第12話
憂鬱気味になってしまう今の正一にとって娘の存在は大きな救いであった。
もうそろそろ、美月は乳を飲んで満足したころであろうか?
正一は帳場で自慢の娘が来ることを今か今かと待ちわびる。
美月は顔の整った容姿端麗の親をもつ子である。
目鼻立ちがくっきりとして愛らしい自慢の娘なのだ。
そんな正一に一人の青年が声をかけた。
ここにきてからできた友人の一人である。
「ようよう正一、おまえ俳句に興味はないか?」
「俳句?」
正一もかつては金持ちの子。
色々な習い事の中にはそんなものもあった。
ここに来てからは一端の漁師になるためにと、それらを封印してきたが、本来ならば本や詩などを読む事が好きな子供であったのだ。
「しばらくそういうのに触れてねーな」
「どうだ、今度一緒に行かんか?」
すぐに断りを入れようと思った。家族の手前、自分だけが遊ぶわけにいかないと。
芳江もなんだかんだいって赤子の世話をしつつも家事や仕事を頑張ってくれている。
「お待たせしましたっ。お義父さん、また子守りお願いしてもいいですか?」
「おおう、任しとけ、したらまた来るからな、かあちゃ~ん、またね~~ってしたが?美月」
玄関先で交わされる二人の会話に、皆が朗らかになっている様子がまたもや正一の心に影を落とす。
なぜ芳江は父親である自分の元へ、美月を連れてきてくれないのだと。
帰すにしても、自分のところへ一度顔を合わせてくれると待っていたのに、芳江の中にはそんな考えが少しもないようだった。
まただ、———またおらの気持ちを汲んでくれねえ。
一つ重たい溜息を吐いてから、青年の誘いの返事をしていた。
「————行くわ。おらも連れでってけれ」
思えば自分がいなくとも、正則や守也をはじめ、近所の人達まで彼女に手を貸すではないか。
それならば、いっとき自分がいなくても何も困ることはないだろう。
あまり乗り気ではないが、心の靄を解くにはいい方法になるのではなかろうか?
正一はそう考えて俳句愛好会に行くことを決心したのであった。
「ちょっと行ってくるわ。遅くなんねえうちに帰るからよ」
「———はい、いってらっしゃい」
このころ正一は家を空けることが多くなった。
昆布最盛期にも関わらず、仕事が終わる夕方から夜八時くらいまで帰ってこないのだ。
最近は知り合いから購入したタトサン製のトラックを手に入れたこともあり、正一の行動範囲は広がっていた。
若いころに免許を取って、それからだいぶ時間が空いているから運転慣らしのためだと家族に伝えていたが、本当にそうなのかと芳江は疑ってしまう。
三時間は帰ってこないのだ。
街へ行って用事を済ませ、誰かに会ってから帰るのなら、そのくらいかかるかも知れないが、慣らすためにそんなに遠出するのだろうか?
もしかして、他の女と浮気をしている?————毎日ではないが、それなりに夫婦生活は戻っている。
直感でそれもないだろうと思いなおした時、一つの不安がよぎった。
では、もしかしたら―――ユキチャンと…会っているのでは?
彼女の現状を知って、会いたくなったかもしれない。
夢を見てその名を苦しそうに呟く回数がまた増えてきているのだ。
でも、会っているのなら苦しそうに呟くはずがないかと思い直した時、もしや彼女の見えないところから隠れて見ているかもしれないと思いつく。
”浮気の現場を見てしまうその日までは彼のことを信じよう”
家のことで正一から風呂場のドア越しに責められたとき、窓から見えていた月にそう誓ったはずだった。
しかし、そう思えば思うほど合点がいくようで、今にもその誓いが崩れそうになる。
「正一さん、抱いてよ」
「なんだ?起きてたのか?」
「起きてたよ・・・。ねえ、抱いて?」
「なんだ、積極的だな…。小屋さ行くか?」
「ええ…」
ぐっすりと寝ている美月を置いて、二人は隣の倉庫へと向かい口づけを交わす。
「ん…ん」
正一の口づけが今までと違う気がする。
落ち着いていて優しくて、今までの彼とは全く違うやり方に芳江は尚も疑いの心が大きくなっていく。
負けたくなかった。
自分がこの人の妻なのだ、心を誰かに奪われていようと、この人は自分のものなのだ。
そんな気持ちが芳江を大胆にしていった。
「あああ・・・芳江、綺麗だな・・・お前はきれいだ・・・もう、オラ・・・・」
”お前は?綺麗?”————誰と比べているのだろう、この人は。
「まだよ、まだいかないで?———もっと強く突いてよ…、壊れるくらい突いて?」
芳江は魅惑的に微笑み、正一を快楽の海へと誘う。
正一が達しそうになるだびに芳江は体を離す。
彼女の手のひらでそこを撫でられるたびにビクビクと震わす。
口づけで気持ちが落ち着くころ、また誘導して強く突くように甘える芳江は、今まで見たこともないくらい女の顔をしていた。
「ああ、もうだめだ…そんな顔されたらもたんわ…。」
そう呟いたと思えば上に跨る芳江の腰を逃げられないようにがっちりと掴み、下から激しく突き上げた。
大きく喘ぎ声を漏らして、二人はほぼ同時に達していた。
どくどくと自身から放たれるものを、一番奥まで届くように押し付ける正一は、起き上がり芳江を抱きしめる。
「誰に教わったのよ・・・こんなこと」
「————ここのお姉さま方に」
「・・・・本当か?」
「———うん」
旦那の行動が怪しかったら身体を使って繋ぎとめるんだ。
この間の法事の手伝いで女たちが秘密裏にひそひそ話をしていたところを、芳江は聞き耳を立てていたのだ。
そのやり方も、聞いたとおりにしてみたのだが、話の通り正一は縋りつくように自分を求めてくれた。
「————すぐ二人目出来るな」
「ええ、そうですね―――」だから、よそ見しないで下さいよ?
正一を体の中でつなぎ留めたまま、芳江はそう願いながら正一に口づけをしていた。
「美月がいないわ」
「ああ、泣いて親父連れてったのかもな」
正一が静かに襖を開ければ、守也が美月を胸に抱きながら寝ていた。
守也はスウスウと寝ていたが、美月が彼の顔を触り笑っていた。
「なんじゃ、一人で遊んでたのか」
正一は笑顔で美月に話しかけ、そのかわいい子を抱き上げる。
「ほれ、母ちゃんから乳もらえ。腹減ったべよ」
「・・・・・・・・・ハア」
襖が完全に閉まってから守也は寝返りを打ち、安堵のため息をつく。
自分のそこが膨れていることが正一に見つからなくて良かったと思っていた。
免疫をつけるために出稼ぎ中は静留の店へと通っていた。でも、今夜はどうしても気になって覗いてしまったのだ。
こっそりと小屋に近づき、行為の真っ最中で夢中になっている二人を隙間から覗くと、見えた光景が予想外すぎて動揺していた。
まさか芳江が上に乗るとは・・・・。
急いで帰ったはいいが、物音をたてて美月を起こしてしまった守也は、そのまま抱き上げて自分の寝床へと連れていき、寝たふりをしながら正一が去るのを待っていたのだった。
それぞれが何かを我慢しながら家族という形を保つ。
順調にまわってるかのように見える工藤家は、そんなあやふやの中にあった。
しかし、そんな不安定なものに永遠などという言葉は当てはまらない。
愚かな未練に幻像を抱く者や、届かない愛情を求めてしまう者たちによって、少しづつ小さなすれ違いが生じ、その形はゆっくりと崩れようとしていた。
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