第16話

盆が終わると、暑かった夏が終わりを告げた様に涼しくなり、秋の気配が近づいてくる。

道東の夏は盆が過ぎると終わる。とよく言われるほど一気に気候がかわる。

特に朝晩はその変化が分かりやすく、気温にあった服装をしなければならない。

特に街に比べて村のほうは、より一層肌寒いこともあり、この時期は体を壊しやすい。


夏の疲れが取れないまま体調管理に気を配らなくてはいけないのだが、この時期はもう一つやらなければいけないことがあった。


正一は村の集会所へと向かっていた。

そこへ示し合わせた様に隣の住人である三四郎が隣家から出てくる。


「おお、偶然だなぁ、一緒に行くべや正一」

「なんだってお前、もしかしておれば出てくんの待ってたんでねぇべな」

「ンナゴドあるわけねえべや――――、あれ、芳江さんどうしたのよ、今日当番だべや」


隣人の目的はこれであったかと正一はあからさまにそっぽを向いてみせた。

三四郎に限らず自分の妻を好機の目でみる輩は最近増えてきたのだ。


特にこの祭りの準備期間は妻に注がれる視線が気になって仕方ない。

三四郎はそのことをよくわかっていて、正一をからかうために家からでるタイミングを見計らっていたのだ。


「芳江は準備があるがら、先に行ったでや。おまいらが好きな熱燗でも炊いてんだべ」

「んだども、別にそんな用意ばっちりしなくてもいいべや。この間なんて話し合いが始まってからだいぶ経ってがら酒とつまみ出てきたど」

「――――あんときは祭りにかかる金勘定の話だったがら、話がまとまるまで台所の女どもは待ってたんだべや。今日は余興の話だべ?酔わないと面白いもん作れねえべや」

「んだべか?お前と一緒に行くの嫌だったんでねえのが?」

「・・・お前とは話になんねぇでや」


正一は三四郎のからかいを適当にかわしながら寒くなった夜の村を歩く。


集会場は人がだいぶ集まっていた。


上面のいい正一は玄関に入ると同時に笑顔を振りまく。


「さあさ、正一さん、呑んでや。これからなんか新しいことやるべって話してたところなんだ。村のジジババばっかり喜ぶものやっても仕方ないがら、街の娘っ子だじがきそうなことするべって。なんかいい案ないべか?」

