていった。



自分のタンスから自作のノートを出し、書き綴った言葉たちに目を通していく。

そのままベッドの背もたれに背中を預け、寂しい気持ちを和らげようと自分を慰めるようにその本を読んでいく。


正一が自分で書いた雪路の絵で手が止まり、その目を見つめて思わず弱音が零れた。



「————ぜんぜんだめだわ、ゆきちゃん。———おら、ちゃんと生きてけるべか?———写真・・・撮ったか?案外俺の方が気に病んでぽっくり逝ったりしてな」



まるで雪路がそこにいるかのように話しかけては、ダメな自分を見つめなおしていた。





まさにそう呟いたとき、ドア越しに芳江が立っていたことを正一は知らなかった。






稽古の途中で何度か正一からの視線を感じていた芳江は、何か話でもあったのだろうかと思い、正一の元へと行こうとしたのだ。


というのは口実で、本当は正一の側で眠りにつきたくなってきたのだ。

この頃は寒くなってきたのもあって、人肌が恋しい。


子供らは正則と寝てしまっているし、以前のように体温が高い正一に冷たい足を温めて欲しくてたまらなかったのだ。



寝ている正一のベッドへと静かに入ろうと足音を潜め、部屋の前まで来たが、意外なことに電気がついていた。

つけたままで寝たのかと思えば、何かをめくる音がしてくる。


流石に起きていると分かっているのに、いく勇気はない。ドアノブにかけそうだった手を引いた時だった。


聞きたくない名前が、またもや正一の口から発せられたのは。




”全然だめだわ、ゆきちゃん――――”



そんな呟きがドア越しに聞こえ、静かに後退りをする。


物音をたてずにそんなことが出来るのは、小さな頃から母に歩き方から仕込まれたせいだろうか?



『全然だめだわ』自分のことを言われているようだった。



”全然だめな嫁なんだ、男を授かれねぇ。君ならば、すぐにでも男の子を生んでくれただろうに”


そうでも言われたかのような気になってしまう。

芳江はそんな皮肉った考えが頭から消えなかった。


自室になりつつある鍵付きの部屋に戻り、ここ数日の疲れが溜まっていた芳江は、眠りについて身体を休めることに集中する。

けれども、先ほどの呟きと、雪路の妹や弟に話しかけられた時にしていた正一の笑顔が脳裏から離れることはなかった。


雪路と関わりのある人間ならば、正一という夫は、あんなにも優しく笑うのだ。

自分といる時は、どこか疲れが溜まったような顔しかしないというのに。


身体は疲れているはずなのに、どうしてもそのことが頭の隅に残って考えすぎてしまう芳江。

彼女がようやく眠りについたのは、正一が仕事を始める朝方であった。










「すみません!寝坊しました!———すっかり昆布も上がって来ていたんですね」


「ああ、なんもいいど?疲れたべや、祭りでこき使われて。もっと休んどけ?この品種の時期ももうすぐ終わりだ。ほれ、走りの時(採りはじめ)はあんなにあったのによ、今日はこんだけだわ。おらと芳江の拾い昆布みたいな量だもな!」


正則は下の唯月をおぶりながらそう言っては笑っていた。

隣では美月がおぼつかない手つきながらにも、大好きなジジの手伝いをしていた。



「おかあちゃん、おめめがあかいよ?」

「ああ、んだな。母ちゃん疲れてんだわ、美月」


正則はそう言いつつも、また何かあったのだと勘づいていた。



隣近所の夫婦はおおぴらに大げんかしては仲直りを繰り返すというのに、どうもうちの若夫婦はそれが出来ないようだ。

いつまで経っても半人前のまま。

正則はそんな二人の行く末を考えると、重たい溜め息しか出てこないのであった。

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