第19話
"まいったでや"
秋の夜道を歩く正一は、先ほどの寄り合いで決まってしまったことに頭を悩ませていた。
最近になって、各村で行われる秋祭りは、催しに思考を凝らして、街からの客を呼び込もうと競うようになっていた。
本来は村を守る神様へ感謝するための祭りであるはずなのに、いろいろと目論見があるのだろう。
その中には若い男たちの欲望も入り混じる。
村の娘たちが都会へ行ってしまう現状下で、街から年頃の娘たちに来てもらえるようにと、そんな意味合いもあるはずだ。
そう言う意図もあり、青年会ではより一層盛り上がってしまったわけだ。
いつも話題にはあがるが、皆が芳江を頼りにしてくるとおもい、何となく話を逸らすことで事なきを得ていたのだが、今夜の話し合いはそうもいかなかった。
珍しいことに、斎藤啓治が寄合に顔を出したからである。
「そんだら正一のところの嫁さんに協力してもらうべし」
いつものように、にわかで終わるはず話題が、村一番の先輩漁師の一声で決定打となってしまったわけだ。
それから話はどんどん広がっていく。
「子供たちさよ踊らせるべ。芳江さんが教えてくれればいいんでねえのが?」
「んだ、それいいな。時間もないし子供だら覚えるの早いべ」
好き勝手ばかり言う男たちに腹を立てた正一は、帰りの道で三四郎と並び悪態をつく。
「何考えてんだがよ。自分で努力もしねえのに、人さ負担かける気になっでよ。んとに、バガでねえのが?———第一よ、若い女ば呼びたいだけだべ」
「今の時代、嫁不足が深刻だもんなぁ。漁師町の印象良くしたいんだべよ」
「尚更アホだべ。そんなんで騙されで来る街の馬鹿娘に、漁師のかかあが勤まるかよ」
「おお、できる嫁貰った男はやっぱし言う事が違うな。」
「————べつに。そんないいもんでないど」
「——なんだや、芳江さんになんか不満でもあんのが?」
「不満でねーんだけど・・・ダメなんだ」
「なにがダメなのよ」
「なんか、おらがよ、ダメなんだわ」
自分は芳江にとっていい夫になれているのだろうか?もっとふさわしい人間が”既に”そばに居るのではないか?
最近の正一はそんなことばかりを考えている。
美月と唯月という子供たちが生まれる前なら身を引くことも考えられたかもしれない。
まだ、妻の芳江に自身の愛情が芽生える前に気づけばどんなに良かっただろう。
でも、それはもうできない。正一はもう狂おしいほど芳江のことを愛しているのだ。
「ああ、なんだ。最近あっちの声が聞こえねーって思ったら、そういう事かい」
「————あ?」
「だから、母ちゃん満足にさせれねぇんだべ?」
「————いや、ちが」
「いーいー、わがってる、女が生まれるってのはそういう事だべ」
「———なにが言いたいのよ」
「女が満足してたら男が生まれるんだど?知らねーのが?」
「————っハ、なんだよそのはなし。そんなのお前が勝手に作った迷信だべ」
「迷信が?俺は結構あだってると思うど。ここらへんの夫婦のやつらに当てはめてみれや」
「————バカバカしい。おまえとしゃべってればバカになるでや」
家に帰った正一は寄合所での出来事を話さず、そのままうやむやにしようと黙っていた。
今日は大幅に話が具体的になってしまったが、どうせ酔っぱらい達の戯言に過ぎない。
次の会合の時にはすっかり忘れているだろうと思ったのだ。
でも、その場で酒を呑まずに給仕としてついていた女たちは、そのことをきちんと覚えていた。
普段から芳江と何かと比べられて、面白くない思いをしている若い嫁たちだった。
年はあまり変わらずとも、ここにきて7年になる芳江は、いい嫁の手本として比較の対象になることが多かった。
村の男たちはそれぞれの妻へ、芳江を”手本”として基準にし、劣っていることを叱ることも多かったのだ。
芳江は正一が漁に出ているあいだ、彼女たちからそのことを知らされて戸惑うも、真面目な性格が災いし、取り組むことを決意してしまう。
元々は、頼まれれば放っておけない性格なのだ。
そんな彼女の決意に有志達が集まり、夜ごとになればもう一つの小さな寄合所へと集まるようになったのだった。
その有志の中には隣に住むハナや三四郎を初め、守也もいた。
乗り遅れてしまった正一は何か役立てないかと思うが、思うだけで何も出来やしなかった。
そんな時、やはり助け舟を出すのは、兄想いの守也なのである。
ある日の夕食時、守也が芳江に助言する。
というのも、踊りの振り付けは難なく色々な案は出てくるのだが、舞踊には音付けが不可欠である。
芳江はその知識や演奏技術が皆無であった。
母の友人で何人かその類に長けている人がいた記憶はあるが、亡くなって以降交流が途絶えてしまい、連絡が取れない状態なのだ。
「うちの兄貴はよ、篠笛がなまら上手いんだ。んだから、伴奏の笛は兄貴に頼めばいいんだ姉さん」
「————そうなのですか?」
芳江はその日初めてそのことを知ったのだ。
正一が村祭りの巡礼で吹いている姿は見たことがあったが、数十人と一緒に音を出すために目立って注視したことはなかった。
「島には爺さんから貰った立派な蘭情管があるらしいど?おらは見たことねえけどもさ、よくタッケが話してて、小さい子供らに―――」
「もういいって、守也。島での話はすんなや」
正一がまだ少年だったころ、雪路と共に近所の子供たちの世話をよくしていた。
自慢の篠笛で子供たちのへんてこな踊りに音を付けて皆で笑っていた記憶が蘇る。
守也が今まさにその記憶を話そうとしているのだろうけど、雪路の話まで出てきそうで正一は話を切り捨てた。
「篠笛があれだったら吹くど?唄っこや三味線があるんであればそれに合わせるし、手本で芳江が踊るんであればそれ見て考えるわ」
「本当ですか?———そんなことが出来るのですか?」
「ああ、いいかどうか、芳江の趣旨はわからんが、適当に合わして作ることは得意だ」
今でも祭り練習で集まった時などで仲のいい奴らとそうやって遊ぶこともあるのだ。
真面目にやろうとすればそれなりにできると正一は思っていた。
芳江はその一言に凄く頼もしさを感じていた。
というのも、踊らせると決まったからには従来あるものではなく、新たにこの村に残るようなものを考えて作ってほしいと言われていたからだ。
自分はそのことに手がいっぱいであるし、基本的なものを学んだとはいえどれも中途半端に過ぎない。
ましてや曲作りなど、したこともないのだ。
いよいよになったら父を通じて、母のかつての知り合いたちに、声をかけなければいけないのではないか?
そんなことも思い始めていた。
「ありがとう、正一さん。ありがとうございます」
「————ん、なんもだ」
正一はそう言いながら口元をにこやかにあげて見せる。
家族の前であるというのに、息がつまるほどの光悦な思いに更けていた。
そのくらい、芳江が久々に向けてくれた笑顔がどうしようもなく嬉しかったのだ。
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