「街のが?んだな、最近だら車もっでる人も多いがらなぁ」



子供が生まれてからというものの、今まではただ手伝いをするばかりだった正一も、青年団の中堅入りしたのもあり、祭りの催しものを考える立場となる。


その日も青年部が集まる会議に出席し、妻の芳江はその男たちに酒を出したりツマミを補充する係当番で同じ寄合所にきていた。


何をするにも作法が身についている芳江の行動は、一つ一つ目を奪われるものがある。


何人かの男たちは話し合いそっちのけで、芳江を目で追ってはニヤついていた。



正一はそんな男たちに呆れて、ため息をついていた。

自分の前では表情一つ変えぬくせに。

他の男にはへらりと笑い酒を注いでいるから、好奇の目に晒されるのだと。

酒づぎの順番でまわってきた芳江に、無言で湯飲みを差し出せばあちらも無言で注いでくる。


しかし次の奴が”おだつ”と、クスクスと笑うのだ。


「おお、美人に注がれれば酔いも早くなっちゃうじゃ」

「そんだか?んだら芳江さん!おらにも注いでけれや!」

「何言ってるんですか。誰が注いでも変わらないですよ、まったく」


まただ…。また他の男に微笑みかけやがって。

腹がたった正一が、いい加減にしろと口から出そうになったその時、他の女が声をあげた。


「んとに!あんたら!芳江さんばっかり働かして!わしらも居るんだからね、ちゃんと使ってけさいね」

「そんだよ?わしの酒だって美味しんだからぁ」


女たちの反論で場の雰囲気がいっそう和らいだこともあって、正一は言いそうになった場違いな言葉を飲み込んだ。



「したけどよ、芳江さんは浜のおっ母にしとくのもったいないぐらいだよな」

「んだよねぇ、悔しいけどわだしもそうおもうわ。可憐だもの、有名な踊り子さんだったのでしょう?」

「いいえ、習ったことはありますが…」

「ああ、んでしょう?立ち振る舞いがおしとやかだもんなぁ」



正一はどうしてか芳江がもてはやされると苛立ちを募らせていく。


『もう寄合所に来るな!』いっそのこと、そう叫んでしまいそうだった。



でも、民子がいなくなった今、女手の手伝いは芳江にやってもらうしかないのだ。

守也や正則に台所へ入るように頼んでも、きっと足手まといになるだけだろう。

男たちが帰ったあと、女たちは片付けをしてから帰ることになっている。



「芳江さん、明日は三ちゃんのところから当番だから、鍵渡しといてくれるかい?」

「はあい」

「したらねー、お先失礼しますよ」

「はい、ご苦労さんでした」


少しの洗い物が残っているというのに、そそくさと帰ってしまう女たちは、さっきのことを少し念に思っているようだった。

そんなことが分かりつつも、実家で同じような思いをしてきた芳江は気にすることはなく、淡々と仕事を終わらせて玄関のカギを閉めた。



「————なんで芳江だけで最後まで仕事してんのよ」

「いやあ!・・・・なんだ、正一さんでしたか。先に帰ったんじゃなかったのですか?」


「———夫が妻を待っていて何が悪い。どっかヘンだか?」


―――――妻なんて、そんな風に思っていないくせに、白々しい人。



「先に帰っても宜しいですよ。お疲れでしょうに」

「おめえが先に行ってしまうんだもの。帰りはゆっくり行こうと思ったんだ」

「・・・・そうですか」


ふてたように前を歩く正一は気持ちゆっくりと歩いていた。

そんな変化を芳江は見抜いて、ワザと並ばないように更にゆっくりと歩く。



今度は正一が立ち止まったので、嫌気がさした芳江は彼を追い越してスタスタと歩き出した。



「ちょっと待てや」


「なんでしょう?」


「待てっつってるべ?」


「歩きながら話しましょう?時間がもったいないですから」


「なんでおれば避ける?」


「べつに、避けてませんが」


「避けてるべよ、そんで笑いもしねーしよ」



その言葉に引っかかるものがあった芳江は、立ち止まり俯いた。




「生涯をかけて忘れられない人がいる。だから、この結婚はこの家の為だけだよ」

「—————何言ってる」


「後継ぎが出来たら別れてもいいし、帰るとこがなかったらそのまま居てもいい」


「———何言ってんだって、芳江」


「他に男を作ってもいいし好きにしていい。後継ぎだけ産めばそれでいいから」


「おいってば!さっきからどうしたっていうのよ」


「”そのまま”ですよ。あなたに言われたこと、そのままです。私はその為だけの存在でしょう?どうして貴方に笑いかけたりしないといけないの?」


「————なんだや、そんな昔の話ばもちだしてよ」


「じゃあ、今は違うんですか?———生涯かけて忘れる事の出来ない相手は?あなたの頭から消えたっていうの?」


「・・・・・・・・・」


「もう一層のこと離縁・・・しますか?」


「———だめだ」


「どうして?—――こんなの、初めからおかしかったのよ。私はあの時、ハッキリと断ればよかったんだわ」


「———ダメだダメだ!!そんなの!許さねいど!———芳江が、おらの前からいなくなるなんて、そんなの、許さねえかんな!」


「———私は、男の子も生めない愚妻なのですよ?———あなたも、ほとほと呆れてしまってるでしょう?」


「んなごとねえ、これから作ればいいんだ!————こっちさこい!」


「もうやめましょうって、正一さん」


「————まだだ、まだ後継ぎ出来てねえぞ。ちゃんとそれを全うしてけれや」




正一に強く手首を掴まれて顔を歪める芳江。


そのまま大股で歩く正一に引っ張られるようにして着いたのは砂浜だった。




「…いやだ、いやだ」

結婚して初めて迎えた夏の夜、よくここに連れてこられた芳江は、その時見上げていた月の色が忘れられなかった。



とても、悲しい色を纏った月があるところ。



最近は、守也がその悲しみに満ちた月を綺麗な物へと変えてくれたのに、またその月が穢される。

嫌がる芳江を砂浜に押さえつけ、覆いかぶさるようにして芳江の下着を剥ぐ。



分け入れば、そのうちいつものようによがるはず。

そうして甲高い声を上げてもっともっとと欲しがるはずだ。

そう思って芳江の中に入り、腰を打ち付ける。


けど、いくら打ち付けても芳江は悲しい顔をするばかり。

繋がっているところも潤うことがなかった。



「はあ、はあ、はあ・・・なんで、なんでだ、芳江…」

「・・・ううう」



いつかのようにそこを潤して光悦な表情を浮かべていた芳江はもう居なかった。

それでも、正一は行為を辞めることなく、最後まで彼女の中で動き続ける。



「————長男が出来るまでって約束だべ。それまで出てくことは許さねえかんな」


自分の服装だけを直して立ち上がり、芳江を砂浜に残したまま正一は去っていく。



「うっ、———ううう――…」

芳江を見下ろすその月は、元のように悲しい色を放っていた。

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